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厄介な家族との突然の死別、残されたものは……村井理子『兄の終い』を読んで

2020年04月21日 09:01  リアルサウンド

リアルサウンド

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 家族はいちばん身近であり、いちばん厄介な存在でもある。他の関係性と違い、どんなに嫌な性格や酷い人間性でも完全に決別することは難しい。別れることができたとしてもその後、何年も罪悪感に苛まれる人もいるだろう。村井理子の最新刊『兄の終い』は、ずっと嫌っていた兄との突然の別れから始まる。


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「夜分遅く申し訳ありませんが、村井さんの携帯電話でしょうか?」


 遅い時間に鳴った突然の電話。電話の主は宮城県警塩釜警察署の刑事だった。多賀城市内に住む兄が亡くなった。死体の第一発見者でもある息子の良一君は児童相談所にひとまず保護されているという。


「それで、いちばん早くてどれぐらいで塩釜までお越し頂けます?」


 死と税務署は突然やってくる。以前とある人から聞いた言葉を引用させてもらうが、突然やってきた死は家族や周りの人間をこれでもかと煩わせる。村井家は両親が亡くなっており、手続きやその他諸々の雑事は著者がやる以外に選択肢が残されていなかった。以前、筆者はカレー沢薫の『ひとりでしにたい』のレビューを書き(参考:孤独死は独身30代にとって他人ごとではない カレー沢薫『ひとりでしにたい』が突きつける“終活”のリアル)終活の重要さを取り上げたが、本書では一切切終活していなかった人が突然亡くなるとどうなるのかが克明に記されている。著者の兄は亡くなった当時54歳。息子も小さく、自分が死ぬなどまだまだ考えられない年齢だったかもしれない。だが、彼は亡くなってしまった。亡くなってしまったからにはそのままにはしておけないことが山ほどある。


 葬儀社への連絡、兄の元妻への連絡、児童相談所への連絡、父方の叔母への連絡、兄が住んでいたアパートの片付け(半分ゴミ屋敷のようになっていた)、児童手当・児童扶養手当関連の手続き、片付けで発生した大量のゴミの運搬……ちょっと抜粋しただけでも気が遠くなるような道のりだ。実務に当たった村井と兄の元妻の苦労は如何ばかりだったか。ゴミ処理施設の奈落に落ちていく兄の荷物を見ながら、人ひとりの死はこうして周りの人の働きによって完成されていくんだなと思う。


 家族であるからには、悪い思い出もあれば良い思い出もある。優しい人は、その「良い思い出」にしばしば苦しめられることになる。いい人ではないが悪い人でもない、という人間は優しい心根の人間を縛り続ける。


今まで一度も兄を理解できたことはなかったし、徹底的に避けて暮らしてきた。それなのに、兄が必死に生きていた痕跡が、至る所に現れては私の心を苛んだ。こんなことになるのなら、あの人に優しい言葉をかけていればよかった。


 兄は、息子のためにいい父親であろうとした。就職活動もしていた。生きていれば警備員として働く予定だった。けれど、村井をアパートの保証人にして家賃を滞納したことも、母の葬儀が終わってお金をせびったことも、事実として消えることはない。複雑な思いが読み手をも支配していく。


 本書の最後に、兄の息子・良一君のことを転校まで預かってくれた夫妻の言葉が収録されている。息子から見た父親がどんな人だったか、ふたりが良一君と過ごした中で感じた言葉がダイレクトに伝わってくる。息子のために懸命に生きようとした兄、そんな父親の背中を見て育った息子。彼らの言葉を読んで、息子に慕われた彼の人生は、もしかしたら幸せだったのかもしれないと思う。


 もちろん、村井が兄にされた数々の所業はとても許せるものではない。許せない気持ちにどう決着をつけたのか。重いテーマでありながら、読後は晴れやかな余韻がある。家族の幻想を打ち破ってくれる村井の力強さが頼もしい。


 今コロナ禍にあって、家族と会いたくてもなかなか会えない人や、あるいは家族と毎日過ごすのが苦痛という人もいると思う。〈こんなことになるのなら、あの人に優しい言葉をかけていればよかった。〉村井が作中で兄に対して感じた思いが、魚の小骨のように引っかかっている。家族という存在に対して、普段の生活の中では言葉を尽くさなくても大丈夫だと思ってしまいがちだ。だが、家族と共有できる時間は当たり前のようで当たり前でない。志村けんさんが亡くなったとき、遺体と会うことすら許されなかったお兄さんの涙は記憶に新しい。


 ある日突然、家族と会えなくなることは、もはや自分と遠い出来事ではない。村井が兄の不在をじわじわ感じていったように、自分にとってどういう存在だったのか、人はいなくなってから初めて気付く。けれど、いなくなってからではその人に言葉は届かないのだ。ちゃんと、言葉を尽くそう。本書を読んで、改めてそう思った。


(文=ふじこ)