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ベビーカーに乗っていた時から「鉄道好き」 理系出身・甲本晃啓弁護士の「人生時刻表」

2020年06月02日 10:21  弁護士ドットコム

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東大大学院の研究室に泊まり込み、実験に追われる日々。生粋の理系男子が大手食品メーカーの研究職を経て、国際特許事務所で働いたあと、弁護士へ。


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そんな異色の経歴を持つのが、甲本晃啓弁護士だ。企業法務や知的財産権に関する案件を手がけ、インターネットに関係する訴訟にも明るい。プライベートでは鉄道が趣味で、弁護士ドットコムニュースの鉄道関係の解説でもおなじみだ。



新型コロナウイルスが世界中で席巻する中、「簡単にオンラインで弁護士と相談できるようにしたい」と話す。さまざまな業界を垣間見てきた末に、なぜ法曹界にたどりついたのだろうか。甲本弁護士にインタビューした。(弁護士ドットコムニュース・猪谷千香)



●研究室に泊まり込み、PCR検査の日々

甲本弁護士は東京大学大学院時代、バイオ系の研究をしていた。簡単に言うと、どんな研究だったのだろう?



「たとえば、植物を枯らしてしまうウイルスがあります。そうしたウイルスの基礎研究をしていました。今、新型コロナウイルスで話題のPCR検査ってありますよね。当時はあの検査を毎日、何百検体とやっていました。試料の採取から分析まで、長ければ8時間待ち。昼も夜も関係ないので、研究室に泊まり込んでいましたね」



大学院に入ってからはそんな生活を1年間続け、「ここにいたら一生、研究室に根が生えたような生活になってしまう。やばいな」と悩んだという。そこから就職活動を始めた。



しかし、研究室の一歩外は、就職氷河期。苦労を重ね、2001年に森永乳業の研究職として採用された。日本を代表するメーカーで、これで一生、安泰かと思われた。ところが、就職と同じ時期に、競合メーカーの雪印乳業が立て続けに不祥事を起こした。



2000年に発生した脱脂粉乳の食中毒事件。2002年には、子会社だった雪印食品が牛肉の原産地を偽装するという前代未聞の事件が発覚したのだ。一連の事件で、雪印ブランドのみならず、業界への信頼が揺らいだ。



「森永乳業で不祥事があったわけではないのですが、業界全体が縮小してしまい、研究の部門も縮小になってしまったんです。突然、地方の工場に行ってくれと言われて…」



一度は赴任したものの、やはり興味のない仕事を続けることは難しく、退職して東京に戻った。そこから、人生は大きく変わっていく。何をしようかと考えていたとき、知り合いから、「お前、研究論文が読めるんだったら、特許事務所で仕事があるぞ」と声がかかった。



「それから特許事務所に入って、バイオ系の特許を書く仕事をずっとしていました。論文が読めて、特許の作法がわかればそれなりにできるので」



甲本弁護士はそう簡単にいうが、それまで培った研究者としての知識が役立ったのだろう。特許事務所での仕事は気に入っていた。



「当時、景気はかなり沈んでたとはいえ、特許事務所はある程度、仕事がありましたし、自分で仕事も選べました。法律に近い仕事ですので、それが今の弁護士としての基礎にもなっているのかなと思います」





●上司に背中を押されてロースクールへ

転機が訪れたのは2004年、ロースクール制度がスタートしたときだった。



「当時の触れ込みだと、ロースクールに行けば、半分くらいは弁護士になれるみたいな話でした。そのとき勤めていた特許事務所の所長から、『お前は弁護士になれ』と言われたんです。



理由として、2つの仮説があって、1つは本当に僕が弁護士に向いていたため。もう1つは、特許事務所を辞めさせたかったため(笑)。



どちらが正しいのかは所長に聞いてみないとわからないのですけれど、そうこうして1年遅れで2005年から東大のロースクールに入りました」



上司に背中を押されて入ったロースクールは、苦労の連続だった。



「僕は本当に法律を何も勉強していないまま入ってしまったので、3年でキャッチアップするのは難しかったですね。周囲は司法試験のための予備校に通うなど、すでに勉強が進んでいる人が多かった。さすがに全然ついていけなくて…。



