トップへ

劇団おぼんろ・末原拓馬が無観客上演の真意語る「僕らは観客との約束がある」【私たちのおうち時間#1】

2020年05月27日 19:02  マイナビニュース

マイナビニュース

画像提供:マイナビニュース
●観客との約束がある

新型コロナウイルス(COVID-19)の急速な感染拡大や症状の重さなどにより2020年4月7日、政府から「緊急事態宣言」が発出された。アニメ・ゲーム・声優業界ではこれを受け、アフレコやラジオ番組の収録ストップ、演劇やライブといった人が集まるイベントの開催延期・中止を多数のコンテンツが判断した。宣言が解除された今も、"いつも通り"からはまだまだ遠い状況が続く。

そんな状況下でも、リモートでの番組収録、YouTubeチャンネルの立ち上げや配信、SNSでの近況報告やライブ配信など、“いま、自分ができること”を考え、行動に移している人たちがいる。その配信で「元気」「勇気」をもらう人は少なくないだろう。筆者・M.TOKUもその一人だ。

マイナビニュースでは、そんな活動や想いを広く人に知っていただくべく、「私たちのおうち時間」企画を実施。それぞれの「おうち時間」企画を振り返ってもらったほか、自粛期間中の過ごし方、そして、こんな時だからこそ、自身が感じる“エンターテイメントのチカラ”について話を聞いた。

今回は、舞台『メル・リルルの花火』の公演を自宅のパソコンやスマートフォンから楽しめる「サテライト生上演」形式として展開した、劇団おぼんろ主宰の末原拓馬に、リモート取材でインタビューを行った(取材日は5月中旬)。
○●楽しむことは許されるんだよ

――『メル・リルルの花火』は元々、新宿FACEで4月に上演される予定だった公演でした。

2019年末に公演の情報が公開され、チケットも売れ始めて、いよいよ稽古だという公演約2か月前、新型コロナウイルスの影が忍び寄ってきました。ただ、そのころはまだこのウイルスの恐ろしさがどれほどのものなのか、一般的にも十分に理解されているとは言えない時期でした。だから、同業者でも「お前のとこはやるの?」みたいな話をしていて。うち(劇団おぼんろ)も3月16日が稽古初日だったので、まさに真っ只中だったんです。

――そんな中、『メル・リルルの花火』は会場に観客を招かずに公演を行うことを発表。その後、「緊急事態宣言」の発出前に、出演者全員が別々の場所から配信し、音と語りを頼りに想像力で楽しむ「ノーアングル生上演」として、YouTubeにて生配信される形に変更となりました。公演延期ではなく、配信での上演というスタイルを取られたのには、どういう背景があったのでしょうか?

僕らは、観客との約束がある、待ち合わせをしている、という気持ちがすごく強くて。『メル・リルルの花火』のために、何カ月も前から予定を空けてくれて、新幹線を予約してくれている人だっている。それなのに、劇団として、これまで支えてくれたファンに、何もできませんということはしたくなかったんですよね。かといって、情勢を無視して普通に公演を行うというのは、誠実じゃないなと思ったんです。

――だから、延期ではなく、上演はしようと。

そうですね。それに、3月頭って「これからどうなっちゃうんだろう」って、不安になっている人がすごく多かったと思うんです。でも、そんなときでも「楽しむことは許されるんだよ」ということを提供する、それ自体がひとつの作品であり、我々に課せられている任務だと思って、「ノーアングル生上演」という形式を取りました。

――「待ち合わせしている」「楽しむことは許される」という言葉にグッときました。しかし、同じ演目とはいえ、配信で、しかも音声での上映となると、そのままスライドしてできるというものでもなかったかと……。

本来は生で演劇をやるために作ってきた作品なので、そのままスライドすることはできませんでした。中には、収録にしちゃうほうが楽だし、何かをやるっていうだけでも十分及第点だろうという意見もあったんです。でも、今の状態での100点って何だろう、収録した映像をそのまま配信しても意味ないのでは、と思ったんですよね。そこで、頭をひねって、今回の形式に行き着きました。

○●想像以上に“演劇のまま”の感覚でできた

――実際に「ノーアングル生上演」をするとなって、苦戦したことは?

