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ビートルズの遺伝子受け継ぐ新鋭バンド yonawo初インタビュー ネオソウルへ至る音楽遍歴からメンバーの素顔に迫る

2020年04月01日 16:01  リアルサウンド

リアルサウンド

yonawo(池村隆司)

 福岡出身の4人組バンド、yonawoの1stミニアルバム『LOBSTER』がリリースされる。ボーカル&キーボードの荒谷翔大による少しハスキーでソウルフルな歌声と、音数を削ぎ落としたシンプルでざらついた手触りのバンドアンサンブルには、ジャズやロック、ヒップホップ、R&Bなど様々な音楽スタイルからの影響が見て取れる。


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 そういえば、先だって開催された東京での「お披露目ライブ」では、開演前のBGMで自分たちのお気に入りの楽曲を流していたが、ビル・エバンスやザ・ストロークス、エイフェックス・ツインなどが並ぶその雑食な音楽的嗜好は、yonawoの音楽性にダイレクトに反映されていて興味深い。とりわけビートルズ以降のUKロックから受け継いだ遺伝子が、彼を昨今巷に氾濫する多くのネオソウル~シティポップ系のバンドとは、一線を画すものにしているのは間違いないだろう。地元に根ざしながら、早耳の音楽ファンを中心に着々とファンベースを広げているyonawo 。その素顔に迫るためメンバー全員に話を聞いた。(黒田隆憲)


■yonawo結成の前日譚


ーーまずはyonawo結成の経緯から教えてもらえますか?


荒谷翔大(以下:荒谷):僕と(斉藤)雄哉は中学の時、同じクラブのサッカーチームで音楽の話をして意気投合したんです。「ビートルズっていいよね」「うち、レコードあるよ?」みたいな。それまでレコードとか触れたこともなかったから、それで彼の家に遊びに行くようになって。しかも「楽器が弾きたいんだよね」と話したら、「ギターもピアノも家にあるよ?」って(笑)。


斉藤雄哉(以下、斉藤):親がミュージシャンなんです。


荒谷:なので最初は「バンドをやろう」というより、「2人で音楽をやろう」みたいな感じで盛り上がりました。


ーー田中さんと野元さんは、斉藤さんの高校時代の同級生だったとか。


田中慧(以下、田中):野元とは学祭でバンドを組んだんですけど、その時は僕がギター&ボーカルでした。音楽的には今のyonawoよりもっとロックっぽいというか。荒削りなUKロックが好きだったので、そういうののカバーをしていましたね。


野元喬文(以下、野元):そこで時々、雄哉がギターを弾いてくれていて。雄哉を通じて荒ちゃんとも遊ぶようになったんですけど、バンドも「遊び」の延長線上というか。みんなで誘い合ってリハスタに入って音を鳴らす、みたいな。


荒谷:テクニックも何もなかったけど(笑)、とにかく音を出して適当にセッションするのが楽しかったんです。


ーー曲は主に荒谷さんが作っているそうですが、いつくらいから作曲するようになったんですか?


荒谷:小さい頃から歌うのが好きで、近所中に聞こえるくらいの大声でJ-POPの曲とかを歌っていたんですけど(笑)、そのうち鼻歌で適当に作ったメロディをボイスメモに録ったり、それを繰り返し聴いて覚えたりするようになって。その先に楽器演奏やバンド活動があるんじゃないかということは、漠然と思っていましたね。


ーー最初にビートルズの話が出てましたが、yonawoの音楽にはUKロックの遺伝子が受け継がれているんじゃないかと、先日のライブ(昨年11月に東京・恵比寿KATAで開催された『yonawo “ミルクチョコ” Release Party』を観たときに強く感じたんですよ(『福岡発バンド・yonawoがスペシャル・ライブで見せた、yonawoイズムニックなサウンド』)。


斉藤:おっしゃる通り、僕ら4人とも音楽の入り口はUKロックでしたね。


荒谷:僕も慧と同じで荒削りなロックが好きなんですけど、アルバムの後半に入っているミディアムテンポの「いい曲」とか、ちょっとセッションっぽい曲を気づいたら繰り返し聴いているタイプでした。例えばビートルズの『ホワイト・アルバム(The Beatles)』だったら「I’m So Tired」や「Cry Baby Cry」のような、気だるくて哀愁漂う感じの曲とか、「Happiness Is A Warm Gun」みたいに、1曲の中で目まぐるしく展開していく曲……。


