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森口将之のカーデザイン解体新書 第32回 50周年を迎えたスズキ「ジムニー」をデザインで振り返る

2020年06月10日 11:32  マイナビニュース

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画像提供:マイナビニュース
軽自動車唯一の本格的なオフロード4WDであるスズキ「ジムニー」が今年、デビュー50周年を迎えた。基本的な構造は一貫して不変であり、それが根強いファンを生む理由になってきたが、一方でデザインは社会の変化に合った形を提案してきた。その歴史を振り返ることにしよう。

○ジムニーの生みの親はあの人?

スズキは今年、会社設立100周年を迎えた。その歴史の半分を現役として生き続けてきたことになるジムニー。あらためて小さな大物であることが分かるが、では、そのジムニーの生みの親は誰なのか。筆者は1978年から長年にわたりスズキの社長を務め、現在は会長の座にある鈴木修氏だと思っている。

ジムニー誕生の時期、鈴木氏は東京に駐在していた。このとき、同じ東京の軽自動車メーカーであったホープ自動車との交流が生まれた。同社では軽自動車初の4WD「ホープスターON360」を1967年に開発したが、価格がスズキの軽自動車の倍以上していたうえに販売店も少なく、なかなか売れなかった。

そこで鈴木氏は同社と交渉し、製造権を譲渡してもらうと、自社製エンジンを積み、独自のデザインを与えて1970年に発売した。これがジムニーだ。車名にはオフロード4WDのパイオニアであり、当時は三菱自動車工業がノックダウン生産していた「ジープ」のミニ版という意味が込められたという。

たしかに、オープンボディでフロントフェンダーがボンネットから独立したデザインは、ジープに通じるものがあったが、当時の日本製オフロード4WDは、トヨタ自動車「ランドクルーザー」、日産自動車「パトロール」ともに同じようなデザインだったので、当時のトレンドだったともいえる。

2年後のマイナーチェンジでは、鉄製のドアや屋根を持つバンタイプを追加。同時に、空冷方式だった360ccの2ストローク2気筒エンジンを水冷とした。さらに、1976年には軽自動車の規格が拡大したことに合わせて、前後のフェンダーを張り出すとともにバンパーを大型化し、エンジンは3気筒550ccに置き換えた。その点を強調すべく、このクルマは「ジムニー55」と呼ばれるようになった。

ジムニー55は、ボンネットが盛り上がった形状になったことも特徴だった。これは主に海外向けとして、800ccの4ストローク水冷4気筒エンジンを積む「ジムニー8」を追加したことに合わせたものだ。現在の「ジムニー シエラ」のルーツであるこのジムニー8には、海外専用として、全長とホイールベースがやや長いピックアップも用意した。
○時代を見据えた2度のモデルチェンジ

1981年発表の2代目は一転してシャープかつスクエアなスタイリングになった。大胆な変貌ぶりに驚いた人も多かったが、翌年に三菱自動車「パジェロ」が登場していることを考えると、時流に乗った進化だった。

軽自動車版のエンジンは、当初は2ストローク3気筒のままだったが、1986年には、2ストロークでは排出ガス規制にパスできなくなったことから、4ストローク3気筒ターボに一新。ジムニー初のターボでもあった。1990年には軽自動車の規格拡大に伴いバンパーを大型化するとともに、排気量を660ccにアップ。翌年にはオートマチックを追加している。

小型車登録版は排気量を1リッターにアップした「ジムニー1000」として登場。少数ながらピックアップも国内販売された。1984年にはさらに排気量をアップして「ジムニー1300」になり、ここでジムニー初の5ナンバー、つまり乗用車登録の車種が登場している。1993年には今も使われる「シエラ」というサブネームが起用された。

1995年には両車ともにサスペンションが変わっている。前後リジッドアクスルであることは共通だったが、スプリングが板バネからコイルになり、快適性と軽量化を両立させたのだ。同時にバンパー内蔵だったフロントのウインカーがヘッドランプの脇に移動し、初代を思わせる顔つきに戻ったことも特徴で、これはその後、現在まで受け継がれるスタイルになった。

続いて1998年に発表されたのが、2年前まで販売していた3代目だ。このときも軽自動車の規格が拡大しており、軽自動車のほとんどの車種が一斉にモデルチェンジした。

そのスタイリングは、角を丸めたフォルム、ボディ同色バンパー、ウインカーを内蔵したヘッドランプカバー、ボディに埋め込まれたドアヒンジなど、あらゆる部分が洗練されていた。オープンボディや4ナンバーがなくなり、すべて乗用車登録のワゴンになったことも変化を感じさせた。
○ライバルを寄せ付けない一途な思想

3代目ジムニーがデビューした前年には、トヨタ「ハリアー」やスバル「フォレスター」が登場しており、舗装路での乗り心地やハンドリングを重視した乗用車的なSUVが流行する兆しがあった。

それはジムニーのクラスも同じであり、1994年には三菱自動車から「パジェロミニ」、1998年にはダイハツ工業から「テリオスキッド」が登場した。それまで孤高の存在だったジムニーは、一気に2台のライバルを相手にすることとなったのだ。

この3代目ジムニー、初代や2代目と同じようにフロントグリルは何度か変わったものの、それ以外のデザイン上の変更点としては2012年、前面衝突時の歩行者保護対策としてボンネットが高くなったぐらいである。中身はラダーフレームに前後リジッド式サスペンションという初代以来の構造を一途に受け継いでいた。

ところが、そんなジムニーより実用性や快適性で秀でているはずのテリオスキッドは2012年、パジェロミニは2017年に、販売を終了している。挑戦者が相次いで撤退したことで、ジムニーは再び孤高の存在に戻ったのだった。

その裏には、2014年発売の「ハスラー」の登場が関係していると思っている。「ワゴンR」をベースに生まれたSUVという成り立ちは、パジェロミニやテリオスキッドよりさらにライトだったが、SUVをファッションとして乗りたい人が増えていた当時の日本にはぴったりのキャラクターだった。

そして、ハスラーが受け入れられたからこそ、ジムニーは現行型へのモデルチェンジで、ヘビーデューティさを前面に出すことができた。しかも、フロントグリル両脇のウインカーは初代、エンジンフード脇のルーバー風プレスは2代目を思わせる造形とするなど、歴史の長さをいかしてブランドの価値を高めていくという新しい挑戦も行なっている。

第2次世界大戦中の軍用車をルーツとするジープ、終戦直後にそのジープに影響を受けて誕生したランドローバー「ディフェンダー」やトヨタ「ランドクルーザー」など、SUVには長寿モデルが多い。50歳を迎えたジムニーも、その仲間の一員に入れていいのではないかと思っている。

○著者情報:森口将之(モリグチ・マサユキ)
1962年東京都出身。早稲田大学教育学部を卒業後、出版社編集部を経て、1993年にフリーランス・ジャーナリストとして独立。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。グッドデザイン賞審査委員を務める。著書に『これから始まる自動運転 社会はどうなる!?』『MaaS入門 まちづくりのためのスマートモビリティ戦略』など。(森口将之)