トップへ

朝井リョウが語る、小説執筆の心構えと自己愛との向き合い方 「経験より『勇気をもって書く』のが重要だと実感した」

2020年05月03日 10:01  リアルサウンド

リアルサウンド

写真

 人気作家・朝井リョウが『桐島、部活やめるってよ』でデビューしてから10年が経った。デビュー10周年を記念して刊行された新刊『発注いただきました!』は、珍しい企業とのタイアップ小説の作品集だ。


 たとえば森永製菓からの発注は、キャラメルのパッケージに使用する「キャラメルが登場する掌編×3話分」。本作ではこのように“発注内容”がまず紹介され、朝井が執筆した小説またはコラム・エッセイが掲載、最後には“感想戦”として朝井によるコメントが付け加えられている。「ふるさとをテーマにしたコラム」(朝日新聞名古屋報道センター)「銀座にまつわるエッセイ」(銀座百点)など発注は多種多様。JRAからは「馬のような人の物語」と発注が……。実際に朝井がどんな小説を書いたのか、未読の方はぜひ読んでみてほしい。


 リアルサウンドブックでは、朝井自身にタイアップ小説の面白さや、気に入っている作品、嬉しかった感想について語ってもらった。さらに、執筆に必要だという“勇気”についてや、よく作品のテーマにするという「自尊心」や「自己愛」についても訊いた。(編集部)


関連:【写真】インタビューカット


■デビュー十周年を記念して刊行された“福袋みたいな”企画本


――デビュー10周年の記念本として刊行された『発注いただきました!』。企業が舞台のお仕事小説……ではなくて、朝井さんご自身が企業から発注されて書いたタイアップ小説等を集めた、作品集です。集英社のWEBインタビュー(http://renzaburo.jp/hacchu/interview.html)では、「企画終了とともに葬られるのはもったいないなあと気にしていたら、タイアップ作品だけで原稿用紙換算四百枚以上になっていたので、福袋にして送り出すことにしました」と。


朝井:……なのですが、やっぱり正規品ではないので、こんな詰め合わせパックみたいなものを読者のみなさまに差し出していいんだろうかという後ろめたさが拭えないままです。そういう思いもあって、本の構成自体を工夫することで後ろめたさを解消しようと試みました。どんな媒体からどういう内容で依頼を受けたのかがわかる「発注書」を頭におき、作品の最後には自分なりの「感想戦」を添えてみたんです。すると、その構成をおもしろがってくださる方が想像以上に多く、驚きました。ありがたい反響で、ほっとしました。


――小説家がふだんどういうプロセスで仕事をしているのか、その実情が明かされることってほとんどないですからね。


朝井:すすんで見せるようなものではないからね……。


――「発注」という言葉のチョイスも絶妙だと思います。「小説を書く」という行為が、読者の皆さんにも仕事として身近に感じやすかったのではないでしょうか。


朝井:今でこそ、自由に好きなものを書いてください、と言っていただけることが増えましたが、デビューして最初の2~3年は、「こういう年代の主人公で」「こういうジャンルの小説を」と条件をいただいてから書くことが多く、私自身が「小説って発注を受けて書くこともあるんだ」と痛感していたんですよね。キャリアを重ねるにつれて、読者のみなさんにあらかじめ私の名前や作風を知ってもらえていたり、前作で描かれていたあの部分が今作では大きく抽出されているなとか、さまざまな文脈のなかで小説を読んでいただけるようになった実感が多少ありますが、企業タイアップでは、私の性別や年齢、キャリアなど一切考慮されない状態で作品が人目に触れることのほうが多いわけです。技術と完成度だけが試される、という意味では、書くときの心地は投稿時代の寄る辺なさに似ている気がします。一方で、本と違って感想を耳にする機会がほとんどないので、こうして一つの形にして反響を聞いてみたかったんです。


――前出のWEBインタビューでは、マンガ『アイアムアヒーロー』のアンソロジー小説集で書いた「十七歳の繭」という短編が気に入っているとおっしゃっていましたが、他に思い入れのある作品はありますか。


