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『15年後のラブソング』は踏み出す元気を与えてくれる 全編にわたるロックへの愛情

2020年06月09日 10:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『15年後のラブソング』 (c)2018 LAMF JN, Ltd. All rights reserved.

 恋は盲目というけれど、それは熱烈なファンにもいえること。自分の好きなアイドルや俳優を追いかけ、いつも世界の中心に「憧れの人」がいる。自分の恋人が誰かの追っかけだったりするだけでも何かと面倒なのに、恋人の憧れの人が自分のことが好きになったら? そんな思いもよらない三角関係を描いたのが『15年後のラブソング』だ。


参考:イーサン・ホークも絶賛 レモンヘッズ元メンバーが『15年後のラブソング』監督に抜擢された理由


 時が止まったようなイギリスの港町に暮らしている30代の女性、アニー(ローズ・バーン)はロンドン大学で美術史を学んだが父の病気で地元に戻り、父親から譲り受けた小さな郷土博物館を切り盛りしている。地元大学の客員教授をしている恋人のダンカン(クリス・オダウド)は、以前は知的な刺激を与えてくれたけど今ではオタク気質が全開。特にダンカンが入れ込んでいるのが、アメリカのロック・ミュージシャン、タッカー・クロウ(イーサン・ホーク)だ。


 1993年にファースト・アルバムにして名盤『Juliet』を発表したタッカーは、恋人と破局したことに傷ついてツアー中に行方不明になった、というロマンティックな逸話の持ち主。タッカーに心酔するダンカンは、タッカーのファンサイトを主宰して、毎日世界中のタッカー・ファンと激論を交わしている。ある日、『Juliet』の貴重なデモヴァージョン、『Juliet, Naked』を手に入れたダンカンは、それを毎日宝物のようにして聴いているが、アニーにはたいした曲には思えない。タッカーを神扱いするダンカンにイラついたアニーは、匿名で『Juliet, Naked』を批判するコメントをダンカンのサイトに投稿。そのコメントを読んで「その通りだよ」とアニーにメールを送ってきたのは、なんとタッカー本人だった! 


 1993年といえばオルタナ・ロックが一世を風靡した時期。熱狂的なファンを持ちながら突然姿を消したタッカーは、まるでオルタナ界のJ・D・サリンジャーだ。さぞかし、カリスマ的な人物かと思いきや、今ではすっかりお腹が出て、元妻と小さな子どもとアメリカの田舎で引きこもり生活を送っていた。こういうダメ男を魅力的に演じられるのがイーサン・ホークで、本作でもその持ち味を発揮している。今ではロックスターの輝きは失ったものの、アニーが次第にタッカーに惹かれていくのは、これまで何人も女性を口説いてきたタッカーの優しくてユーモアたっぷりの語り口のせいだろう。田舎育ちのアニーにとって、伝説のロックンローラーは白馬の王子様だ。「2009年度の最も美しい顔トップ100」で1位に選ばれたローズ・バーンがコメディエンヌぶりを発揮。イーサンとの相性も抜群で、アニーとタッカーは『ユー・ガット・メール』のようにメールで気持ちが高まっていき、ついに二人はイギリスで会うことに。一方、ダンカンは一足先にリアルな浮気をして、それを悪びれることもなくアニーに告白して2人は別れる。いつもながらに相手の気持ちを考えない自己中ぶりだが、そのしっぺ返しとして、憧れのタッカーと元カノが恋に落ちるとは……。アニーの家にタッカーが滞在していることを知ったダンカンは、いてもたってもいられない。


 悪いやつではないけれど面倒臭い。そんなオタク気質をシニカルな笑いにしているのは、原作者であり脚本を手がけたニック・ホーンビィの得意とするところ。これまで『ハイ・フィデリティ』『アバウト・ア・ボーイ』といった小説が映画化されたホーンビィは、ロックとサッカーの熱狂的なファンで自分の中に潜むオタク気質を自虐的な笑いにしてきた。ダンカンを演じるクリス・オダウドは『ハイっ、こちらIT課!』でブレイクしてコメディには定評があるだけに、ダンカンみたいなクセのあるキャラはお手のもの。隙さえあれば相手構わずタッカーの魅力を熱く語り、『Juliet, Naked』を聴きながら真夜中の海岸で涙ぐむダンカンの陶酔ぶりを、苦笑いしながらみる音楽ファンは多いだろう。なかでも、アニーからタッカーを紹介されて夢見心地で一緒に食事をしている時に、曲の解釈を巡って曲を作ったタッカーと喧嘩するという暴走ぶりがイタすぎる。でも、そこでタッカーに「曲はファンのものでもあるんだ!」と訴える姿は胸を打つ。それはファンなら誰もが思う心の叫びだ。


 もちろん、本作は熱狂的な音楽ファンを笑う作品ではなく、全編にわたってロックへの愛情に満ちている。何しろ、監督を務めたジェシー・ペレッツは、オルタナ・ロック・シーンを代表する人気バンド、レモンヘッズの初期メンバー。サントラを担当したネイサン・ラーソンは、オルタナ・シーンで活躍したパンク・バンド、シャダー・トゥ・シンクの元メンバーで、映画の中でバンドマンの一人として出演もしている。そして、物語を彩るのは様々なロックの名曲とタッカー=イーサン・ホークの歌声。タッカーのオリジナル曲を手がけているのは、ブライト・アイズことコナー・オバースト、ライアン・アダムス、ロビン・ヒッチコックという、アメリカのインディー・ロック好きにはたまらない面々で、どの曲も3人の持ち味が出た良い曲ばかり。そして、最近ではジャズ・ミュージシャンのチェット・ベイカーの伝記映画『ブルーに生まれついて』で雰囲気たっぷりの歌声を聴かせてくれたイーサンは、やはりロックがよく似合う。イーサンは『リアリティ・バイツ』で大学をドロップアウトしてバンド活動している青年、トロイを演じてブレイクしたが、タッカーの姿にトロイの「その後」を思い浮かべる映画ファンもいるだろう。


 オタクなダンカンとモテ男のタッカー。2人は正反対のようで通じるところがある。ダンカンは自分の趣味の世界から、タッカーは引きこもり生活から抜け出すことができない。そして、そんな2人に恋してしまったアニーもまた、生まれ育った町を出たいと思いながら、その夢を果たせないままくすぶり続けてきた。目の前にある見えない壁を乗り越えられない3人の男女。そんな大人になれない大人たちが出会うことで、それぞれがどう変わっていくが本作の見どころ。なかでも、アニーが正反対の2人の男性との恋を通じて、ひとりの女性として成長していく姿が暖かな眼差しで描き出されている。三十路を過ぎてからだって、まだまだ人生は変えられるのだ。何かと大変な日々が続くなか、『15年後のラブソング』は新しい生活に向けて一歩踏み出す元気を与えてくれるだろう。


■村尾泰郎
音楽と映画に関する文筆家。『ミュージック・マガジン』『CDジャーナル』『CULÉL』『OCEANS』などの雑誌や、映画のパンフレットなどで幅広く執筆中。