田中:『Revolver』に入っている「For No One」とかね。あと、僕らの中の共通点として暗い曲に惹かれる傾向があって。『Rubber Soul』の「Michelle」もそうだし、例えばアークティック・モンキーズも、ダークでクールな感じがすごく好きでした。


斉藤:「Only Ones Who Knows」とかね。


田中:そうそう!(笑)ポーティスヘッドの『dummy』もめちゃくちゃ好きだし。ボーズ・オブ・カナダとか、ちょっと奇妙な音楽が琴線に触れるんです。yonawoでも今後、そういう曲を作って荒ちゃんに歌わせてみたいなと思っています。


荒谷:歌ってみたい!(笑)


■「かっこいい音」のイメージは言わなくても共有できている


ーーいわゆるブラックミュージックに傾倒していったのは、どういう経緯だったんですか?


斉藤:僕らが高校を卒業する頃、ちょうどローファイヒップホップが出てきて。サンプリングのネタになっていたジョージ・ベンソンとかからジャズにハマっていきました。それでジョー・パスとか聴くようになったらチェット・ベイカーにめちゃくちゃハマり、メンバーに聴かせたらみんな好きになったんですよね。


荒谷:僕は高校卒業後にバンクーバーへ行って、1年弱くらい住んでいたんですけど、僕も向こうでそういう音楽にハマっていたからびっくりしましたね。「みんな一緒じゃん!」って(笑)。で、帰国したときには全員がさらに音楽に夢中になっていて。雄哉は専門学校に入ってレコーディングエンジニアの勉強をしていたし、自分たちでもデモテープとか作れるレベルになっていたんですよ。


ーーじゃあ、4人で本格的に曲を作り始めたのは荒谷さんが帰国してから?


荒谷:そうですね。それこそ雄哉と出会った頃からずっと鼻歌で書きためていた曲があるから、カバーをやりつつオリジナル曲も作るみたいなスタイルで活動を始めました。


田中:僕はそれまで別のバンドでギター&ボーカルだったし、それまでベースとか一度も触ったことがなかったんですけど、雄哉から「うちのバンドでベース弾いてくれない?」と言われ、荒ちゃんの作る曲がめっちゃ好きだし、バンドに入りたいなと思ってすぐベースを買って。荒ちゃんがバンクーバーから帰国するまでに練習して、一緒にセッションできるくらいにはなっていました。


荒谷:ベースの楽しさを感じたのってどのタイミングだった?


田中:あー、どうだったかな……。荒ちゃんが「26時」という曲を持ってきて、そのデモに合わせて鼻歌でベースラインを考えてたらリフっぽいフレーズが頭に浮かんできて。それが楽曲を引っ張る要素になった時かな。「Mademoiselle」のときも、荒ちゃんが持ってきたコード進行に自分のベースリフが付けられたのは嬉しかった。「印象的なリフになったかな」って。バンドの中で自分の色を出せた時や、自分のイメージがバシッとハマった瞬間はめちゃめちゃ楽しいですね。


ーー斉藤さんと野元さんは、どういうきっかけで音楽に目覚めたんですか?


斉藤:最初に言ったように父親がミュージシャンだったので、小学校の頃にエリック・クラプトンの「Tears In Heaven」を教えてもらったりしてたんです。コードとかは全く知らなかったんですけど、荒ちゃんと出会って音楽の話をするようになって、バンドとかやれたらいいなと思ったのでそこからめちゃくちゃ練習しました。本気でのめり込むようになったのは、高校生の頃にペトロールズを聴いて、メジャー7thの押さえ方などを覚えて「これは面白い!」と思ったときかな。そこからジャズっぽいギターのアプローチとかも勉強するようになりました。さっき話したジョージ・ベンソンやジョー・パソとか、「影響を受けている」というほど弾けないですけど、音の感じはすごく好きだなって。


野元:僕は小さい頃から打楽器が好きで、小学校の頃は和太鼓をやっていました。とにかく、色んなものを叩いて音の深みを感じるのが好きだったんですよね(笑)。で、慧と出会って色々音楽を教えてもらううちに、気づいたらドラムを始めていました。なので慧に背中を押されたというか……彼が弾くギターも好きだったし、一緒にガレージロックとかやっていく中でどんどんドラムが好きになっていったんですよね。


ーー野元さんは、yonawoのアートワークも担当していますが、絵を描くのも昔から好きだったんですか?