もう、めちゃくちゃ苦戦しましたよ(笑)。劇団員の年齢も、上はおじちゃん・おばちゃんですし、そもそも自分がLINEすらやっておらず、「アナログに誇りを持っています」という人間だったので、オンライン上で集合するだけでも大変で……。今でこそZoomなどビデオ通話サービスの操作にも慣れましたけど、少し前までは「いや、どこにいんの今」とか、「あれ、あいつがいない」とか、打ち合わせするのも一苦労。生配信すると決めてから上演まで残り2週間くらいしかなかったのですが、そのうち1週間は「ノーアングル生上演」でできるのかどうかの検証に費やしたので、とにかく時間がありませんでした。

――かなりしびれるようなスケジュールですね……!

ただ、僕らにとって救いだったのが、想像以上に“演劇のまま”の感覚でできたことです。稽古でも、「おはようございまーす」「はいはい、ナントカさん」と、いつも通り集合して始めることができました。劇団員は稽古をしていくなかで、みるみる元気になっていきましたね。

――それまでは暗いムードが漂っていた?

3月は鬱々としていましたよ。できるのかなって。しかも最初、会場に観客を招いての上演が難しいかもとなったときに考えた「マルチアングル上演」(※)がすごくよかったんですよ。もしかしたら、普通の公演よりもいいものができるんじゃないか、なんなら世界中からちやほやされる発明をしてしまったかもってくらいに。その挑戦がすごく楽しくて、台本もマルチアングル用に書きあがって俄然やる気になっていたんです。その翌日ですね。一緒に公演準備を進めてきたホリプロインターナショナルの金成(雄文)さんと「これ、もう集合しないほうがいいね」という話をしたのは。

※「マルチアングル上演」:本記事では、同時に複数の物語が展開する中、好きなカメラを選んで、出演者と同じ目線で物語に没入できるという上演スタイル、及び配信形態のことを指す

――スタッフも集まるのはやめようとなった。

その話をしたときは、みんな泣いたり固まってしまったりしてしまって。「もうどうすんの」ってなって。それでも、約束があるからということで、「ノーアングル生上演」に向けての準備を進めたんです。音声での配信が決まってから、物語自体も「登場人物が配信している」という設定にしました。「それってラジオドラマのこと?」「朗読劇?」などという意見も出て、自分自身もお客さんから何と言われるのか分からず、当日もお腹をくだすくらい緊張しました。そもそも、単純に音声ものであれば、生よりも収録したほうがクオリティの高いものが仕上がるんですよね。収録だと後からボリュームなどの調整ができますので。

――それでも、生配信にこだわったんですね。

それが僕らの行き着いたところでした。僕らが芝居をやっているときと同じ時間に、受け取ってくれる人がいる。「この日、ここで会おう」って待ち合わせをする、それを楽しみにすること自体が演劇なんじゃないかって思ったんです。オシャレして劇場に行って、ドキドキしながら上演を待つっていうのと同じような感覚かもしれません。そうじゃないと、僕らはNetflixやAmazonプライムなどがある時代に、勝ち目はないと思うので。

――空間自体が「演劇」だから、生でやりたかった。

例えば餃子を食べるにしても、お店で出される綺麗なものと、娘が一生懸命に捏ねて作った餃子、どっちが一生の思い出に残るのかって言ったら、娘が作ったほうになるはず。それと同じように、『メル・リルルの花火』が皆さんの思い出に残るには、どういう形態がいいのかなと考えたんですよね。僕は「今、この瞬間に自分を思っている人がいるんだ」っていうことが、人間の一番の根本的な幸福なのでは、と思っています。だから、今回も配信という形ではありましたが、「今この瞬間にあなたの為にやっている。安心して」という気持ちはありましたね。