朝井:自分でもお気に入りの作品は、読者のみなさんの興味も惹きやすいかと思って、わりと前半に入れるようにしたんですよ。いちばん最初、森永製菓からの発注“キャラメルをめぐる掌編”(「タイムリミット」)はかなり短いので小説として判断するのが難しいかもしれませんが、アサヒビールからの発注“「ウイスキーっておもしろい」を伝えられる小説”(「蜜柑ひとつぶん外れて」)と、JTからの発注“たばこが作中に登場する、「人生の相棒」をテーマにした小説”(「胸元の魔法」)は、前半に入れておきたいと思えた作品です。あとは、『こち亀』と『チア男子‼』のコラボ小説も印象深いです。『こち亀』の担当編集の方に「キャラクターの言動が本家と齟齬がない感じになっていますね」と言っていただけたとき、本当に嬉しかったのを覚えています。ふだんは得られないタイプの喜びだったので……。同じように、企業担当者から「この要素をよくぞとりいれてくれました」的に喜んでもらえることが嬉しかったですね。


■小説を書くうえでいちばん大事なのは“勇気をもつ”こと


――「蜜柑ひとつぶん外れて」は、個人的にはいちばん「これぞタイアップ!」と思えた作品でした。ウイスキーを飲みたくなって、作中にでてきた蜜柑を使ったアレンジも試してみたくなる。主人公の悶々とした感情に共感する一方で、あたりまえの日常を自分だけの特別に変えることのできるセンスって素敵だなあと思える、小説単体としての読み心地も最高で。


朝井:ありがとうございます! 感想戦にも書きましたが、主人公の同僚として登場する男子は、大学のゼミが同じだった友人なんですよね。ふだん身近な人をモデルにすることはほとんどないんですが、発注書にあった「飲み方を選べる楽しさ」をどんなふうに伝えられるか考えたとき、彼のことが思い浮かんだんです。日常のほんの些細なところを工夫して、自分なりに楽しんでいくことができる人だったんですよ。


――アイテムとして、卒業アルバムの「〇〇な人ランキング」が出てくるのも効いていましたね。朝井さんは、ご自身がどんなランキングに選ばれていたか覚えていますか?


朝井:そもそもランキングがあったかなあ……。あんまり記憶にないんですよね。私は、場面転換をするときに主人公の心情を別のものと照らし合わせて書いた一文で締める、ということをやりがちなんですが、照らし合わせるためのアイテムを前の場面から引っ張ってくることが多いんですよね。だから、ランキングを効かせようとしたというよりは、思いつきで描写したものが意外とのちのちのシーンで活きてきた、ということのほうがたぶん多い。十年書き続けてきて身についたクセのようなものですね。


――なるほど……。「〇〇な人ランキング」のように、ふだんは忘れているんだけど言われた瞬間記憶や情景がぶわっと蘇ってくるようなアイテムを使われることで、朝井さんの小説はリアリティを増すことが多い気がして。どういうふうにアイテムを引き寄せていらっしゃるのかなあと思っていたんですが、必ずしも経験からというわけではないんですね。


朝井:記憶力はいいほうだとは思いますが、この十年を通じて実感しているのは、経験などではなく「勇気をもって書く」のがいちばん重要だということなんです。たとえば、人を殺したあと返り血を洗っている殺人者がふと「あ、牛乳を買って帰らなきゃ」と思う、みたいなシーンがあったら、そういうものなのかもって思いませんか?


