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MotoGP ホンダ名バイク(1):990cc時代に合計48回の優勝を遂げたRC211V

2020年04月14日 16:51  AUTOSPORT web

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2002年 バレンティーノ・ロッシ(ホンダRC211V)
ホンダの3台のMotoGPマシン RC211V、RC212V、RC213Vは、他のどのマニュファクチャラーよりも多くの勝利とタイトルを獲得してきた。それはホンダのエンジニアリングと最高のライダーの才能との組み合わせがあったからだ。

 2002年にMotoGPが4ストロークを採用してからの18シーズンの間、ホンダはライダーズおよびコンストラクターズ世界選手権タイトルを22回獲得し、153回のグランプリ優勝を飾ってきた。

 これほどの優位性は、天才的なエンジニアと伝説的ライダーの才能を組み合わせた結果によるものだ。ホンダにとってレースは常に非常に重要なことであり、ホンダがレーストラックで行ってきた仕事は、モーターサイクリングに大きな影響を与えてきた。バイク愛好家たちが日頃楽しんでいる多くの技術は、ホンダのエンジニアの精神から生まれた。常に彼らはレースに勝つだめだけでなく、勝ったレースから学んでいるのだ。

 RC211V、RC212V、RC213Vのネーミング方法は、1960年代に世界選手権に旋風を起こしたホンダの最初のグランプリバイクに使われたものを踏襲している。そうした素晴らしいマシンには、6気筒250ccのRC166や、5気筒125ccのRC149、4気筒500ccのRC181がある。

 RCはレーシング・サイクル(Racing Cycle)の略だ。211はRC211Vがホンダの21世紀最初のグランプリバイクであることを意味しており、Vは5気筒エンジンがV字に構成されていることを表している。212はホンダの21世紀における2台目のグランプリバイクであり、213は3台目だ。

 今回はヨーロッパのホンダ・レーシングのWEBサイトでレポートされた3台のマシンについて紹介していこう。

ホンダRC211V(2002年~2006年)

 2002年にMotoGPが4ストロークを採用した際、ホンダは今でもMotoGPパドックやそこを超えた場で崇拝されている、卓越したバイクを製作するチャンスを捉えた。

 RC211Vのデザインはずば抜けて素晴らしい。5気筒V型エンジンは、ライダーにとって最高に扱いやすいパフォーマンスをもたらしたほか、コンパクトなデザインによってライダーがコーナーを攻める際に真の自信を与えてくれるシャシーの構築を可能にした。これにより、多くのライダーがRC211Vの性能を最大限に引き出すことができたのだ。


 アレックス・バロス、マックス・ビアッジ、トニ・エリアス、セテ・ジベルナウ、ニッキー・ヘイデン、マルコ・メランドリ、ダニ・ペドロサ、バレンティーノ・ロッシ、玉田誠、宇川徹ら10人のRC211Vライダーたちは、2002年から2006年の5年にわたる990cc時代に、MotoGPレースで合計48回の優勝を飾った。またその期間中にRC211Vは、ライダーズタイトルを3回、コンストラクターズタイトルを4回獲得している。

 RC211Vは75.5度のV型エンジンを使用し、フロントバンクに3気筒、リヤに2気筒が配置されていた。このコンセプトの一部はホンダのそれまでのグランプリバイクおよび市販車から採用され、ホンダの技術の潮流は双方にあることが証明された。

 ホンダのNSR500は、より有効にリヤタイヤにトルクをもたらすビッグバン式点火構成が取り入れられており、1992年にホンダがビッグバンコンセプトを導入してからというもの、世界選手権500ccクラスの終盤の年月を完全に支配した。

 RC211Vのシリンダー設計は、1997年のスーパーバイク世界選手権を制したV型4気筒の市販車RC45から得た教訓が大いに生かされている。ふたつのエンジンの燃焼室設計と、ボアおよびストロークの寸法は非常によく似ている。

■数々のタイトルをもたらしたホンダRC211V

 初のMotoGPシーズンにおける最速バイクは、宇川が1勝を挙げたRC211Vであり、2002年6月のムジェロで、時速324.5km/201.6マイルに到達した。パワーは、2006年の990ccクラス最終シーズンまでに大幅に増強され、ケーシー・ストーナーのRC211Vが、ムジェロで時速334km/207.5マイルを叩き出し最速を記録した。

 ホンダの最初のMotoGPシャシーは、同社の最初のMotoGPエンジンと同等だったのは確かだ。シャシー設計の背後にある重要な意図は、マスの集中化だった。ハンドリング、ステアリング、および全体的な操作性を改善するために、必然的に最大限にマスをバイクの中心に集中させることになった。

 このコンセプトの重要な側面は、燃料タンクの配置変更だった。RC211Vの型破りな設計により、燃料の3分の1はライダーの下に配置され、燃料の重さがバイクの中心に近づくことになった。ライダーは、レースの序盤ではこの点が特に有利であると感じていた。それまではバイクの高い位置に多くの燃料が配置されていることに苦戦していたのだ。HRCは、NSR500が序盤の周回でパフォーマンスのポテンシャルを70パーセント出した一方で、RC211は80から90パーセントのパフォーマンスを出したと推定した。

 扱いやすいシャシーはさておき、RC211Vがまずは新タイヤで、次にユーズドタイヤでもレース距離全体で速度を出せたのは、フラットでフレンドリーなトルクカーブのおかげだ。これにより、ライダーはリヤタイヤを回転させてコントロールを維持することができた。回転数が上昇してもトルクが上がらないため、タイヤは何事もなくグリップを増すことができたのだ。

 ロッシがRC211Vによる初ライダーズタイトルを2002年に、また翌年の2003年にもタイトルを獲得した後、ホンダの最強ライダーは若きアメリカ人のニッキー・ヘイデンとなった。ヘイデンは2002年にホンダVTR1000でAMAスーバーバイク選手権のタイトルを獲得し、2003年にレプソル・ホンダに加入した。

 ヘイデンのライディング技術は、アメリカのダートトラックで学んだものだが、バイクをルーズに駆り、バイクを進めるためにホイールスピンを使っていた。ヘイデンがRC211Vを気に入ったのも当然だ。ヘイデンは2006年のMotoGPタイトルを最終ラウンドで獲得した。それはグランプリの歴史のなかでも最も劇的な日々の一部だった。ヘイデンとRC211V、そしてバレンシアのあの日の思い出は、永遠に生き続けるだろう。

ホンダ名バイク(2):RC212Vに続く