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本木雅弘、“愛嬌を持った悪役”として放つ新たな輝き 『麒麟がくる』道三として物語を動かす役割に

2020年04月19日 08:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『麒麟がくる』写真提供=NHK

 早いもので、放送開始からすでに3カ月が過ぎようとしているNHK大河ドラマ『麒麟がくる』。戦国武将・明智光秀(長谷川博己)の生涯を描くこのドラマの序盤におけるキーマンは、やはり斎藤利政(道三)になるのだろう。


参考:『麒麟がくる』はシェイクスピア劇のような父子の愛憎劇に 織田・斎藤家の親子関係を読み解く


 光秀が最初に仕えた主君であることはもちろん、いわゆる“下克上”を成し遂げた人物として、あるいは“美濃のマムシ”の異名を持つ悪辣な武将として後世に広く知られている道三。これまで西田敏行、里見浩太朗、伊武雅刀、北大路欣也など錚々たる俳優たちが貫録豊かに演じてきたこの人物を、今回演じているのは本木雅弘だ。本木にとっては1998年に主演した『徳川慶喜』以来、実に22年ぶりの大河ドラマ出演となる今回の役どころ。このある種意外とも思えるキャスティングが、序盤の展開においては、思いのほか効いている印象がある。


 八の字型の特徴的なあごひげをたくわえながらも、その端正な面持ちとしなやかな所作はそのままに、けれども腹から出しているような太くて低い威厳のあるその声に、まずは何よりも驚かされた本木道三。それは、これまで多くの俳優が演じてきた道三のイメージとも、これまで本木が演じてきたどの役とも異なる、実に新鮮な印象を視聴者にもたらせた。とはいえ、その決断力と行動力は、まさしく道三そのものだ。主君への裏切りから娘婿の毒殺、嫡男である高政(伊藤英明)との確執、果ては敵を欺くためには味方も騙す狡猾さなど、のっけから“ダークヒーロー”然とした活躍で、本木演じる道三は、周囲の人々を振り回し続けているのだ。


 ちなみにみに本木自身、今回の役どころには、いつにも増した強い思い入れがあるようだ。彼は『麒麟がくる』の公式サイトに、こんなメッセージを寄せている。


「得体の知れない怖さや凄みだけなく、人物に対する独自の愛情を持っていた、そんな多面性の匂う道三を演じていけたらと思っています」


 実際、本木が演じる道三は、決して一筋縄では理解できない多面性を持った……別の言い方をするならば、ある種の“捉えどころのなさ”を持った人物として、本作の中で描き出されているのだった。それにしてもなぜ本木は、意外とも思える今回の役どころに挑戦するに至ったのだろうか。そのヒントは、3月28日に放送されたNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』の中にあった。


 「自意識過剰」「乙女おじさん」「気持ちより、見た目」「(プロフェッショナルとは)プロであることを疑い続けること」など、本人の口から数々の名言(迷言?)が飛び出すなど、放送直後から大きな話題を呼んだ同番組。そこで本木は、斎藤道三という“ダークヒーロー”を演じることを決めた理由について、自身のキャリアを踏まえながら次のように語っていた。


「(演じる役の)幅を広げるときに、悪役っていうのも必要になるじゃないですか。正義は意外と何かあるセオリーや筋書きに則っていけば体現できちゃうものだったりするけど、悪役ってもうひとうねり、ひとひねりないと認めにくい人間だから、その難しさと面白さがある」


 そう、気が付けば50代となった本木は今、自身の役者としての幅を広げるため、これまであまりやってこなかった“悪役”も、積極的に演じるようになったのだ。たとえば昨年、本木が出演したBBCが製作協力した英日合作のドラマシリーズ『Giri / Haji』(平岳大、窪塚洋介らがメインキャストとして出演。Netflixで現在世界配信中)。そこで彼が演じていたのは、窪塚扮する“勇人”が所属していた暴力団の強権的な組長“福原”だった。