ロースクールでは、当時3回の司法試験の受験資格が得られたのですが、『三振』でした。2008年から3回受けてアウトで、受験資格を失いました。その後、自分の勉強が全然足りていないのがわかったので、仕事をしながらでも通えるロースクールが成蹊大学にあったので、そこに通いました」



それから2年で、司法試験に見事合格した。



●ロースクールに通いながらWeb制作、二足のわらじで合格

しかし、途中で弁護士を諦めようとは思わなかったのだろうか。



「2010年当時はもう33歳になっていました。5年もロースクールに通って、仕事らしい仕事はしていませんでした。もうだめだったら、特許事務所に戻るしかないかなと思っていましたが、勉強してるうちに手ごたえは感じていたので、続ければ受かると信じていました」



5年間のロースクール時代に借りた奨学金は計1500万円にもなった。「今でもちょこちょこ返済しています」



奨学金だけでは、生活はできなかった。成蹊大学のロースクールは、18時から講義が始まり終わるのは22時近く。自習室は24時間利用できたので、働きながら勉強するには最適の環境が揃っていたという。



甲本弁護士は、昼間どんな仕事をしていたのだろう?



「そのころは、ウェブ制作をしていました。場所も時間も自由で、それなりにニーズもあって営業しやすい仕事となると限られますが、僕は趣味でプログラムが少し書けたので、中小企業向けにシステムを作りつつ、制作をやるという仕事です。世の中には、本などいろいろな制作物があふれていますが、ウェブはその場ですぐ確認できるので、それが楽しかったですね。



ずっとお客さんがいるので、今はそれを法人化して続けています。さすがにもうウェブサイトのプログラムを書く時間はないので、外部のプログラマーに頼んだりしています」



実は、甲本弁護士は、ネットの黎明期からよく知る古参ユーザーでもあった。



「今はいろいろなシステムがありますが、当時は掲示板とか、素人が誰でもプログラム書いて自分でやってた時代なんですよね。いろいろやってくうちに、自分でプログラムが書ければ、ウェブサイトの更新も省力化できるというのがわかってきまして…、今でも、例えば法律事務所のメールをChatworkに自動転送できるスクリプトをちょこちょこと書いたりしています」



●「このままでは死ぬ」苦労した駆け出し時代

弁護士として新たなスタートを切ったものの、最初はすぐに仕事が来なかった。



「僕の場合、いきなり独立に近かったです。いわゆる『ノキ弁』で、事務所には所属しますが、自分で仕事をもらって、自分で会計をして事務所に一定の経費を納めるというスタイルです。



もちろん、最初はまったく仕事がないわけです。このままでは飢え死ぬと思って、弁護士会に泣きついて、国選弁護人(逮捕・勾留された人に対し、国が弁護士費用を負担してつける弁護人)をやらせてもらいました。それでも、2、3カ月かかって報酬はやっと20万円くらいなんですよ。全然、食べていけないですよね」



なんとかして、ネット経由で徐々に仕事が来るようになった。仕事の幅を広げたいという希望から、当初はさまざまな仕事を引き受けていたが、現在は企業の顧問業務と、もともと特許事務所に勤めていた経験から商標業務が主軸だ。ネットにも詳しいため、SNSでのトラブルなどの相談も受けることが多いという。





●ベビーカーに乗っていた頃から鉄道好き

甲本弁護士は、趣味の鉄道に関する豊富な知識を持っている。いつごろから興味を持つようになったのか、たずねてみると…。



「物心ついたときから好きでした。小さいころに、東急沿線に住んでいたのですが、ベビーカーで電車がよく見えるところに連れていくと、1日中、見ていたと母が言ってました。電車が入れ替わり立ち替わり来るのが楽しかったんじゃないですかね(笑)」