――本公演は配信でありながらも、ぬくもりみたいなものを感じることがありました。今のお話を聞いて、その理由がなんとなくわかった気がします。

「誰かがいる」っていうことを感じて欲しかったんですよね。

●一瞬だけの「ああ楽しかった」で終わらせたくない
○●残ったものが何かに目を向けたほうがいい

――ある程度日常が戻ったあとも、こういう配信での上演をしていく可能性はありますか?

これは一生涯やっていけるかなと思っていますし、実はもう動き出しています。例えば、執筆はしていても、発表するタイミングがなかなか合わなかった短編などをノーアングルでやるのは面白そうです。あとは、今回果たせなかった「マルチアングル」も実現したいですね。「マルチアングル」での配信は、ひょっとしたら流行るんじゃないかな。生で顔も見えますし、演出もフレームインとか色々とできる。映画と演劇が混ざったような公演ができる気がしています。

――新しい発見ができた。

そうですね。あまりバーチャルに偏ることを僕は「良し」と思っていませんでしたし、演劇の演出に関しても、メカやプロジェクションは入れないでやりたいと思っていました。でも、今は付き合いかた次第かな、と思うようになっています。

――こういう状況だとネガティブになりがちですが、ポジティブに考えていらっしゃるんですね。そういう行動に勇気づけられる方も少なくないと思います。

人間の心のサガとして、「犯人がいて欲しい」って考えてしまうところがあると思うんですよね。僕も、自分たちに対して敵がいる、という構造が頭に作られちゃうことがあります。でも、いや、だからこそ、こんなときに変わらず「バカだねぇ」ってことを、「バカだねぇ」って言われ続けて、やり続けられること自体が大切なことだったのかもしれません。

あと、今回は仲間がいたのが大きかったですね。みんながずっと震えていたから、その分強くなれたと言いますか。本当は「やべえ」と思いながらも、「ぜんぜん平気、普通にやろう」と言うことによって、自らを奮い立たせることができました。

――仲間の大切さを改めて感じた。

危機的状況だから感じられたというのはありますね。離れているから心配させないようにしようっていう思いやりがお互いにあったとも思います。普段以上にしゃべっていたような気がしますね(笑)。

――熱いお話、ありがとうございました。ここからは、自粛期間中のお家の過ごし方についてもうかがえればと思います。公演の準備もあったかと思いますが、それ以外で自宅ではどのようなことをやられていましたか?

僕は、ただただ絵を描いて音楽を作って、新しいお話を書いていました。絵に関しては水彩などを元々やっていたのですが、この機会にアクリル絵の具で絵を描く練習を始めました。動画編集なんかも始めましたね。もっと色々と挑戦したいなと思っています。あとは金成さんがお誕生日だったので、短編の物語を作ってオンラインで収録し、合唱もミックスしてお祝いする、なんてこともしました。

――色々なことに取り組んでいらっしゃいますね!

これは、僕がバスケをやっていた頃に憧れていた、田臥(勇太)選手のエピソードなんですけども、彼はポジションがガードだから、ドリブルが上手じゃないといけなかったんです。それなのに、ある日、右手を骨折してしまうんですよ。でも、その期間に左手でドリブルをしていたら、両手とも上手になれた。結果的に骨折してよかったってお話があって。だから僕も、何かあっても「これは何かのチャンスなんだ」と考えるようにしていますね。

