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ジュリアス・オナー監督が語る、『ルース・エドガー』の普遍性とキャスティングに込めた思い

2020年06月05日 10:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『ルース・エドガー』(c)2018 DFG PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.

 映画『ルース・エドガー』が6月5日より公開中。2019年のサンダンス映画祭でプレミア上映され、全米の賞レースで20を超える賞にノミネートされた本作は、17歳の黒人の高校生ルースの知られざる内面に迫り、人間の謎めいた本質とアメリカの現実をえぐるサスペンスフルなヒューマンドラマだ。


 監督を務めたのは、Netflixオリジナル『クローバーフィールド・パラドックス』でJ・J・エイブラムスとタッグを組んだジュリアス・オナー。今回リアルサウンド映画部では、オナー監督にインタビューを行い、キャスティングで意識したこと、本作を考える上での重要な概念「リスペクタビリティ・ポリティクス」について話を聞いた。


参考:社会派サスペンスの秀作『ルース・エドガー』 その「社会派」と「サスペンス」の意味を深掘りする


■アメリカ国内だけに留まらず普遍的な物語を描いている
ーーアメリカ社会の人種や難民の問題について鋭く切り取った本作ですが、日本人の私が観ても、自身の心の奥底にある“偽善者”的な感情を引きずり出されたような感覚を得ました。この“偽善者的な感情”というのは、アメリカだけでなく、世界中で共有されるものだと思いますが、監督はどのように考えていますか?


ジュリアス・オナー(以下、オナー):100%そう思います。本作は非常に普遍的なことを描いていると思います。日本やドイツ、スカンジナビア半島、スウェーデンも同じく、より文化的多様性に富むグローバルな社会になってきています。その中で普遍的に頭をもたげるのが、アイデンティティの問題、権力や特権の問題です。いろいろな国の方とこの作品について話すと、みなさんから等しく「まるで鏡のような映画だった」「自分自身が思い描いているステレオタイプについて振り返らせる映画だった」といった反応をいただきます。僕としても、この作品はアメリカ国内の人種差別の話だけではなく、アイデンティティそのもの、普遍的な話を語っているつもりです。人が抱える先入観は、その社会において「誰が権力の座につけるのか」「誰が特権を持てるのか」といったことが色濃く影響しますし、それによって「誰が人間的な生を送ることができるのか」を決定づけるので、国を問わず共通する議題だと思っています。


ーー本作が描くリスペクタビリティ・ポリティクス(差別されないように模範的な行動を取ること)の概念に対し、どのような意識で挑まれたのでしょうか?


オナー:リスペクタビリティ・ポリティクスは、もともと原作の戯曲でも描かれていましたが、アフリカ系アメリカ人としての私自身の経験でもあります。黒人であるということには、様々なネガティブなステレオタイプが付随します。そういった人種や文化に対する偏見を抱えるマイノリティに属していると、個人として突き抜けるくらいに優秀な存在でないと、ステレオタイプとして扱われてしまう。そのステレオタイプに陥らないためには細心の注意を払い、模範的な行動を強いられるわけです。でもそうなると、それぞれの人間としての経験/体験を許さないことになってしまう。この作品はそういった問題に対して問いを立てています。確かに世界は多様な社会になってきましたし、人種偏見はいけないという風潮になってきています。しかし、歴史が醸成してきたマイノリティに対する固定観念によって、その人がどんな人生を歩むことを許されているのかは、まだ掘り下げられていないんじゃないかなと思います。歴史の中で培われた偏見を跳ね返すために頑張らないといけないわけで、それには大きな疲弊が伴います。そのように、ステレオタイプによって生き方を制限されるのは、人間性を否定することです。ルースという青年は社会の中の人種問題や偏見についてなど、様々な問題を提示するキャラクターです。ただ、人種差別や偏見を持つことがダメだよという明確なメッセージを伝えたいのではなくて、この作品では、「なぜ不平等が生まれるのか」「このルースという少年はこの後どうなっていくんだろう?」など、観客に考えてもらう問いをいくつも投げかけたかったんです。


