トップへ

『PSYCHO-PASS 3』トリガーを握る意味を考える 梓澤康一が一流のヴィランたる由縁

2020年04月23日 08:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『PSYCHO-PASS サイコパス 3 FIRST INSPECTOR』(c)サイコパス製作委員会

 シリーズ3作目となる『PSYCHO-PASS サイコパス 3』は、膨大な数の伏線を張り巡らせたまま地上波の放送を終え、その続編『FIRST INSPECTOR』は劇場限定公開とAmazon Prime Videoでの独占配信に移行してしまった。この“続きは◯◯で”方式の煩わしさに加え、『FIRST INSPECTOR』でもなお未解決のまま放置された謎の数々に、シリーズ中でもとりわけ賛否の相半ばした作品となったことは否めない。


参考:『PSYCHO-PASS サイコパス 3』にみる押井守へのリスペクト 草薙素子と慎導灼は何が違う?


 しかし、設定と伏線が膨大であるからこそ、カオスという繭玉から一本の理路を紡ぎ出すような楽しみ方があることも確かだ。本記事では、これまでのシリーズも振り返りながら、『PSYCHO-PASS 3』の中に織り込まれた一本の道筋を辿ってみようと思う。


■シビュラシステムのキャラクター性
 シビュラは人間社会を律するシステムである。しかし同時に、「免罪体質者」の脳を貪欲に取り込みながら進化していく姿は、『ドラゴンボール』に登場するセルさながらの“集合生命体”であり、その印象は紛れもなく醜悪なラスボスのそれである。ロールプレイングゲームに喩えるなら、レベルアップシステム、戦闘システム、ジョブシステムなどを律する設計そのものが、世界内で“成長する敵キャラ”として登場しているようなものだ。世界設計でもありキャラクターでもあるというこのシビュラシステムの二重性が、『PSYCHO-PASS』というシリーズの世界観をユニークにしている。


 とりわけ『PSYCHO-PASS 3』は、経済・政治・宗教・外交などの部分システムを包含した社会システム全体へと舞台を大幅に拡張している。進化発展を続け、汎システムに至ろうとするシビュラ。その姿は、養老孟司の『唯脳論』(1998年)における「都会とは、要するに脳の産物である」(養老孟司『唯脳論』、筑摩書房、1998年、p.7)というテーゼのアニメ的戯画のようでもある。


 シビュラというキャラクターは本作において何を取り込み、今後どう進化していくのか。『PSYCHO-PASS』というシリーズを楽しむ上での1つのポイントがここにある。


■トリガーと決定の遅延
 人間の精神状態を数値化・分析することで職業適性や欲求実現の手段などを合理化するシビュラシステムは、社会から“思考する時間”を無用なものとして排除した。ところが『PSYCHO-PASS』という作品は、このシステムの淀みない流れを抵抗素子のように阻害する、ある種のギミックを設けてもいる。それがドミネーターの「トリガー」である。第2期の中から、対照的な2つのシーンを比較してみよう。


 「#4 ヨブの救済」において、シャッターで遮蔽され対象を視認できない状況にあった執行官の須郷は、上司の青柳を事件の犯人と誤認し、ドミネーターで殺害してしまう。「犯罪係数が高い方を執行しただけです」と報告する須郷は、何の躊躇いもなく数値に反応しただけの殺戮マシーンに他ならない。


 夢野久作『ドグラ・マグラ』(1935年)に登場する正木教授は、その名も「絶対探偵小説 脳髄は物を考えるところに非ず」と題された冊子の中で、人間の脳の働きを「電話交換手のようなもの」と断じた(夢野久作『ドグラマグラ上』、角川文庫、1976年、p.210)。脳は身体の細胞一つひとつに宿る意識を「反射交感」している一器官に過ぎないというわけだ。思考せず、数値に反応してトリガーを引いた須郷は、シビュラにとってまさしくこの「電話交換手」程度の存在に過ぎない。


 一方、常守朱は須郷と好対照を成している。「#1 正義の天秤」において、連続爆破事件の犯人にドミネーターを向けた彼女は、その犯罪係数が300(「エリミネーターモード」による抹殺対象)を超過していることを見てとるや、トリガーを引くのをやめる。その後、朱は犯人と対峙し、語りかけ、犯罪係数が299(「パラライザーモード」による確保対象)に下がった時点でトリガーを引く。


 朱のこの行動に同調した振る舞いをするのが、第3期の主人公の一人・慎導灼である。彼は「#03 ヘラクレスとセイレーン」の中で、ドミネーターによる執行を止めた理由を廿六木に問い詰められ、「それを決めるのは人間であるべきです。そのためにドミネーターには引き金が付いてるんですから」と答える。彼は朱が示した“決定の遅延”という行動原理を確かに継承しているのである。


 実は『ドグラ・マグラ』の「電話交換手」の比喩の“元ネタ”は、アンリ・ベルクソンの『物質と記憶』(1896年)の中にある。ベルクソンが「イマージュ」の哲学を論じる中で示したのは、生物の機械的・物理的・化学的本性だった。生物の神経系統そのものは、機械的因果関係に基づく入力(知覚)と出力(運動)を行なっているだけであり、その意味で「中央電話局」以上の役割を果たしていない(アンリ・ベルクソン/杉山直樹訳『物質と記憶』、講談社学術文庫、2019年、p.39)。しかし神経系が複雑化していくにつれ、行動は「選択」という過程を経ることになる。ベルクソンは「躊躇」という言葉を用いている(同上、p.42)が、まさしく選択による行動の遅延こそが、人間の脳の特権的な本質なのである。


