「女性活躍推進はどうなっている? ちゃんと進めているのか?」「なんとかやっているのですが、やる事がたくさんあって何から手を付けていいの……」「頼むぞ!また聞くからな!」──こんな会話が上層部と行われていないでしょうか。
日本の少子高齢化の勢いは増すばかりです。労働力人口減少から一億総活躍社会の実現が急務となっており、職場では「“女性活躍推進”を早く進めろ!」と言われます。
管理職からすれば「“女性活躍推進”と言われたって、何をすればいいんだ?」と思う人も多いのではないでしょうか。(文:働きがい創造研究所社長 田岡英明)
同じ仕事をしても「男性の名前」を伝えるか「女性の名前」を伝えるかで評価が変わる
女性活躍推進を進めていくためには、身体的な特徴に配慮はしながらも、メンバーが女性であろうと男性であろうと区別なく育て活躍させていく必要があります。逆説的ですが、女性が活躍する職場を作るためには、“女性活躍推進”を意識しない状態を作らなければいけません。
そのためには“アンコンシャスバイアス”に気付き、超えていく必要があります。アンコンシャスバイアスとは、日本語で「無意識の偏見」「無意識の思い込み」と訳される概念で、無意識での「ものの見方やとらえ方の歪みや偏り」のことを言います。
例えば、デザイナーが建てた戸建てに対しての評価額を聞くとき、男性デザイナーの名前を提示した場合と、女性デザイナーの名前を提示場合で、その金額にかなりの開きが生じます。多くの場合、女性のデザイナー名を提示した方が低く出てしまいます。
人間には文化や過去の経験等から、このようなバイアス(偏見)があります。このバイアスが“女性活躍推進”を阻むのです。
アンコンシャスバイアスを超え続けるために必要なこと
“女性活躍推進”におけるアンコンシャスバイアスとしては、
「女性は家にいて、しっかり家庭のことをやるべきだ」
「女性はワークライフバランス優先だ」
「女性は感情的で扱いにくい」
といったものがあります。これらの思いがあると、無意識のうちに女性を活躍させる言動にブレーキがかかります。そして、このブレーキの言動は女性に伝わり、女性メンバーのモチベーションを低下させてしまうのです。
アンコンシャスバイアスを超えるためには、相手の本音に気付いていく必要があります。そのための流れとしては、以下のステップが必要です。
ステップ1:管理職自身が自分自身のアンコンシャスバイアスに気付く
ステップ2:自分と女性メンバーの違いに気付く
ステップ3:女性メンバーの思いを受けとめていく
このステップを踏んで、仕事を任せ、成長を支援していけばいいのです。私自身も製薬会社でのプレイングマネジャー時代、初めての女性部下の育成に悩んだ経験がありました。その悩みを解消してくれたものもこの3ステップです。
最も大切なのがステップ1です。しっかり自分自身を振り返るタイミングを持つことが必要なのですが、私は女性のメンバーを持つようになってから日記をつける習慣を持ちました。自身の一日の動きを振り返り、自分の女性に対する偏見を自覚して克服していくのです。
ステップ2とステップ3をクリアしていくには、女性メンバーとの本音のコミュニケーション機会が必要となってきます。そのため、職場における女性活躍推進でまずやっていかなければならないのは“女性部下の話を聞く面談”です。
管理職自身のそのメンバーへの期待はいったん横に置き、メンバーの不満や満足、そしてこれまで培ってきた能力を聞きながら、キャリアイメージを確認します。それができたら、管理職として支援できることをしていけばいいだけです。
ここからは男性社員への対応とまったく変わりません。ただ、一つ気をつけなければならないのは一般的に女性の思いはライフイベントで移ろい易いと言われていることです。
いったん理解したつもりでも、その理解が長く合っているとは限りません。そのため定期的な面談の機会をチームのルールとして持つ必要があります。この行動が、女性のみならず多様な思いを持つ部下の活躍を支援し、組織成果に繋がっていきます。
以上、今回は“女性活躍推進”をせよと言われて、何をしていけばいいのか、最初のステップをお話ししました。“女性活躍推進”を意識しなくなるまで続けていってください!
【著者プロフィール】田岡 英明
働きがい創造研究所 取締役社長/Feel Works エグゼクティブコンサルタント
1968年、東京都出身。1992年に山之内製薬(現在のアステラス製薬)入社。全社最年少のリーダーとして年上から女性まで多様な部下のマネジメントに携わる。傾聴面談を主体としたマネジメント手法により、組織の成果拡大を達成する。2014年に株式会社FeelWorks入社し、企業の管理職向けのマネジメント研修や、若手・中堅向けのマインドアップ研修などに携わる。2017年に株式会社働きがい創造研究所を設立し、取締役社長に就任。