2007年シーズンのMotoGPでチャンピオンに輝いたケーシー・ストーナー 2001年までの世界GP(WGP/World Grand Prix)の略称で行われていたロードレース世界選手権。2002年から最高峰のバイクが4ストローク990ccとなり、シリーズの名称もMotoGPへと変更された。しかし、MotoGP初年度は2ストローク500ccマシンと4ストローク990ccマシンが混走する状況でのスタートとなった。2002年から2019年までの『MotoGPの軌跡』を連載形式で振り返っていく。
————————————————————
2007年はマシンの排気量が800ccに変更された。これによりトップスピードは下がったものの、コーナリングスピードは上がり、マシン造りの方向性は990cc時代から変化を見せた。また、ガソリンタンク容量が21リットルに減少するなど、燃費の面でも厳しい戦いを強いられることになった。
MotoGPクラス2年目のケーシー・ストーナーはドゥカティに移籍、この年の開幕戦カタールでポール・トゥ・ウインを飾った。ストーナーはその後、勝ち星を重ねて行き、シーズン11勝を上げてチャンピオンを獲得している。ドゥカティにとっても、ブリヂストンタイヤにとってもMotoGP初タイトルとなった。
ランキング2位にはダニ・ペドロサ(ホンダ)が続いた。ペドロサはシーズン2勝を記録して、バレンティーノ・ロッシ(ヤマハ)をわずか1ポイント差で抑えた。ロッシは4勝を上げたものの、ランキング3位に終わり、2年連続でタイトルを逃す結果となった。800cc初年度のヤマハYZR-M1はトップスピードの面でハンディを抱えるなど、苦しいシーズンとなった。
ランキング4位にはジョン・ホプキンス(スズキ)が続いた。スズキは800㏄化を前に、990cc最終年に(圧縮した空気の力でバルブを閉じる)ニューマチックバルブを投入するなど、800cc化を見据えたマシン作りを行なっていた。チームメイトのクリス・バーミューレンはランキングは6位だったものの、第5戦フランスGPでスズキのMotoGP初勝利を記録。2007年年シーズンはランキング上位4位までを4メーカーが分け合うなど、新しいレギュレーションにより、マシンパフォーマンスの勢力図は接近した。
一方、ディフェンディングチャンピオンのヘイデンは800ccのホンダ・ニューマシン、RC212Vに苦戦し、ランキング8位に終わった。
カワサキからホンダのサテライト、コニカミノルタ・ホンダに移籍した中野真矢はランキング17位、ダンロップ・ヤマハ・テック3に移籍した玉田誠はランキング18位となった。
ブリヂストンの初タイトル獲得により、タイヤの競争も激しくなった。これまで最高峰クラスに君臨し続けてきたミシュランの足元がゆらぎ始めて来た、2007年はそんなシーズンだった。
■2008年シーズンはブリヂストンタイヤが優位に
2008年シーズンはロッシとヤマハが巻き返した。この年はロッシと前年のチャンピオン、ストーナーがタイトル争いを展開。最終的にロッシが9勝、ストーナーが6勝を記録した。
タイトル争いを分けたのは、シーズン中盤の第11戦アメリカGP、ラグナ・セカ。このレースで激しく競り合ったふたりだったが、ストーナーがコースオフ。このときロッシのブレーキングが通常よりも早かったのではないかという疑惑があり、それを避けてストーナーがコースアウトを強いられたのでは、という見方があった。その後、ストーナーは、第12戦チェコGP、第13戦サンマリノGPでノーポイントに終わり、ロッシのリードを許してしまった。
ロッシはこの年からタイヤをブリヂストンにスイッチ。また、ホルヘ・ロレンソ(ヤマハ)がMotoGPクラスにステップアップし、ロッシのチームメイトとなったが、ブリヂストンを履くロッシに対して、ロレンソはミシュランと同じチームでタイヤメーカーが分かれた。
タイヤに関しては、ブリヂストンがアドバンテージを持ち、チェコGPではミシュランが持ち込んだタイヤが決勝でもたないという異例のトラブルも発生。ペドロサもシーズン中に異例のタイヤメーカーの変更を行うなど、これらが翌年からのワンメイクタイヤ化のきっかけともなる。
チャンピオン争いは後半戦にロッシがリードし、2005年以来となるチャンピオンを獲得。ヤマハは3冠を達成した。ストーナーはランキング2位、ペドロサがランキング3位に続き、ルーキーのロレンソは、第3戦ポルトガルGPで初優勝を達成し、ランキング4位で終えた。
2008年9月に起こったリーマンショックは、MotoGPにも影響を及ぼし、コスト削減が叫ばれるようになる。ここまではマシンもタイヤもコンペティションの時代で、制限なしに激しい開発競争が展開されてきたが、2009年シーズンに向けて、MotoGPクラスは大きく舵を切ることになる。