――思います。


朝井:私は今のところ人を殺したことはないですが、勇気をもってそう書いてしまえば、あとは読者のみなさんが自ら、自分の人生の中にある、そのシーンと呼応するような瞬間を引き寄せてくださるはずなんです。ときどき、どうして女性主人公をリアルに描けるんですか、と言っていただけることがありますが、私はべつに心理を理解して書いているわけではないんです。ただ、ふだんメイクはしないけれど、しながらこういうことを考えるんじゃないかとか、こういう男性を相手にするとこういう感情を抱くんじゃないかなとか、自分の経験にはないことを勇気をもって断言してみているだけなんです。小説の中に出てくる登場人物として、人殺しの老婆であろうと、私と同じ30歳の男性であろうと、どちらも私ではないわけなので、どちらも私からは等しく離れているんです。どちらの登場人物も、書くときは同量の勇気が必要です。


――本書でも、性別や年齢、立場のちがう様々な語り手が登場しますが、どれも等しく勇気をもって書かれていると。


朝井:そうだと思います。私自身、他の方の書かれた小説を読んでいるとき、同じことを感じるんです。たとえば、吉田修一さんの『橋を渡る』で忘れられない描写があります。ある40歳くらいの夫婦が面倒をみている男の子が、ふだん乱暴に音を立ててドアを閉めるのに、ある日突然、丁寧に音が出ないよう閉めるようになった、という場面なんですが、夫のほうが「たぶん童貞を捨てたんだろうな」って思うんですよね。冷静に考えたら、その行動と思考にはものすごく距離があるんだけれど、吉田さんはためらいなくジャンプしている。そのことに読んでいる私たちは戸惑うのではなく、勝手に自分の人生をあてはめることによって、飛距離を埋めていくんです。むしろ、飛距離が長ければ長いほど、読者は自分の人生を差し出し続けることになり、物語によりいっそう没頭していくのではないか……と。ですから私も、書くときは、共感する人がいるのかどうかもわからないことほど強く言い切ったほうがいいんじゃないか、と思っています。


――「もう少しこうすればよかったな」というような、心残りのある作品はありますか?


朝井:早稲田文学に依頼されて書いた「引金」は、作品単体としては嫌いではないんですけど、錚々たるメンバーが参加する特集だということをまったく知らずに書いてしまい……。


――イギリス『GRANTA』本誌の名物企画「若手ベスト作家」特集の日本版、だったんですよね。


朝井:そうなんですよ。皆さん、ふだんとはスタイルを変えてチャレンジングな書き方をされていたり、この企画だからこそのアクロバティックさを取り入れていたりするなかに、手癖満載な私の作品が並んでいるのを見たときは「しまった」と思いました。あとから、この企画は厳しく書き直しを要求されることもあるという噂を聞いて、私は結構さらっとだったので、言っても仕方ないというか、どうでもいいと思われていたのかもしれないな、みたいな。


――そんなわけないじゃないですか(笑)。感想戦で、現代日本に生きる若者は、自己肯定感が低いのではなく実は今の自分への愛が強いのではないか、と書かれていましたが、「自己肯定感の低さと自己愛の高さ」というのは朝井さんの小説にしばしば描かれるテーマのような気がします。


朝井:そうですね。私の小説は、様々な登場人物が関わりあって物語がめくるめく展開を見せていく、というよりも、主人公がずっと内側で考えていることを語るものが多いので、自然と自尊心や自己愛がテーマになりやすくなってしまうんです。


■個人に広告がつくようになった時代だからこそ、消えない違和感


――最後に収録された「贋作」は、“『発注いただきました!』がただの寄せ集め本と成り果てる未来を回避するため”に書かれた新作短編とのことですが、やはり自己肯定感と自己愛について考えさせられる作品でした。


朝井:もともと、「贋作」というタイトルと、「人からもらったもので贋作の額縁を飾りつける」という一行プロットみたいなものがずっと脳内にあったんです。ただ、短編にしかならなさそうなんだけど、連作にもしづらそうだし、このテーマで一冊を編むのも難しそうだな、と思っていたんですが、今回ようやく書くことができました。まえがきにも書きましたが、タイアップとなると基本、読後感のいい作品を書くことになるのですが、なんの制約もなく書きたいものを書いていいよといわれると、私はこういうざらっとした後味が自然と出てきてしまうみたいです。


――書道界の“天女様”に国民栄誉賞が贈られることになり、硯職人・祥久の工房に記念品制作の依頼がくる。妻の伊佐江も、心酔する“天女様”のために昼夜問わず精をこめて制作に励むけれど……というお話です。


