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『きょうの猫村さん』はミニドラマの新たな解を提示? 穏やかな日々が永遠に続いていく多幸感

2020年04月28日 08:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『きょうの猫村さん』(c)テレビ東京

 買い物かごを持った猫村さん(松重豊)が、うららかな春の河原道を二足歩行で歩いてくる。目の前にひらりと舞い込んだ蝶々を猫パンチでからかうが、何か用事があるようで「悪いけど先を急ぐの」とばかりに足を止めない。魚屋の前を通り過ぎると、店主(荒川良々)は一瞬「んっ?」と猫村さんを見やるが、特に気にとめる様子もなく仕事に戻る。猫村さんは猫なので抜け道をよく知っている。住宅街の狭い路地裏を小走りで駆け抜け、通りに出たら猫よけペットボトルに出くわし「ちょっと嫌だな」という表情で体を避ける。第1話、冒頭わずか1分足らずのシーンで観る者の心をすっかり鷲掴みにしてくるではないか。


参考:松重豊、『孤独のグルメ』の次は猫に? 『きょうの猫村さん』で見せる和みの演技


 4月8日から放送をスタートした水曜深夜のミニドラマ『きょうの猫村さん』(テレビ東京系)。毎回ほっこりしてクスリと笑える、飄々とした世界観が話題を呼んでいる。猫の家政婦・猫村ねこと、彼女を取り巻く人々の日常を描いた原作漫画『きょうの猫村さん』(マガジンハウス)は累計330万部超のロングセラーでありながら、2005年の単行本第1巻発売から数えて15年ものあいだ一度も映像化されたことがない。原作の独特な世界観を映像化、ましてや実写化することなど不可能だろうと長らく信じられてきたのだろう。


 「『きょうの猫村さん』が満を持して実写ドラマ化。ヒロイン(?)・猫村さんを演じるのは、かの名バイプレイヤー・松重豊」。この第一報が届いたとき、絶妙なキャスティングに「そう来たか!」と唸った原作ファンは多いのではないだろうか。「『猫村さん』を実写化するのなら、それくらい振り切ってもらわないと」というわけだ。放送前から「これはきっと“やってくれそう”」との予感はしていたが、前述の第1話冒頭シーンで「これは“やってくれたな”」という確信に変わった。


 『アウトレイジ』シリーズで演じた熱血刑事・繁田、連続テレビ小説『ちりとてちん』(NHK総合)の不器用で実直なお父ちゃん、『アンナチュラル』(TBS系)では柔和なリーダー・神倉所長、代表作『孤独のグルメ』(テレビ東京系)で演じた“食の変態”井之頭五郎。どんな役でも柔軟に受け入れる名優・松重豊による、本作品においては一切の肩の力を抜いた「作り込まない」演技が光る。まるで「私? ずっと昔からここにいますけど」というような佇まいで、なんの違和感もなくいきなり猫村さんとしてスッと入り込んでくる。


 全24回のミニドラマというスタイルも斬新で、驚かされるのは、2分30秒の本編がじつに豊かであるということだ。ドラマ全体のトーンはゆったり、ゆるりとしているのに、情報量がとても多い。登場人(猫)物たちの一瞬の表情、ひと言の台詞だけで、彼らの人となり(猫となり)や関係性が伝わってくる。洗練された作劇が生み出す細やかな機微が「生きとし生けるものへの賛歌とおかしみ」をあらわした原作の持ち味を壊すことなく、ドラマとして新たな魅力を加えている。


 そもそも「猫が家政婦として人間社会で働く」という設定からして荒唐無稽なのだが、たとえば第1話。「村田家政婦紹介所」で働く家政婦の山田さん(市川実和子)が扉を開けると、求人募集のチラシを持った猫村さんが立っている。ここでのファースト・リアクションが、このドラマの方向性を決定づける重要なポイントだ。山田さんは「あれ、猫じゃなーい。何の用?」と発する。すると紹介所の所長・村田の奥さん(石田ひかり)が奥から出てきて「うちが出してるのは“求人”広告だからねえ」と続く。この両者による、驚きもしないが、当然のものとして受け入れるわけでもない、フラットな反応が絶妙だ。


 それでいて、村田さんの断りをガン無視して「そうですか。じゃあ失礼して」と勝手に上がり込み、持ち前の家事スキルを発揮して、あっという間に2人の信頼を獲得する猫村さん。この可笑しくも自然で、「スッと入り込んでくる」様が、まさにこのドラマの質感そのものといえる。


 脇を固める俳優陣の名演も見逃せない。石田、市川の両者に加え、最愛の恩人・ぼっちゃんに濱田岳、猫村さんのはじめての奉公先となる犬神家の女主人・冴子に小雪、冴子の娘でヤンキーの尾仁子に池田エライザ、尾仁子の彼氏・強に染谷将太、近所の怖がりの奥さんに安藤サクラなど、錚々たる俳優たちが顔を揃える。名優たちによるワンシーンごとへの丁寧な取り組み、そして脚本・演出の球筋の正確さから、ミニドラマの特性を最大限に活かしつつ、2分30秒を短いと感じさせない濃密な作りとなっている。なおかつ、視聴後じんわりと残る余韻。これはミニドラマの新たな解と言ってもいいのではないだろうか。


 コロナ禍の厳しい日々に、スッと入り込んできた『きょうの猫村さん』。当たり前の日常のありがたみを思い知らされる今、このドラマに漂う「穏やかな日々が永遠に続いていく」ような多幸感は、かけがえのないプレゼントだ。今週もまた、豊かな余韻に浸りながら、次の回を楽しみに待とう。


■佐野華英
ライター/編集者/タンブリング・ダイス代表。ドラマ、映画、お笑い、音楽のほか、生活や死生観にまつわる原稿を書いたり本を編集したりしている。