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オールシーズンタイヤで松島へ! 総距離1,000キロで燃費は?

2020年03月30日 11:32  マイナビニュース

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画像提供:マイナビニュース
サマータイヤとスタッドレスタイヤの中間的な存在として近年、本格的に普及し始めているオールシーズンタイヤ。環境にもよるが、「タイヤ交換が不要」と聞いて気になっている人も多いのではないだろうか。今回はオールシーズンタイヤを装着した愛車「S124」で総距離1,000キロのロングドライブに出かけて、その燃費や乗り心地を試してきた。

○雪の軽井沢では実力を発揮! 今回は?

昨年末からミシュラン製のオールシーズンタイヤ「クロスクライメート」(195/65R15 イタリア製造)を装着しているマイカー「メルセデス・ベンツ E220ステーションワゴン」(1995年製S124 2.2リッター4気筒ツインカムエンジン搭載)。すぐに雪道での性能を確かめたくなり、新雪の軽井沢で山中を走り回った時の話はすでに報告済みだ。その際、高速道路での燃費がリッター12キロを超えるという、S124にとってにわかに信じがたい数字をたたき出しているので、今回はその数字が確かなものなのかどうか決着をつけるべく、高速道路中心のロングドライブを敢行したわけである。

目的地として選んだのは、筆者の住む東京都内から約450キロ離れた宮城県三陸沿岸の松島と石巻。なぜ彼の地を選んだのかといえば、3月20日に航空自衛隊松島基地で開催される東京オリンピックの「聖火到着式」において、「ブルーインパルス」(T-4練習機)が大空に五輪の輪を描くという話を聞いたからだった。

映像でしか見たことはないが、1964年の東京オリンピックにおける「ブルーインパルス」(F-86F戦闘機)の演技はすでに伝説となっており、それが今回の式で再現されるという。ぜひ、この目で見てみたい! それは、航空ファンにとっては何物にも代えがたいイベントなのだ。

出発の前日には、いつもS124のメンテをお願いしている東京・武蔵境の後藤自動車でエンジンオイル(WAKO’S EXクルーズスペシャル6.5リッター)、フィルター、弱ったバッテリーを新品(BOSCH 7C)に交換。さらに、オイル漏れのあるヘッドガスケット周辺を清掃してもらい、ロングドライブに備えた。

○強風の常磐道を北上

出発したのは、3月20日未明の午前2時半。当日の天気予報は晴れとなっていたが、気になったのは東北地方に出ていた強風注意報で、場所によっては警報レベルだという。常磐道で関東地方を抜けて福島県に入り、あたりが明るくなり始めたころには、北北西からの強風が吹き始め、道路わきの吹き流しは水平になったままビリビリと上下左右に震えているような状況だった。

サマータイヤ並みのグリップを誇るというクロスクライメートだが、さすがに秒速20メートルを超えるような斜め前方からの向かい風は厳しい。切り通しや橋上など、周りの地形によって風の向きや強弱に変化があるので、絶え間ないステアリングとアクセルの修正に神経を使う。場所によっては、時速50キロや80キロの規制区間が続いた。

さらに、広野~南相馬間は福島第1原発の近くを通るので、NEXCO東日本が道路わきに設置したモニタリングポストの放射線測定量が0.1μSv/h(マイクロシーベルト/時間)から次第に増え始め、常葉双葉付近では2.4μSv/hと最大値となる。助手席の妻にその数字をスマートフォンで撮影してもらいながら走行。この時間帯だと、前後や対面を走る交通量が極端に少ないので不安感はmaxだ。

仙台平野に入っても風は全く止まないばかりか、津波の堤防代わりの高い盛り土を走る構造となるため完全に吹きっさらしの状態に。そんな中、クロスクライメートのグリップを信じてアクセルを踏み続ける。オンロードでの直進性や剛性感に不安があるスタッドレスタイヤでなくて、ホントによかった。
○ブルーインパルスがテイクオフ!

鳴瀬奥松島TB(本線料金所)を過ぎると、復興道路(三陸自動車道)の無料区間が始まる。矢本ICで高速を降り、航空自衛隊松島基地付近に到着したのは午前8時半ごろ。基地周辺ではすでに渋滞ができ始めていて、宮城県警のパトカーや白バイが「この付近の道路は駐車禁止です。速やかに移動してください!」と連呼しながら巡回中だった。

コンビニやホームセンターの広い駐車場はすでに、地元だけでなく他府県ナンバーのクルマであふれている。S124は、農作業をしていた田んぼの所有者のご厚意でそのあぜ道に止めさせていただき、事なきを得た。その一部は狭く荒れたアクセス道路だったが、ここでもクロスクライメートは安心感のあるグリップを示してくれた。

ブルーインパルスの撮影ポイントには、前夜から場所取りをしていたという多くの“つわもの”たちが。基地近くには、ブルーインパルスカラーのルノー「カングー」が止められていて、フライトのGOサインが出るまでの長い待機時間には、カメラ小僧たちの格好の被写体になっていた。