鉄道ファンというと、いわゆる「撮り鉄」や「乗り鉄」といったイメージがあるが、甲本弁護士は少し違う。



「僕の場合はどちらかというと、鉄道の歴史とか、運行システムのほうが好きですね。運行システムは、明治期から現在の状態になるまでを分析したりしています。



それから、たとえば、昔の時刻表で最初の距離数が書いてあるページを見たら、どこの駅でどんな駅弁がいくらで売ってるかとか、食堂車の情報が載っていたりします。そこに、『A定食が450円』とあったら、当時の写真をネットで調べたり、古い雑誌で調べたりして、歴史に思いを馳せています。



昭和何年くらいの鉄道はどんな状況だったのか、模型で再現することも多いです。もちろん、乗るのは好きだし見るのも好きなんですけれど、ほとんど現場に行かないですね(笑)」



鉄道好きが高じて、2000年代前半には自らサイトを運営していたこともあった。



「模型系のサイトを運営していたのですが、当時はネットにまったく情報がなかったんですよね。模型のメーカーは国内に3社くらいあるのですが、そういったメーカーから出てくる情報は、模型屋さんの店頭に行くとFAXで貼ってあるだけでした。



だから、どんな模型がいつ発売されるのかは、模型屋さんに行かないとわからなかったんですけれども、それを全部見に行って紹介する情報サイトを始めたんです。そうしたら、アクセスがすごかったですね。通販もほとんどない時代だったので」



●「簡単にオンラインで弁護士と相談できるように」

鉄道と仕事が結びつき始めたのは、弁護士になってからだ。



「弁護士になってすぐのころ、鉄道の痴漢事件の話だったと思うのですが、テレビで解説する機会があり、相談が来るようになりました。今では、痴漢で困っていらっしゃる被害者の方ももちろん、加害者の方もアクセスしていただいているので、それはとてもありがたいことです」



現在では、鉄道模型の会社の顧問もつとめる。適材適所という言葉が浮かぶ。



「その会社が創業してから現在まで、どんな模型をいつごろ作っていたか、全部頭に入っています。本当に好きでよく見ていますので(笑)。



ただ、鉄道会社の仕事はまだないですね。だいたいが大企業なので、昔から大手の事務所が担当されていることが多いです。1社ぐらい契約できれば、とは思いますね。かなり専門的なところもわかっていますから」



相当数の模型を所持しているが、倉庫に預けているものもあるという。というのも、実は最近、子どもが誕生したばかり。「自宅は赤ちゃんグッズが増えています。もう育児でてんやわんやです」と笑う。



今後は、長年手がけてきた商標の相談に特化したサイトを立ち上げたいとも思っている。



「新型コロナウイルスによるこの状況は、早く改善してほしいと思います。一方で、この状況だからこそ、ネットでの仕事が重要になってきます。弁護士に何か相談したいと思ったら、オンラインで簡単につながることができる。実現すれば、なかなか面白いのではと思っています」



常に現状を冷静に見詰め、前向きに道を選んできた甲本弁護士らしい言葉だった。



【甲本晃啓弁護士の略歴】



1977年生まれ。早稲田大学理工学部応用化学科を卒業後、東京大学大学院新領域創成科学研究科先端生命科学専攻(修士)を修了。専門は分子生物学、研究テーマはウイルスなどの病原体のゲノム解析で、PCR分析にも明るい。その後、森永乳業株式会社を経て、西澤国際特許事務所で勤務。東京大学大学院法学政治学研究科、成蹊大学大学院法務研究科を経て、司法試験に合格した。第一東京弁護士会所属、2014年登録。2017年に現在の弁護士法人甲本総合法律事務所を設立する。鉄道・航空の安全に関する造詣が深く、多くの企業法律顧問を務める。弁護士の専門分野はIT、著作権・商標権。ボランティアとしてカンボジアでの法教育にも注力。特技は親指シフトとプログラミング。趣味のバイクで出かけるのが息抜きで、愛車はクロスカブ。