 「躊躇」という言葉は複雑難解なベルクソンの哲学体系のほんの一角を占めるに過ぎないが、それにもかかわらず広い射程を持つ概念だ。人間の大脳は複雑に進化していくことで、外界からの刺激に対して即時的な反射運動をするだけでなく、行動を選択し遅延させるようになった。そこにこそ主体的な思考や情念の萌芽がある。常守朱と慎導灼の振る舞いは、『PSYCHO-PASS』という作品の中にこうした哲学的な思索を導入している。


■決定と身体性
 ところで、『PSYCHO-PASS』シリーズの特徴の一つに武闘派キャラクターの存在がある。例えば狡噛慎也、東金朔夜、炯・ミハイル・イグナトフなどだ。とりわけ第3期は、先行する2シリーズと比べ肉弾戦が圧倒的に多い。もちろんそれをビジュアル的な効果を狙った演出と見てとることもできるが、そこに表される“身体性”が『PSYCHO-PASS』のシリーズに通底するキーファクターであることも確かである。というのも、生体コンピュータとして人体から摘出され、剥き出しの脳と化したシビュラシステムにとって、身体性は重大な盲点の1つであるとも言えるからだ。


 本作における身体性の意味は、すでに第1期の槙島聖護の行動に示されていた。「#15 硫黄降る街」において、槙島はかの有名な「紙の本を買いなよ。電子書籍は味気ない」というセリフの後、「精神の調律」のための重要な要素として「紙に指で触れている感覚や、本をぺらぺらめくった時、瞬間的に脳の神経を刺激するもの」を挙げる。槙島は身体的感覚によって情報化社会に抗い、シビュラによる管理社会に抗うのである。


 故に、先述した“決定遅延”が“トリガーを引く”という身体的所作(の躊躇)として表されていることは決定的である。そもそもトリガーにかけられた指が躊躇するというシーンが、この作品だけに限らず、多くの映画やドラマにも頻出することは注目に値するだろう。銃のトリガーは、身体が決定を躊躇し、脳が逡巡するための象徴的なギミックなのだ。「#11 聖者の晩餐」では、朱の「刑事としての決断と行動」を問うべく槙島が猟銃のトリガーを引くよう誘うが、これもまた“決定”の身体性をよく表した名シーンと言えるだろう。


■決断する主体・慎導灼
※以降『PSYCHO-PASS サイコパス3 FIRST INSPECTOR』のネタバレあり。


 『PSYCHO-PASS3』において、梓澤康一という人物が一流のヴィランたる由縁は、こうした“決定”の重要性を倒錯的に理解していた点にある。


 彼は物語の各所で、「色相悪化か死か」「都知事か妻か」などといった、命に関わる“究極の選択”を他者に迫る。梓澤はこの“選択”の場面をいくつも演出することを通じて、巧みに犯罪プランを遂行していく。


 しかし、彼の“選択”に関する理解と方法は、灼のそれとは根本的に異なるものだった。灼はドミネーターの「トリガー」に指をかけることによって選択を自らのものとして引き受け、躊躇し、思考する。それに対し、梓澤は選択を相手に委ね、思考を放棄する。『FIRST INSPECTOR』のラストシーンでは、自らシビュラシステム=神の一部になることを欲する梓澤に対し、シビュラシステムが「ただの独善的なゲーム愛好者」であると断罪する。“神になれなかった男”梓澤廣一(その惨めな姿は『天空の城ラピュタ』で“王になれなかった男”ムスカを彷彿とさせる)は、槙島や鹿矛囲のように、死によってシステムから排除されることすら許されず、システムの管理下において裁かれることを強いられる。そしてそれを選択したのが、慎導灼であった。


「俺はドミネーターが嫌いだ。でも1つだけ気に入ってる。それは引き金が付いていることだ。撃つことの責任は、ドミネーターを握る人間にまだ残されてる。そうじゃないのか、シビュラシステム!」


 灼のこの言葉を聞いたシビュラシステムは、その提案を受けいれ、梓澤の執行権を彼に委ねる。灼はドミネーターの「犯罪係数288」という音声をしかと聞き届けた後、引き金を引く。


 シビュラは「マカリナ」という身体性を欠いたAIに被選挙権を承認したが、それはむしろ些末なことだったのかもしれない。むしろ重要なのは、慎導灼という生身の人間による“決断”というファクターだったのではないか。今後シビュラは、免罪体質者の脳を取り込むだけでなく、様々な人間の“決断”を承認し続けていくことになるだろう。法斑静火と常守朱が加わることによって生じる新たな親和力の中で、果たしてシビュラという“キャラクター”はどう変化していくことになるだろうか。


■原嶋修司
アニメを愛し、アニメについて語ることを愛するアニメブロガー。予備校講師。作品評や関連書籍のレビューを中心とするブログ『アニ録ブログ』を運営。