LM corsaは、2014年にスーパーGTに参入する。2014年はTWS LM corsa BMW Z4での参戦で、飯田章/吉本大樹、第3ドライバーに佐藤晋也というトリオで参戦。第6戦鈴鹿では参戦初年度ながら優勝を飾り、チームのポテンシャルの高さをみせた。
しかし2年目の2015年から、チームは苦戦を強いられる。レクサスRC F GT3の先行開発を担うことになるが、予選では後方に沈み、飯田と吉本が2回の10位フィニッシュを果たすも、ドライバーズランキングでは27位。2016年もアップデートはなく、耐えるシーズンとなった。LM corsaとしては2015年~2017年にINGINGとのコラボでもうZ4やフェラーリが参戦していたが、ランキングでも後れをとってしまった。
翌2017年からは、現在も使用するレクサスRC F GT3にスイッチ。第4戦SUGOでは予選3番手を奪うなど、レクサスが得意とするコースでは速さをみせる。しかし、同じくLM corsaとして参戦した51号車JMS P.MU LMcorsa RC F GT3が2勝。飯田と吉本の60号車にとっては、これまで開発を進めてきただけに悔しいシーズンとなる。
2018年からはふたたびLM corsaとしては60号車の1台となり、飯田が監督に就任し若き宮田莉朋が加入。第2戦から2戦連続ポイントを獲得し、第4戦タイでは嬉しい表彰台を獲得する。ただ、やはり同じレクサスを使うK-Tunes Racingからは水をあけられてしまっていた。なんとしても欲しいのは勝利。宮田は2019年に向けて望んでチームに残り、第2戦以外SYNTIUM LMcorsa RC F GT3をドライブ。そんなチームの苦闘がこの年、第6戦オートポリスの勝利に結実した。さらにautosport web Sprint Cupでも連勝を飾っている。
さて、チームの母体である大阪トヨペットは、2005年に片山右京とともにクロスカントリーに挑戦するなど、モータースポーツ活動をスタートさせた。「レースを行うことが目的ではなく、それにより得たものを広め、お客さま、社会へ還元することが目的」で、2006年からモータースポーツ活動を本格化。スーパーGTのほかにもOTG Motorsportsとして、服部尚貴や吉田広樹、菅波冬悟、佐藤、山﨑武司らを擁しTOYOTA GAZOO Racing 86/BRZ RaceやFIA-F4、鈴鹿10時間に参戦。FIA-F4はシリーズ全体も支えながら若手育成に努め、菅波をGT300に輩出している。
このモータースポーツ活動を始めた2005年の翌年が、カーナンバーの由来になっている。活動を本格化させた2006年は大阪トヨペットの創立60周年の年で、これ以降、OTG Motor SportsとLM corsaでは、60周年にちなんだ『60』がエースナンバーとなった(TGR 86/BRZ Raceでは服部が使用)。
そして2014年から参戦したスーパーGTでは『LM corsa』というチーム名がつけられているが、これはLが『LEXUS』、Mが『Motorsports』の頭文字。そしてイタリア語で競争を意味する『corsa』が組み合わされた名前だ。大阪トヨペットグループとして「レクサス(トヨタ系)車両でのモータースポーツへの挑戦を行おう!」とRC F GT3の開発からレクサス/トヨタとタッグを組み、レクサス車での参戦をはじめるにあたってつけられた名前だ。