2020年06月23日 10:01 弁護士ドットコム
幻冬舎の人気編集者・箕輪厚介氏によるフリーライターへのセクハラ問題が文春オンラインに報じられると、原稿料の未払い問題もあり、大きな話題になった。
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このような原稿料未払いは、「出版業界では起こりうること」だと、日本出版労働組合連合会(出版労連)の書記次長・北健一氏は話す。未払いまでいかなくとも、依頼内容や報酬が曖昧なまま、仕事が進んでいくこともあるようだ。
前編「箕輪氏のセクハラ騒動で問題視された「原稿料未払い」問題、契約書がなくても請求可能か」に続き、北氏と、公正取引委員会での勤務経験がある籔内俊輔弁護士の見解を交えながら、フリーランスが出版業界の慣例に対応していための方法を考えたい。(梶塚美帆)
書面で契約書を締結しないと、契約にはならないーー。そう思い込んでいる人は多いのではないだろうか。しかし、契約書を交わさなくても、契約が成立している場合もある。民法の基本的な考え方として、当事者の申し込みと、これに対する承諾があれば、契約は成立する(諾成契約)。
北氏は「口約束でも、互いに合意をしたら契約成立です」と話す。籔内弁護士も「判子が押されていなくても、合意したことが分かればよい」という。
「書類にしないと契約が成立しないわけではありません。例えば、メールに箇条書きの文面でもいいです。メールは、受注側から送ったものでも問題ないです。案件名と、作業内容、納期、金額など、決めておきたいことを記載する。
それに対して、発注側から『問題ない』とか『了解』、『お願いします』といった返事をもらえたら、契約は成立したことになります。判子を押してなくても意思表示されればよいのです。つまり、『書面がないから契約もない』という主張は成り立ちません」(籔内弁護士)
そのためには、やはり受注側から報酬額の提示をしてもらう必要がある。お金の話は切り出しにくいという人もいるだろう。ましてや、仕事を依頼された立場ならなおさらだ。いい聞き方はあるのか。
「普通に聞いたらいいんです。発注側にとっても、安い時ほど早めに伝えておいたほうがいいでしょうし、聞かれて嫌だということはありません。一番良くないのは、両者の間で食い違うこと。もしも金額を聞かれて怒るような会社なら……そもそも付き合わないほうがいいのでは」(北氏)
「下請法の適用がある場合には、そもそも、報酬額を決定できるのに決定せず、発注書面に報酬額を記載しないことは、発注側にとって下請法第3条『注文書の交付義務』違反になります」(籔内弁護士)
下請法とは、下請事業者の利益保護のための法律だ。発注書面の交付義務や、支払期日を定める義務、買いたたきや減額の禁止を定めている。
ただ、そうは言っても、聞きづらい……。発注側に下請法の知識がない場合もある。何かいい方法はないだろうか。
「第三者に言われたことにするのはどうでしょうか。例えば、『顧問税理士から報酬金額か報酬の計算方法を聞くように言われた』などの理由を添えて金額を聞いてみては」(北氏)
「作業開始前に確認しておきたいというのは、自然なニーズ。『後で認識の相違が出るといけないので、あらかじめ確認しておきたい』といったニュアンスで伝えてみては」(籔内弁護士)
では、様々な理由で発注者側が金額を確定できない場合はどうか。例えば、ページ数や発売金額、発行部数は、発売直前まで決まらないことがある。また、予算そのものが決まっていない場合、予算が決まる前に動き出さないと発売日に間に合わない場合などだ。そのような事情があるときには、受注側はどう対応したらよいのだろうか。北氏は次のように説明する。
「方法はいくつかあります。1つ目は、報酬の計算方法を聞くこと。例えば、監修者は印税が〇%、残りを他のスタッフで分割する、など。関わるスタッフが多くて報酬が確定できないという場合にいいでしょう。1文字いくらとか1ページいくらといった『単価』を確認する場合もあります。
2つ目は、その会社の過去の類書の金額を聞くこと。『私ぐらいのボリュームの仕事をした人の報酬は、いくらぐらいになっていましたか』というふうに。会社はこれまでも業務をやってきて、同じ販売の仕方をしているはずです。だから、過去の支払いがどのようになされたのか聞くのはひとつの目安になります。ただ、あくまで目安なので、今回の仕事がそれより安くても契約違反にはなりません。しかし、大幅な減額なら、下請法の『買いたたきの禁止』に当てはまる可能性はあります」
籔内弁護士の考え方はこうだ。
「発注段階で仕事の内容が具体的に決定していない場合でも、下請法違反にならないように依頼をすることは可能です。それは、取引の際の発注書面に、仕事の内容や報酬額が決められない正当な理由と、それらを決定できる予定時期を記載しておくという方法です。そして、内容が確定してから、速やかに発注書面の内容を補充する書面(補充書面)を交付する。これをやらないと、下請法違反になります。