野元:母が絵を習っていたし、姉も絵の専門学校へ通っていたので小さい頃から絵を描くのが当たり前の環境というか。幼稚園の頃からずっと絵を描くのが好きだったし、描いた絵を同級生が褒めてくれたのも嬉しくて。「自分しか分からない」「人には理解してもらえない」と思っていたことが、絵を通じて人に伝わった感動が半端なかったんです。それで将来は人を笑顔にするような絵を描きたいと思うようになり、バンドを始めた今もその気持ちは変わっていないですね。


斉藤:めっちゃ素敵なエピソードじゃん。


田中:そんな夢があるの知らんかったぞ。


野元:(笑)。別に画家になりたいとかじゃないし、とにかく絵を通じて何かを届けられたらいいなと。なので、こういう形でアートワークに関わられているのはとても幸せだなと思っています。


斉藤:僕らもノモちゃん(野元)の絵が好きだし、サウンドもアートワークも全てDIYで出来たら最高だなって。


野元:7inchリリースされた『矜羯羅がる / ijo』のジャケットは、バンドとは関係なく適当に描いてた落書きが採用されているんですけどね(笑)。ジャケットを作ることになって、とりあえず「仮」でこの絵を写真に撮ってLINEで送ったら、そこに荒ちゃんがタイトルを付けて、そのまま作業が進んでいって。「いや、ちょっと描き直したいんだけど」って言ったんだけど、「この手描きっぽい感じがいいんだよ」と押し切られちゃいました。


ーー(笑)。サウンドのざらついたロウな質感など、とても印象的です。何か参考にした作品などはありましたか?


荒谷:最初はもう録りっぱなしというか(笑)。『SHRIMP』の頃は、もろガレージバンドという感じでしたね。予算も限られていたし、スタジオを何時間も抑えてレコーディングするというのは現実的じゃなくて。他に方法がなく必要に迫られてこうなっていった感じなんです。で、作品を出すたびに、そのとき自分たちが好きなものを詰め込んでいったというか。多分、色んなアーティストからの影響はあると思うんですけど、メンバー同士で具体的に名前を挙げるとかはそんなにしていなかったと思います。「かっこいい音」のイメージは、言わなくても共有できているので。


■「喪失感」みたいなものは自分の中の大きなテーマ


ーー先ほど話したライブでも、音響設備もままならないスペースでyonawoらしいサウンドをしっかり再現していたのには驚きました。皆さん、相当耳がいいんじゃないかなって。


荒谷:それはおそらく、いつもお世話になっているエンジニアさんにやってもらったのも大きいと思います。


野元:でも、確かにドラムにタオルを被せて音をミュートしたり、アンプの音量を下げたり、あまり爆音で出さないようには気をつけましたね。


ーー力任せに音を出すより、小さい音で鳴らす方がニュアンスやダイナミクスを出しやすいし、それだけ演奏力も問われるんじゃないかと。


斉藤:ああ、確かに。僕ら、演奏にものすごく自信があるわけではないんですけど(笑)、でもおっしゃるようにニュアンスやダイナミクスこそ演奏の醍醐味だとは思っているので、そこはこれからも向上させていきたいです。


ーーファンキーなカッティングから、サイケデリックな音響的アプローチまで、斉藤さんのギターサウンドの多彩さもyonawoの魅力のひとつです。


斉藤:ありがとうございます。音数が少ないので、空間を埋めていく時にギターの役割は大きいですね。ドラム、ベース、キーボードの音色がさほど変化しないぶん、ギターの音色は今後もっとバリエーションを増やしていったら面白くなるかなと思っていますね。


ーー歌詞はどんなところから着想を得ているのですか?


