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ZOC 藍染カレンは、たくさんの人の心を焼いていくーー「他者を連れ出したい」と願うアイドルとしての信念

2020年06月20日 10:01  リアルサウンド

リアルサウンド

ZOC

「私の将来の夢は『納得のいく人生だった』と言うことです。(中略)一人で踊っていたワンルームから出て広い世界を見るまでは、私は私の人生に納得出来ません」


(関連:【写真】藍染カレン


 「ミスiD2018」のカメラテストで藍染カレンが半ば語気を荒げて言い切った言葉は、悲痛なまでの意志ではちきれてしまいそうだった。モニターを傍観している人間と、モニターの向こう側に行ける人間の袂は、きっとこうした得難い意志とその表明によって分かたれるのだろうと思った。ビビリを自称する彼女は、それでも数多の「こわいもの」を余さず克服しようという姿勢を崩さない。痛くても人生がやめられない。人並みの「こわいもの」しか持たない市井の人々はそれに蓋をするだけで日常生活に支障をきたさず生きていける分イージーモードだし、そちらのほうが傍目に見れば良い人生なのかもしれない。だが、藍染カレンが「こわいもの」に抗う姿には他の人を巻き込む引力がある。同じく「ミスiD2018」の自己紹介PRに記された「わたしと同じようなワンルームを持つ人たちも、いっしょに連れ出したい。いっしょに広い世界を見たい」という言葉はすでに、願いを一身に受け止める偶像たるアイドルのそれである。彼女にとってミスiDは連れ出してもらうための手段ではなく、連れ出すための目的だったのだ。


 中学1年生で友達とのすれ違いをきっかけに不登校、そしてひきこもりになっていった彼女は、通信制の高校に進学するまで一人パソコンのブルーライトというスポットに照らされながら踊り続けた。たぶん今この瞬間も同じような境遇のアイドルファンは全国に点々と息をひそめているのだろう。そしてその多くが彼女のようなシンデレラストーリーへの蜘蛛の糸を心の裡で求めていることだろう。


 だが、藍染カレンは鬱蒼としたアイドル・ワナビーの森の住人ではなかったようだ。現在YouTubeで公開されている個人インタビュー動画のなかで、彼女は「アイドルになる子は(中略)明るくて、歌と踊りが上手な可愛い子が小っちゃい頃から目指してて小学生ぐらいから研修生になってなるものっていう固い認識」があったと語っている。これが当てはまるのはハロー!プロジェクトや一部の48グループ(前者のメンバー予備軍は研修生、後者は研究生と呼ばれる。藍染が指しているのは前者であると思われる)といった自軍内で育成する体力のあるメジャーなアイドルだけであり、アイドル戦国時代に跋扈した大小様々なグループやいわゆる地下アイドルの中には彼女が思っているような芸能人生を送ってきたわけではない女の子がほとんどである。むしろ、「会いに行けるアイドル」AKB48の爆発的な流行が直撃した世代からすれば、アイドルはより身近な存在になっているはずだ。加えて、彼女はインターネットに没頭していたことも明かしている。ともすれば、当然ネットアイドルのような存在にも触れていただろう。素性を明かさず、正式なアイドルでもなく完全な素人でもない立ち位置が成立する現在はまさに総アイドル時代と言っても決して過言ではないのである。そんな環境で頑なにアイドルの道へ進むことを固辞した姿勢からは、箱庭の中で過ごしていた彼女がいかにモニターの向こうのアイドルというものを自分の人生と切り離していたかが判る。


 しかし、彼女は確かにアイドルだった。なぜならミスiDの自己紹介PRにおける「あなたにとってのアイドル」という項目に「画面向こうのあの子とわたし」と答えているからだ。「わたし」をアイドルだとしていることで、先に引用した発言との矛盾を覚える向きもあるかもしれないが、これはあくまで「藍染カレンにとってのアイドル」である。彼女以外の存在はそこに含まれず、故に、彼女の孤城に「画面」と「藍染カレン」しか存在していなかったことがひしと伝わってくるのだ。


 冒頭に戻る。「他者を連れ出したい」と願ったことで、藍染カレンの、藍染カレンによる、藍染カレンのためのアイドルは棄却された。ひたすら内に刺さっていたベクトルは外へ向き、枝分かれし、たくさんの人の心を焼いている。彼女は、自らのクオリアをどこまで伝えることが出来るのだろう。私たちは、どこまで彼女の見ている紅を共有出来るのだろう。きっとこれからもその規模は広がってゆく。だって藍染カレンは今、わたしたちにとってのアイドルなのだから。(清家咲乃)