 ダブルのスーツを着込みながら、言葉少なに相手を威圧する“福原”。そこで本木は、イギリス人が求める“クールで現代的だが、実に暴力的な日本のヤクザ”像を、見事に体現してみせた。時系列的にも、この“福原”役がひとつのステップになったのだろう。けれども、同じく部下を従えた首長であり“悪役”でありながら、“福原”と“道三”では、そのキャラクターは少々異なっている。『麒麟がくる』で本木が演じる道三は、“福原”と同じように、恐怖で相手をひれ伏させる静かな迫力を持った人物だ。しかし、本木が演じる道三には、恐怖だけではない奇妙な“愛嬌”がどこか存在するように思うのだ。


 そもそも、本木演じる道三は、配下の者たちから、まったく慕われていない。先日の放送でも、光秀に「わしが嫌いか?」と問い掛けて、「どちらかと申せば嫌いでございます!」と面と向かって言わせてしまうほど、実に人望の無い人物なのだ。しかも、ことあるごとに吝嗇家……平たく言えば“ケチ”であることも強調されている。そう、“福原”が典型的な“静”のキャラクターだったとするならば、“道三”はその“静”の中にどこか捉えどころの無さがあるような……しかも、それが周囲の人間にとっては、時折滑稽に見えるような、そんな奇妙な人物として描き出されているのだ。


 そこで思い起こされるのは、先述の『プロフェッショナル 仕事の流儀』を撮り終えた番組ディレクターの言葉だった(引用:描きたいのは「光と影」ディレクターが感じた “本木雅弘” とは──?|NHK)。約半年にわたる密着取材を終えた今も、「結局、まだ本木さんがどんな方なのか、わからない」と語るディレクターは、その思いを次のように述べている。


「本木さんの言葉を借りると『自分は何者なのか自分で決めてしまったら限界値を定められた気分になる』と。だからできるだけ規定されたくない。そういう彼の矛盾する中で揺れていることが、結果的にミステリアスな人を作っているのかもしれません」


 この「規定されたくない」という思いは、奇しくも彼が今回演じてる道三のキャラクターにも大いに反映されているのではないだろうか。「油売りから身を起こした成り上がりものの子でマムシと陰口を叩かれる下賤な男」と自ら称しながら、心のうちではそれを必ずしも認めていないような、どこか矛盾した雰囲気を持った道三というキャラクター。そう、「矛盾する中で揺れていること」。それが、今回本木が演じる道三という人物の醍醐味であり、自身はもちろん、その周囲の人々を思いがけない行動に駆り立てる物語的なひとつの“装置”として、大いに機能しているのではないだろうか。


 さらにもう一点、今回本木が演じる道三の見どころを挙げるならば、それはことあるごとに彼が対峙する人物の多くが、本木よりも年下であるところだ。その代表作でありアカデミー賞外国語映画賞(当時)を受賞した映画『おくりびと』をはじめ、いわゆる“青年役”として年上のベテラン俳優と絡むことが多かった印象のある本木。けれども、今回のドラマでは、主人公・明智光秀を演じる長谷川博己、ひとり娘である帰蝶(濃姫)を演じる川口春奈、嫡男・高政(義龍)を演じる伊藤英明など、年下の役者と対峙するシーンが実に多いのだ。


 先述の番組で「気持ちより、見た目」と公言していた本木だが、やはり一対一のシーンでは、相手の役者とその感情を取り交わすものである。彼の芝居が相手から引き出し、相手の芝居が彼から引き出すものも大いにあるだろう。実際これまでも、道三が光秀や高政と対峙するシーンは、このドラマのひとつの見せ場となっていた。


 そして、いよいよ第14回「聖徳寺の会見」で、道三はこの物語のもうひとりの重要な人物である“彼”と対峙することになる。本木と同じくその意外性に富んだキャスティングが話題となり、現在のところ期待に違わぬ好演でこれまでにない人物像を描き出している、染谷将太演じる織田信長だ。


 果たしてそこで、彼ら2人は、どのような空気を醸し出しながら、どんな言葉を交わし合うのだろうか。結果的に、主人公・光秀はもちろん、帰蝶や高政、そして道三と信長自身の運命をも、大きく動かしていくことになるこの会見。物語的な意味でも、本作の序盤におけるひとつの大きな見せ場となるに違いない、その手に汗握る“会見”に期待したい。(麦倉正樹)