携帯アプリの「フライトレーダー24」でチェックすると、聖火をアテネから運んできたJA837便は到着を早めるため、すでに佐渡島沖の日本海を飛行中。午前9時半には、強風をものともせず機首を極端に右斜めに向けながらアプローチし、大観衆が見守る中、見事一発でランディングを決めた。

一方、目当てのブルーインパルスは、当初のフライト予定時刻だった11時を過ぎてもタキシングを始めないので皆をヤキモキさせてくれたが、20分ほど過ぎたころには、気持ちのいい爆音を轟かせて全12機が一斉に離陸した。地元テレビ局のスタッフに聞くと、強風で新幹線が止まってしまい、五輪相らが遅刻した影響でテイクオフが遅れたのだという。

11時41分。隣のマニアが手にしていた航空無線から、隊長機から発せられた「ナウ!」という掛け声が聞こえた。上空で旋回待機していた編隊は、それを合図に五輪の輪(オリンピックシンボル)を空に描き始めたが、スモークは吐き出されるやいなや強風に吹き飛ばされてしまい、残念な結果に。直後に披露した「リーダーズベネフィット」(五色カラーの直線飛行)は見事にコンプリートしたものの、地上ではその後の聖火着火式でも点火に苦労したとのことで、今回の東京五輪の行末を暗示するようなトラブル続きのイベントとなった。

イベント終了後の渋滞を抜け、近くのガソリンスタンドでハイオクガソリン43.82リッターを給油。ここまでの走行距離は466キロだったので、簡易満タン法で計算すると、燃費はリッター10.63キロとなった。強烈な向かい風の中での走行が多かったので、さすがに数値は伸びなかったようだ。
○大川小学校跡地へ

震災復興を旗印とする今回の東京オリンピック。聖火到着式会場の約30キロ先には、津波で74人の児童と10人の教職員が犠牲になった大川小学校跡地があったので向かってみた。強風で波立つ北上川の河口近くにある大川小学校付近は、遺構として残された校舎以外の街並みは全て津波で流されていて何もなく、今後は慰霊・追悼の場として周辺整備が予定されているとのこと。あたりには、ダンプや重機がひっきりなしに走り回っていた。

現地では「大川伝承の会」共同代表の鈴木典行さん(55)に話を聞くことができた。大震災当日の事実関係は他の記事に譲るとして、鈴木さんも当時、同小学校6年生だった次女・真衣さんを失った遺族の1人だ。津波の2日後、積もった土砂を素手で掘り進めて我が子の遺体を地中から抱き上げたときの話は、胸に迫るものがあった。鈴木さんは聖火ランナーにも選ばれていて、「娘の名札をつけて走るんです」とおっしゃっていたが、原稿執筆時点でランナーによるリレー中止のニュースが飛び込んできている。

○復興は道半ば

当日は松島のホテルで1泊。部屋から朱塗りの「福浦橋」(出会い橋とも呼ばれている)や夜明けの三日月、日の出などの絶景を楽しんだのち、早朝から伊達政宗ゆかりの瑞巌寺を訪ねたり、小型船を貸し切って松島の海からの景色を堪能したりした。

湾内の野々島に自宅がある「第2しらゆり丸」の船長さんの話だと、今の松島はそこそこの人出はあるものの、五輪景気を当て込んで数を増やした小型観光船の多くが開店休業の状態なのだという。

午後は石巻市に移動。狭い急坂をS124で駆け上り、頂上の日和山公園(震災当日は多数の市民がここに避難した)の駐車場に到着した。公園内には、震災前の市内の様子を撮影した写真が設置してある。市街地を見下ろすのにちょうどいい場所なので、震災の前後で街の様子がどう変わったかがよく分かった。そして、復興がまだまだ道半ばであることも。

○またも好燃費を記録!

午後3時過ぎに石巻を出発し、往路と同じルートで東京へ。いわきあたりまでは、昨日ほどではないものの相変わらず横風が強く、平均時速も下がり気味だった。途中、流山付近で事故渋滞(25キロ、2時間以上)との情報を得たので、つくばJCTから圏央道に迂回し、入間ICで一般道に降りたところでGSに入る。2日目のトリップメーターは530キロ。ハイオク41.18リッターを給油したので、満タン法での燃費はリッター12.87キロというかつてないハイスコアを記録した。クロスクライメートが好燃費を叩き出すオールシーズンタイヤであることを証明してくれたのだ。

今回のロングドライブは、風という思いがけない敵に苦しめられたが、いろんなものが見られただけでなく、現地の人たちの話もたくさん聞くことができて、とても有意義な旅になった。どんなシチュエーションでも気にせずに乗ることができたオールシーズンタイヤの存在にも感謝しないといけないかもしれない。

○著者情報:原アキラ(ハラ・アキラ)
1983年、某通信社写真部に入社。カメラマン、デスクを経験後、デジタル部門で自動車を担当。週1本、年間50本の試乗記を約5年間執筆。現在フリーで各メディアに記事を発表中。試乗会、発表会に関わらず、自ら写真を撮影することを信条とする。(原アキラ)