――今回の公演もそうですが、ピンチになったとき、どうするかを考えて行動に移してきたんですね。

ショックを受けている時間がもったいない気がして。なくしたものより、残ったものが何かに目を向けたほうがいいと思うんです。かと言って、なかなかすぐに行動するのは難しい。でも、最初にポジティブになれる人が一人でも出てくると、みんなも付いていけると思うんですよ。うちも、「リモートでやるのなんて、無理」ってみんなが思っていました。でも、誰かが「できる」って行動したら、もうみんなが動き出せたんです。そういう意味では、「おうち時間」って言葉を作った方はすごいですよね。外に出られないっていう状況を「家にいられる」というポジティブな方向に転換した。発想の転換が素晴らしいと思います。
○●雨に意味を付けられるのが「エンターテインメント」

――先ほどお話のなかにあがった「おうち時間」企画では、同業者の方々も色々な動きをされていました。そのなかで印象に残っているものがあれば、教えてください。

そういうのを見てしまうと、自分の考えがそっちに寄ってしまいそうなので、実は普段からあえて見ないようにしているんですよね。でも、この期間でやられていた「音楽の繋がり」なんかはいいなと思いました。あと、海外ではオンライン上で演劇を公開していて、すごいと思いました。だって、今のタイミングで無料公開する必要ってあんまりないじゃないですか。それこそ、公演が中止になったなら、有料でやって予算の補填にもできる。でも、エンターテイナーだから黙っていられなかったんでしょうね。もちろん宣伝したいという意図もあるんでしょうけども、人を楽しませることを、やらずにはいられなかったんだと思います。そういう同業者の本性が知れて、嬉しいですね。

――個人的には、そういう楽しみがあるからこそ、生きている実感が湧くという気もしています。

そうなんですよね。こういっちゃなんですが、人間って生きるってだけなら、そんなにすることはないと思うんです。食べる・寝るなどをすれば生きてはいける。でも、それでいいのかって話で。だからって、「エンターテインメントが重要なんだ」ということを言いたいわけじゃありません。「エンターテインメント」に触れなくても、とにかく、「楽しむ」ってことが必要だと思うんです。だって、神様は食べ物を食べておいしいって感覚になるように人間を作ったんですよ。別に栄養があるかないかだけ分析できるようにしていれば、生きる機能は維持できるのに、わざわざ「おいしい」と感じるよう設定してくれた。音が心地よいって感じるのだって「楽しみなさいよ」っていうことなんだと思います。この「楽しむ」っていうオプションは、恵みなんでしょうね、なんで哲学みたいなこと語っているんだろ(笑)。

――すごく素敵なお話だと思います! そんな末原さんが感じる、「エンターテインメントのチカラ」や魅力について、教えていただけないでしょうか?

僕は、物語というものを大事にしています。例えば、この取材が一生で一回しかできない、これが終わったらもう二度と会えないって設定の物語だとすると、すごく尊くなるし、物の見え方が変わってくると思うんですよ。僕らは雨が降ったら、それを止めるなんてことはできません。でも、その雨に意味を付けられるが「エンターテインメント」なんだと思います。例えば、ハードロックを聞きながら雨を見るのと、ボサノバを聞きながらでは、全然見え方が違うと思います。これは、気分と言ってもいいかもしれません。その気分の在り方をちょっとだけ導けるのが、「エンターテインメント」かな。

今回特に思ったのは、日常から逃げ込むだけの物語じゃなくて、日常に持ち込める物語を作りたいということ。現実を忘れてもしょうがないというか、一瞬だけの「ああ楽しかった」「ああ気持ちよかった」で終わらせたくないと思ったんですよね。24時間のうち1~2時間エンターテインメントに触れたとしても、人間には残り22時間がある。それが毎日続くのだから、たった2時間だけ気を紛らわすものにするんじゃなくて、一生続くものにしたいんですよね。その体験が思い出になって、「人生のお守り」みたいにしてもらえると、嬉しいですね。

――最後に、ある程度日常が戻ってきたときに、どんなことをやりたいですか?

やっぱり、芝居ですね。落ち着いても落ち着かなくても、やりたいのは物語をやるってこと。それしかないです。あとは、やっぱりみんなに会いたいですね!(M.TOKU )