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あの日、取引先からデートを強要された私へ 大木亜希子『さよならミニスカート』評

2020年05月10日 10:01  リアルサウンド

リアルサウンド

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「僕と1回デートしてくれれば、それで良いよ」


 以前、書き手として大きな仕事が決まりかけた時、取引先の男性から言われた言葉である。「僕が君をクライアントにプッシュしたんだから。そのくらいの権利、あるよね?」このようなジョークを言うことが、私へのマナーだとでも思っているのだろうか。もしくは、本気でそう言っているのか。


 アイドル卒業後、会社員を経てフリーランスライターになった私は、実力が評価されたからこそ今回のチャンスが巡ってきたのだと信じていた。目の前が真っ暗になる。同時に、道化師になることは簡単だった。


「も~。何言ってるんですかぁ!デートも良いですけど、きちんと成果も出しますから」


 ほら、言えた。上手に言い返すことが出来たじゃない。その瞬間に心は死ぬが、私は自分の感情を押し殺して笑顔をこしらえる。彼は、続けて無邪気に言う。


「俺、ほかの連中に自慢しちゃおう。元アイドルとデートしたって」


 私はその日、見えない血を流しながら泣いた。


 『さよならミニスカート』の主人公・神山仁那は、高校1年生。田舎町にある高校で、女子で唯一、スラックスで通学している。ショートカットにクールな表情、周囲の人間と関わらずに過ごす彼女には、ある秘密がある。


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 それは、かつて雨宮花恋という芸名で人気アイドルグループ「PURE CLUB」のセンターを務めていたということ。当時はガーリーなファッションに身を包み、黒髪ロングで人気を博していた。


 ところが、握手会の現場で起こった“ある傷害事件”をきっかけに、半年前に芸能界を去る。その事件とは、刃物を持った男に花恋の手首が切りつけられるという、凄惨で痛ましい出来事だ。犯人は、まだ見つかっていない。


 それまで「アイドルの優等生」として活動を続けていた彼女は、アイデンティティの崩壊に伴い、静かに表舞台から消える。そして、「私は男に媚び売るような女じゃない」と誓いを立て、今は第二の人生をひっそりと生きていた。


 仁那の前には、様々な背景を背負った生徒が現れる。日頃からミニスカートを履いて男子に人気の、長栖美玖。彼女は可憐なボブヘアーをキラキラと揺らし、常にニコニコとしている。ある日、美玖は下校中、変質者に太ももを触られるという悪質な被害を受ける。事件を知った教室は騒然とするが、ひとりの男子生徒が笑いながら言った。


「結局さぁー、男に媚び売るために履いてんだろ?スカートなんかさー」


 その発言を聞いた仁那は、その生徒に思わず飛びかかる。そして、心底軽蔑した様子で彼に言うのだ。


「スカートは、あんたらみたいな男のために履いてんじゃねえよ」


 ミニスカートと決別したはずの仁那が、初めて自分の感情を表に出した瞬間だった。現場はさらに混沌とするが、教室に入ってきた美玖は男子生徒を庇う。


「ホントに怖かったんだからぁ~っ!今度そーいう事言ったらおこるよっ」


 美玖はむしろ、仁那に対して軽蔑の感情を抱いていた。私の世界を勝手に荒らさないで? と言わんばかりに。誇らしげな表情でマウントをとる美玖に、仁那は言う。


「…本当にそれでいいの…?」


 作者からの“言葉なきメッセージ”が、ページをめくるたびに私の魂を激しく突き動かす。人間として尊厳が傷つけられることを、もう私たちは絶対に許すべきではない、と。


 握手会での事件以来、一度も男性に心を開くことがなかった仁那。しかし、彼女が“雨宮花恋”であると見抜いたクラスメイト・堀内光と接するなかで、初めての感情が湧き上がる。それは、恋という感情だ。


「アイドルになってくれてありがとう」


 妹が「PURE CLUB」の存在に助けられたと語る光は、仁那に対して真摯に感謝の気持ちを伝える。自分の感情を処理できない彼女は、動揺しながら一人暮らしの家に帰っていく。すると、部屋のなかにはマネキンに着せられたアイドル時代の衣装が飾られていた。もう誰にも言えないけれど、彼女は「アイドルとしての自分」を心の深い場所では未だに愛していたのだ。


 その衣装を眺めながら、思わず涙をこぼしてしまう仁那。過酷な運命を背負った少女の、光と影が濃縮された象徴的なシーンだった。


 この物語は現在、第8話を最後に休載している。この繊細な作品の再開を私は願ってやまないが、ふと書き手の気持ちに思いを馳せてみる。おそらく、この壮絶な物語をつむぐには相当の覚悟とエネルギーが必要なはずである。その大きな挑戦に、その壮大なる祈りに、改めて敬意の念を抱かざるをえない。


 私たちにとってミニスカートとは「戦闘服」か、議論を呼ぶために生まれた「パンドラの箱」か。もしくは、身につけることで自分らしくいられる人々にとって美しきファッションツールなのか。私は、後者だと信じている。ミニスカートと決別した仁那が、いつの日か自分を取り戻す日まで見守りたい。なぜなら、彼女は私自身の一部だから。


 あの日、「僕と1回デートしてくれれば、それで良いよ」と言った人へ。


「実力で仕事をくれないのなら、私、この仕事を降ります」


 本当は私ずっと、そう言いたかった。


(文=大木亜希子)