ーーJ・C・リーによる戯曲『Luce』を映画化した本作ですが、映像にするにあたり意識した点を教えてください。


オナー:戯曲と一番違うのは結末ですね。ネタバレになるといけないので、詳しくは言いませんが、原作では主人公の行為に対して答えを提供しています。それはそれで戯曲として効果的なことだと思いますが、映画の方向性とは違うなと思いました。より観客に考えさせる、深く残るような結末にしました。


■ナオミ・ワッツとティム・ロスの共演は偶然
ーー『イット・カムズ・アット・ナイト』『WAVES/ウェイブス』などで近年高い評価を得るケルヴィン・ハリソン・Jr.ですが、共に仕事をして感じた彼の魅力について教えてください。


オナー:彼は素晴らしい役者です。キャスティングを振り返ると、ルース役を誰にするのかは非常に悩みどころでした。なにせルースは17歳で、元少年兵であり、ディベートのチャンピオンで、素晴らしいアスリートと、様々な条件がありましたから。事前の想像では舞台を経験した俳優がいいのかなと考えていましたね。しかし、ケルヴィンは走ることも得意ではないし、舞台俳優でもない。ニューオリンズ出身の音楽が好きなオタクみたいな人なんです(笑)。しかし、彼は音楽的センスがあるからなのか、身体をつかさどるのが巧みで、非常に良いリズム感を持っています。オーディションテープを見て驚いたのですが、見た瞬間に「これがルースだ」と確信したんです。彼はこれから大活躍すると思います。とても自然に自分をコントロールしながら演じてくれるので、カメラが引きつけられ、すごく信憑性が生まれるんです。ルースというキャラクターに具体性を持たせた演技をしてくれました。また一緒に仕事ができればなと思っています。


ーー高校教師・ウィルソンをオクタヴィア・スペンサーが演じるというのは、彼女が『シェイプ・オブ・ウォーター』などの作品で、主人公を助けるような、いわゆる“良い黒人”とも言うべきキャラクターを演じていることも相まって、非常に示唆的に感じました。キャスティングにあたって彼女のこれまで演じてきたキャラクター像は頭をよぎりましたか?


オナー:オクタヴィアも本当に素晴らしい役者で、みんなから信頼されているので、この映画には必要不可欠な人でしたね。過去の役だと、いかにも快活な黒人役を演じているわけですが、ここでは定型通りじゃない役を演じてほしかった。必ずしも好感度100%とはいかないキャラクターを演じていますが、そんな役を受けてくれるかどうか非常に不安でしたよ。なので、「ぜひやりたい」と言ってくれたときには、僕らも大喜びでした。高潔性を持ったキャラクターに仕上がっていると思いますが、必ずしも彼女の劇中での行動には賛同できません。彼女の腕によるところも大きいのですが、そういった複雑な多面的な人間味あふれる役にしてくれました。


ーーキャスティングだと、ルースの養父母を演じたナオミ・ワッツとティム・ロスは、ミヒャエル・ハネケ監督の『ファニーゲーム U.S.A.』でも夫婦役を演じていますね。


オナー:『ファニーゲーム U.S.A.』は大好きな作品ですが、今回に関しては全くの偶然です(笑)。本作に関しては、同じミヒャエル・ハネケの作品で、ジュリエット・ビノシュが出演している『隠された記憶』の影響が色濃いかなと思います。歴史が残した偏見の痕跡を、現代フランス社会の中でどう扱うかを描いていて、やはり観客に似たような問いを立てていますよね。キャスティングですが、まず僕はナオミ・ワッツが『マルホランド・ドライブ』の頃から大好きだったので、お願いすることにしたんです。その後「さあ誰と共演させようか」と考えたときに、たまたまティム・ロスが空いていたので(笑)。運命の不思議な巡り合わせといいますか、たまたま『ファニーゲーム U.S.A.』の夫妻になったという。よく現場でもそういうジョークを言い合っていました。でもルースの行動が不可解でよくわからないので、本作にも『ファニーゲーム』的な要素もあるかもしれません。ハネケの話になりますが、すごく影響力のある監督だと思っていて、政治とか社会とかモラルを真正面から考えて問題提起する素晴らしい監督だなと思っています。


(取材・文=安田周平)