2007年6月10日、小山知良はスペイン・カタロニアサーキットの表彰台に上がり天を仰いでいた。KTMワークス入りを果たし、エースライダーとして世界フル参戦3年目を迎えた24歳の小山は、希望に満ちあふれたシーズンを迎えていた。
しかし、シーズン序盤は、マシントラブルや転倒、そして発展途上なインジェクションに悩まされ、なかなか結果を出せずにいた。「車体に関しては、ハマるときは、すごくいいんだけれど、スイートスポットが狭かった。それまでKTMに乗っていたミカ・カリオとかケーシー・ストーナーに比べると体型的に背が低いし、走らせ方も違うので、すごく難しかったですね。車体に関しては、今までで一番ピーキーなバイクでした」
このカタロニアでも当初はインジェクションで走り始めるが、パーシャルをあててタイヤをつぶしながら向きを変えたい9000回転辺りでノッキングが出てしまい初日は22番手に沈んでいた。
「初日を終えてミーティングした結果、キャブに戻すことにしたんです。すると、すごくマイルドになって乗りやすくなって“これならイケる!”と思っていました。タイヤチョイスも大きくて、僕とチームメイト以外は、ハードを選んでいたのですが、ソフトでもタレてからも、きれいにグリップしてくれていたんです」
かくして小山は最終ラップに、カタロニアサーキットの勝負所である9コーナーのブレーキングでトップに立ち激戦を制した。この2007年はランキング3位に躍進し、2008年こそチャンピオンを狙うシーズンだった。しかし、KTMワークスは125ccクラスの規模を縮小。小山はサテライトチームで戦うことを余儀なくされてしまう。
「10代のライダーが台頭し、リーマンショックもあり大きなバックアップもなく生き残るのは、非常に厳しい世界。いろいろ苦労したけれど、KTMファクトリーでは、いい経験をさせてもらったと感謝の気持ちしかないですね」
小山にとって、このカタロニアでの勝利が世界選手権では、最初で最後となったが、その後、スペイン、アジア、そして全日本と走り続け、2019年には全日本ロードST600クラスのチャンピオンを獲得した。この新型コロナウイルスの影響でいつシーズンが始まるか分からない状況だが、いつ再開してもいいように日々トレーニングに励んでいる。小山が初めてゼッケン1をつけて走る日のために。