ただ、いくら下請法違反になると言っても、受注側から発注書と補充書のやり取りをお願いするのは厳しいでしょう。その場合は、時間単価や1ページあたりの報酬金額の合意をしておく、こまめに作業量を報告して金額の目途を具体化するなどの方法が、有益だと思います。
また、たとえば、メール等で作業内容や金額の報告をこまめに行っておいて、それに対する発注側からの異論がない経緯が分かるようにしておけば、発注側もその内容を事実上了承していたという風に言いやすくなるという面もあると思います。こうしたやり取りを残しておけば、後々、紛争になった場合にも有益な証拠になる可能性があります」
発注側の事情で報酬が提示されないことについて、北氏はこうつけ加える。
「発注側の予算については受注側には関係ないので、切り離して考えましょう。例えば、会社が赤字でも、水道代や光熱費を安くできないのと同じ。外部のプロに頼むときには一定の金額がかかります。受注側は、発注側の予算を過度に慮る必要はありません」(北氏)
それでも、出版業界の場合、どうしても最後まで金額を聞けずに仕事をしてしまうことがある。そして最後に、受注側が想定していたよりもずっと低い金額を提示された場合、打つ手はあるのか。
「原稿料未払いの時と同じです。最後まで報酬金額について合意がない場合は、『相当な報酬』を請求することが可能です。これは商法512条で定められています。例えば、発注側が10万円しか払わなかったとしても、『相当な報酬』が50万円だとすれば、差額を請求することができます。発注側と受注側で『相当な報酬』の認識に違いがあったとしても、受注側にとっての『相当な報酬』を請求してもおかしいことではありません。法的にも主張は成り立ちます」(籔内弁護士)
つまり、事前にきちんと契約を成立させることは、発注側のリスク回避にもなる。予算以上の報酬を請求されることを防げるからだ。
また、下請法の対象となるのは、受注側が資本金1000万円以下の会社や個人である場合、発注側が資本金1000万円超(1000万1円以上)の会社であるときだ。もしも1000万円以下の会社から仕事を受ける場合に、気をつけることはあるだろうか
「下請法の適用はありませんが、契約上の関係は下請法適用がある会社と同じ。契約書を取り交わしていなくても、依頼を受け、実際に作業が発生して、納品されたら、発注側に支払い義務は発生します。先ほど説明した商法は資本金に関係ないので、もしトラブルが起きた場合は相当な報酬を請求することができます」(籔内弁護士)
出版業界では、作業が発生する前に、契約書のドラフト(下書き)版を提示する会社もある。正式な契約書ではないが、法的効力はあるのか。
「正式な契約書を作成して契約する場合、契約書に判子を押したことで、その約束が成り立ったことが証明されます。口約束の場合でも契約が成り立つのは、互いに合意をしているから。つまり、『合意をして約束が成り立った』というのが大事。
ドラフト版の場合も同じで、了承したという内容のメールを送るなどしておくとよいでしょう。発注側としては、条件を飲んでもらった証拠になるので安心。受注側としても、契約が成立しているので、出版の中止による未払いや減額を避けられます」(籔内弁護士)
ただし、書籍の場合は、契約書を見るのは全ての作業が終わった後になることもある。発注側から提示された契約書に、どの程度修正を申し出ていいものなのだろうか。籔内弁護士は、次のように説明する。
「修正の希望は伝えるべきでしょうが、交渉力は弱くなります。なぜなら、作業が全て終わっているから。作業が始まる前、または途中であれば、『条件を飲んでもらえないなら作業を進めるのは難しい』と言える。しかし、作業が全て終わっていると、こちらからただお願いするしかなくなります。だから、ドラフト版でもいいので、事前に契約書を見せてもらうのがベスト。
契約書はハードルが高い、というなら、ここで思い出してほしいのが、先ほど申し上げた『契約書でなくても契約は成立する』ということ。つまり、契約内容に近いもの(納期、仕事の内容、見込まれる報酬額等の主要な点)をこちらからメールで送るとか、口頭で話合いができている範囲でその結果をまとめた議事録をメールで共有しておくのも対処法のひとつです」(籔内弁護士)
契約書の内容を理解するのも、素人にはなかなか難しい。担当者がいい人そうなときは、パラパラッと確認するだけでも良い気がしてしまうが……。北氏が語る。
「契約書は、結ぶときは人情的になぁなぁにやって、契約を履行するとなった途端に突然『契約至上主義』になることが多いです。だから、担当者や出版社のイメージに関係なくしっかり確認するべき。転ばぬ先の杖にもなります。
大きな契約の場合は弁護士に見てもらうのはあり。お金がかかるけれど、後からトラブルになって何十万円と損をするよりはよっぽどましです。