荒谷:書く時に特にテーマとかは決めていなくて。面白いワードとか、普段の会話の中で聞いた時に心に留めておいて、そこから連想する世界を広げていくことが多いです。広げるときは、なんていうか……「無」になるじゃないけど、かなり感覚的な作業なのでうまく言葉にしにくいんですよね。「無」になるといっても、何も考えないわけじゃなくて(笑)。どこか、子どもの頃の感覚に戻るじゃないけど、出来るだけ純粋な状態で言葉にしていく感じに近いのかもしれない。


ーー「こういうことが歌いたいから曲にしよう」みたいなことよりは、もっと心象風景や言葉の響きを大切にしているというか。本作『LOBSTER』に収録されている「矜羯羅がる」や「Mademoiselle」の言葉遊びにしても、語感の気持ち良さがありますよね。


荒谷:僕が日本語の歌詞を書くきっかけになったのは、はっぴいえんどの「風をあつめて」なんです。それまではずっと英語の歌詞を、文法が合っているのかも分からないまま書いていたんですけど(笑)、はっぴいえんどを聞いた時にめちゃくちゃカッコいいと思ったんです。バンドはもちろん、歌詞の世界観に感銘を受けて。ユーミン(松任谷由実)さんや竹内まりやさんも同じように好きですね。それと、語感の気持ち良さ、ボキャブラリーやリズムの自由さという意味ではラップミュージックにも影響を受けていると思います。


ーーただ、テーマという意味では「矜羯羅がる」は、やり場のない苛立ち、悲しみ。「ijo」には人生への諦観のようなものを感じるんですよね。


荒谷:聴いてくださった人がそれぞれ自由に受け止めてもらえるのは嬉しいです。でも、自分ではあまりそういうことを意識しているつもりはないんですよね。例えば、そこにある風景を描写するだけの歌詞を読んで、そこに「悲しみ」を感じとる人もいれば、「幸せ」を感じとる人もいる。そんな歌詞が書けたらいいなと思っています。


 僕自身も、悲しい曲を聴いているのになぜかポジティブになる時とかもあって。ただ、あえて言えば「喪失感」みたいなものは、自分の中の大きなテーマとしてあるのかもしれないと、今こうしてインタビューを受けながら思いました(笑)。


ーーそういう「喪失感」はどこから来ていると思います?


荒谷:うーん……(しばらく考える)。今こうやって当たり前のように音楽をやっていて、めちゃくちゃ楽しい時間を共有しているけど、それってどこか白昼夢を見ているような感じが僕の中にあるんですよね。現実味がないというか、死んだら夢のように消えてしまうわけだし。そういうことを、心のどこかで感じながら曲を書いているのかもしれない。それを表立って言葉にしているわけじゃないけど、曲に落とし込むことで整理しているところはある気がしますね。で、それを聴いた人が、同じような思いを言葉じゃなく感覚で共有してくれたら「救われる」というか。「生きてるっていいな」と思える瞬間なのかなと思います。


ーー同郷のnape’sとは交流も深く、彼らの音源のミックスダウンを斉藤さんが手がけるなどしているそうですが、福岡でシーンを盛り上げたいという気持ちもありますか?


荒谷:nape’sも僕たちも、個々で頑張って大きくなって、自然とシーンが形成されていったらそれが一番理想的だなとは思っていますね。まあ、そんな話を彼らとしたこともないですけど(笑)。今のところは東京に拠点を移すとか考えていなくて。


斉藤:福岡の緩やかな空気感とかすごく気に入っていて。制作もリラックスして出来るし、地元なので遊ぶ場所もたくさんあるから、普段は音楽以外のことをしている方がアイデアも湧きやすいと思うんですよね。


荒谷:気分転換し放題だからね。それで制作進まなくなっちゃ本末転倒なので(笑)、ちゃんと自己コントロールしながら活動を続けていきたいです。


斉藤:あまり一つのジャンルに拘らず、自分たちが面白いと思ったことに素直に影響されながらどんどん変わっていけたらいいなと思っています。


荒谷:今回のアルバムも、自分たちが今までやったことのない音作りやレコーディングを試せたから、そこは満足していて。今度はまた違うアプローチで曲が作れたらいいなと。何かのスタイルに寄り添うのではなく、「yonawo」というブランドの中で自分たちのやりたいことを自由にやれば、それがスタイルになるというか。それを聴いていい気持ちになってくれたらめちゃくちゃ理想的です。


田中:これからもいろんな楽曲にチャレンジしていきたいけど、とにかく荒ちゃんの歌詞とメロディに惚れ込んで僕はこのバンドに入ったので、そこはずっと大切にしていきたいです。(黒田隆憲)