朝井:たぶんデビュー当時なら、主人公に50代の硯職人を据える勇気をもてなかったと思います。仕事内容も想像つかないですし、私とはかけ離れた存在、と思いすぎて。でも、先ほども申し上げたように、10年かけて、自分と似た肩書の人であろうとそうでなかろうと同じだけの勇気が必要だということに気づきましたし、タイアップの仕事を通じて、ウイスキーやたばこ、競馬といった自分になじみのないアイテムをとりいれて小説を書くトレーニングも重ねてきた。調べれば硯職人の心情だって書けるかもしれない、と思えたんですよね。


――本作には、他人から差し出されたものを謙虚に辞退することで、結果的に好意を踏みつけにしている人々が登場します。〈他者から何かを奪い取ってまで、自分の額縁を装飾しようとする行為ほど、浅はかなことはない〉という祥久の吐露が、先ほどおっしゃっていた一行プロットにも通じる、この作品の核ですね。


朝井:私自身、直木賞作家という肩書と実際の自分の能力は本当に見合っているのかと常に考えますし、でも過剰に謙遜してしまうのも失礼なんだろうな、と悩みます。尊大にならず、でも評価を正しく受け止めることの難しさ、というのを日々痛感しているのですが、私の悪い癖として、自分への目線が厳しくなると同時に他者への目線も厳しくなってしまうんですよね。「あの人、変じゃない?」って、すぐパトロールしてしまう。


――「あの人、変じゃない?」とは。


朝井:外側(パフォーマンス)と中身(能力)が一致していないのに、一致して見せるのはめちゃくちゃうまいよね。っていう人です。今の時代、プロとアマチュアの境目もなくなってきているし、何をもってその人の真価をはかればいいのか、わからなくなっている。昔は、何かしらの能力がある人が有名になり広告塔となっていったけど、今は有名であるというだけで個人に広告がつくようになった。有名だからといって能力のある人とは限らないし、お辞儀が深いからといって礼儀正しい人とは限らない……と思いながら、そういう私もそういうパフォーマンスで票を集めている瞬間はあるよな、とも思う。そんな気持ちを行ったり来たりしながら書いたような小説です。


――確かに、SNSなどのツールを使いこなすことによって、自己演出の上手な人は増えている気がしますね。悪いことではないものの、判断に迷うことは多々あります。そういう他者を見るとき、朝井さんが基準として大事にしているものってありますか?


朝井:おそらく次々作になるだろう『スター』という小説は、自分にとっての質と価値の判断基準というものをメインテーマに据えたんです。なので、是非その作品を読んでいただきたいです。ただ、これまでのように本を刊行できるのか、誰もわからないですね。


――緊急事態宣言によって、多くの書店が休業し、出版業界だけではありませんが、なかなか困難な状況になってきましたよね……。


朝井: 私は悲観的なほうなので、Amazonが本の補充をやめて、生活必需品を優先的に出荷することになったことに対しても、そりゃそうだよな、と思ってしまいます。今こそ本を守ろう、というようなことを声高に言えない自分がいます。こういう状況に置かれると、どうして自分は医師免許をもっていないんだろう、マスクを大量生産することができないんだろう、みたいな考え方になってしまいますけれど、そのたび、いま医療現場で頑張っている方々を健康に保つ食事を作っている人が着ている服をデザインした人が私の本を読んでいるかもしれない、というように考えて、まずは目の前の役割を果たそうと気を引き締めています。いや、別に、読んでもらえていなくてもいいんです。ものすごくべたなことを言いますが、世の中のすべては繋がっていることが今回のことで改めてよくわかりました。遠くて曖昧な関係のなかで、お互いが影響し合っているとも気づかない距離感で、すべての人やものは繋がっている。というより、繋がって“しまって”いるんですよね。そう思うことで、目の前のことをやるしかない自分の無力さに完全に絶望してしまわないよう、気持ちをとどめています。


(文・取材=立花もも/写真=露木聡子)