書籍の場合は、日本書籍出版協会のホームページからダウンロードできる出版契約のひな形(紙媒体・電子出版一括設定用はhttp://www.jbpa.or.jp/pdf/publication/hinagata2015-1.pdf)が基準になります。多くの出版社はこれをベースに契約書を作っています。だから、日本書籍出版協会の契約書と比較して、違うところがあったら、なぜ違うのか聞いてみるといい。日本書籍出版協会のひな形は電子書籍にも対応しているし、たくさんの人が使っているので、常に検証されている優れた契約書になっています。
誰かに相談したいと思った時は、中小企業庁がやっている下請かけこみ寺に相談するといいと思います。うち(出版労連)でもいい。あるいは、役所でやっている市民(区民)法律相談もよいでしょう」
ウェブサイトに記事を載せる場合にも契約書や覚書を交わす場合がある。その時は、何を基準にしたらよいのだろうか。
「契約書は単体で見ても判断がしづらいもの。もしいくつかのサイトで記事を書いている人なら、他社の契約書同士を比較するのはひとつの手。比べて違いがあって、その内容に納得できればよいが、そうでない場合は聞いてみるといいでしょう。自分で判断ができない場合は、出版労連に相談に来てもらえたら、一般的なアドバイスはできます」(北氏)
さらに北氏は、「契約書を結ぶことは発注側のメリットが大きい」と話す。
「出版社が正当な権利を守るためにも、きちんと契約書を結んだほうがいいです。今は電子書籍の出版やウェブへの転載が技術的には容易にできてしまいます。もしも契約を結んでいないと、例えば、著者が他社から電子書籍を出すことを止めにくい。出版社が使っている契約書が古い形式のままだと、他の会社から電子書籍を出しても直ちには契約違反と言いにくい場合があります。契約書とは権利依義務関係を明確化するものだから、締結することは双方にとってメリットになります」(北氏)
出版業界では、発注者と受注者で一緒に企画を練り上げていくこともある。また、プレゼンのために無料で依頼をされることもある。その後正式な依頼にならない可能性もあるが、これも下請法の違反となるのだろうか。
「発注外でタダ働きをさせることは、『不当な経済上の利益提供要請』として禁止されています。受注側が同意しているかどうかに関わらず違反なので、発注側は注意が必要。受注側は、長期的に見たらメリットになる場合もあると思います。しかし、発注者にとって法的に問題があるので、難しいところです」(籔内弁護士)
「もしも企画が通らなかった場合は、リサーチ料、少なくともかかった経費を支払ってもらうよう約束しておくといいのでは」(北氏)
なるほど。発注側と受注側で話し合って、事前にトラブルを回避しておいたほうがよさそうだ。
最後に、もしもトラブルが起きて裁判にまでなった場合。業界内で噂が回って、忌避されてしまうのではないかと不安になる人もいるだろう。実際にそういったことはあるのだろうか。
「業界内で村八分にされるとしたら、独占禁止法違反の可能性があります」(籔内弁護士)
「訴えた相手からは仕事は来なくなります。でも、業界から仕事がこなくなるというのは、脅し文句にはあっても、実例は聞いたことがありません。そもそも裁判の内容は様々で、原稿料未払いにあった時、対応してくれない会社に請求するのは当たり前。正当な権利にもとづいて他社に裁判手続きをとったことを理由に、仕事を出さない出版社はまずないと思います。また、出版ネッツに加入し組合として話し合うと、多くの場合は払ってもらえます(実質倒産状態など、どうしても払えないという時は無理ですが)」(北氏)
確かに、文春オンラインの報道にあったような原稿料未払いが起きた場合、支払いを請求するのは正当なことだ。
出版業界の慣例が改めて問われる状況になった今、契約に関する知識は発注側も受注側も身に付けておくべきだろう。その知識は、互いに気持ちよく仕事をして、対等でより良い関係を築くための助けになるはずだ。
<相談窓口>
・中小企業庁 下請かけこみ寺 http://www.zenkyo.or.jp/kakekomi/ 中小企業が抱える取引上のトラブルを、専門の相談員や弁護士に相談できる。スムーズな取引を行うための、価格交渉のサポートも行っている。全都道府県にあり、東京の窓口(下請センター東京)はJR秋葉原駅前にある。
・出版労連(出版労働組合連合会) 相談申し込みフォーム http://syuppan.net/?page_id=315 電話03(3816)2911。出版業界で働く人の労働組合の連合会。出版社、取次会社、書店、フリーランスなど、本や雑誌、ネット媒体に関わる全ての人を対象にしている。対面での相談が可能だが、新型コロナ感染症が収束するまでは初回相談はオンラインを基本に受けている。相談無料、秘密厳守。