トップへ

柄本時生×岡田将生×落合モトキ×賀来賢人がリモート作品『肌の記録』で示した、“新しい演劇のかたち”

2020年05月14日 08:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『肌の記録』

 柄本時生、岡田将生、落合モトキ、賀来賢人の4人で結成された「劇団年一」による映像作品『肌の記録』が、5月21日(木)まで期間限定で無料配信されている。『平成物語』シリーズ(2018年、2019年/フジテレビ系)や『俺のスカート、どこ行った?』(2019年/日本テレビ系)、『死にたい夜にかぎって』(2020年、MBS・TBS系)などの脚本家である新鋭・加藤拓也を作・演出に迎え、完全リモートで制作された作品だ。


【動画】賀来賢人今日から俺は!!劇場版』予告編


 本作の舞台は、これからおおよそ100年後の世界。いつからか仕事や教育は“オールリモート”に移行し、外出は基本的に禁止、人々がオンライン以外で会うことは叶わぬ世の中であり、その関わり方(コミュニケーション法)は、私たちの現在のそれとは異なっている。そんななか、幼なじみで30歳のトキオ(柄本時生)、マサキ(岡田将生)、モトキ(落合モトキ)、ケント(賀来賢人)の4人は、自分たちの“これまで”を振り返る一方で、自分らの知らぬ時代の文化に思いを馳せたりもする……。お話の筋書きとしては、おおむねこのようなものだ。


 物語は、狂言回しを務めるトキオの“語り”ともに進行していく。いま隆盛を極めている“Zoom演劇”よろしく画面は分割され、4人それぞれの生活の様子が垣間見られる(=演者たち自身の私生活でもある)。そこで誰かの「◯歳やりまーす!」というかけ声とともに、顔写真を貼った人形を各々が手にし、“6歳”、“11歳”、“15歳”、“18歳”、“20歳”、“23歳”、“24歳”、“30歳”と、4人がそれぞれの年齢を演じていくのだ。ちなみに“15歳”以降は人形ではなく、本人たち自身が“いつかの自分”を演じている。


 名実ともにこの世代を牽引する俳優が揃っているものとあって、ただ純粋に、彼ら見たさにここを訪れた方も多いことだろう。なかには、演劇を観たことのない方もいるのではないかと思う。「果たしてこれは演劇なのか?」と問われれば、答えに窮する。しかし、配信されているYouTubeの作品紹介欄には、“ビデオ通話を使った映像のような演劇のような”や、“2週間限定の上演となっております。再生ボタンを押すと、開演です。”と記載されている。「これは演劇である」と宣言はせずとも、「これも演劇かもしれない」とほのめかしているのだ。この時代だからこそ生まれた、新しい演劇のかたちなのだろう。


 本作で面白く感じるのが、やはり先に述べた、人形を用いた手法である。小さな人形を手に声色を変え、各人が自身の幼少期を演じるーー。「なんとチープな……」と言ってしまえばそれまでだが、現実を切り取ろうとする映画とは異なり、演劇は劇場という“場”に、ある一つの現実を構築する。そこで試されているのは、当然ながら観客の想像力だ。ある種の嘘を信じさせる演者の説得力、そして、観客(視聴者)の想像力に多くが委ねられるのが演劇の醍醐味なのである。本作の場合はあからさまではあるが、演劇の原始的なかたちが見られるのだ。


 さて、彼ら4人の姿とやり取りから見て取れるのは、“明るいディストピア”だ。しかし、これだとまるで語義矛盾。本作で描かれる“未来”は、私たちのいまの生活からすると絶望的だ。だが決して、彼らは不幸そうには見えない。リモートであることを逆手に取って、現状を謳歌しようとしているように思える。ここから、“自粛”や“おうち時間”というものを楽しもうとする姿勢とメッセージを受け取ることができるだろう。


 ラストにはビックリな仕掛けがあるが、これから観劇(視聴)する方もいるのだろうから、それに触れることは控えたい。述べておきたいのは、映し出される彼らの存在と私たち自身が、まったく地続きの生活上にあることだ。タイトルには「肌」という言葉が冠されている。彼らは一度たりともその肌を触れ合わすことがないにも関わらずだ。他者の肌には触れられないし、画面越しだとその肌の質感というものまでは伝わらない。これをネガティブなものとは捉えず、やがて訪れるであろう触れ合いのときを夢見て、いま残しておくべき「記録」が本作なのではないのだろうか。


(折田侑駿)