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『スカーレット』脚本家・水橋文美江の手腕 モデルありきの物語に変化をもたらす?

2020年03月26日 06:41  リアルサウンド

リアルサウンド

『スカーレット』(写真提供=NHK)

 放送も残りわずかとなったNHKの朝ドラ『スカーレット』。本作で一貫して特出していた水橋文美江の脚本について、ドラマ評論家の成馬零一氏にこれまでの朝ドラと比較して解説してもらった。


「『スカーレット』は3部構成で進行した物語でした。常治(北村一輝)と別れるまでを第1部とすると、八郎(松下洸平)と別れるまでが第2部、そして武志(伊藤健太郎)との別れを描く第3部と、父・夫・息子と喜美子(戸田恵梨香)の関係が中心にありました。根幹にあるのは常治という“父親の呪い”で、喜美子たち3姉妹の中で“内なる常治”が目覚めていくのが本作の面白いところでしたね。第1部が、本人たちがある種最も憎んでいた父親が仮想敵だったとしたなら、第2部以降は自分の内側にある父親をどう認めていくのかを描いていたと思います。同時に物語自体はシスターフッド的で、水野美紀が演じる女性ジャーナリストのちや子をはじめ、喜美子を中心とした女の連帯が描かれていました。そういった男女の対比が喜美子の年齢の変化とともに描かれていたのが面白いポイントだったと思います」


【写真】今は亡き常治と喜美子


 また、戸田恵梨香演じる喜美子は、朝ドラヒロインとしても新しい存在だったと成馬氏は続ける。


「喜美子が自分の置かれている状況を理解しないまま流されていく姿が、とてもリアルでした。なんだかんだいって朝ドラの最大のテーマは『朝ドラヒロインをどう描くか』ということに尽きると思うんですよね。良妻賢母の優等生的なヒロインにするか、自由奔放なヒロインにするか。ヒロインの造形を突き詰めていくことで、彼女衝突する時代や時代が浮き彫りになっていく。2010年代の朝ドラは、遊川和彦さんや北川悦吏子さんといった民放のドラマで書いていた脚本家が朝ドラ的なフォーマットの中で自身の作家性を発揮することで、朝ドラヒロインの新しいイメージを更新してきたのですが、一方で、作り手の主張(作家性)が強すぎてコンフリクトが悪目立ちして物語に入れないという人が多かった。対して水橋さんの脚本は、作家性は明確にあるんだけど、それが見えにくいというか『書き手の作為』を消すのがうまい作家ですよね。だからヒロインやその家族が追い詰められていく物語が自然に入ってくる。社会構造によって理不尽な目に遭っているのに、喜美子自身はその状況が分かっていなくて、諸悪の根源に見える父親も拾は貧困の問題で色々な影響を受けている。格差や貧困の問題このような距離感で描く手腕は、最近の『パラサイト 半地下の家族』や『ジョーカー』、『天気の子』などとも連動している感じがしました」


 そして最後に、モデルありきの物語としても、変化をもたらした作品だと自身の考えを述べた。


「象徴的なのが、喜美子が笑ってしまう場面ですよね。騙されたり、最悪な状況で、笑って家族を許してしまう姿は、視聴者が考えているヒロインの善男善女的な明るさとはちょっとズレていると思うんですよ。朝ドラでは、戦前・戦中・戦後を駆け抜けた陶芸家や女性アニメーターなど、モデルとされる方の人生を、視聴者が共感できるように普通の感覚を持った人に落とし込んでいくという作り方をしてきましたが、それをやると、どこかでズレが出てくるんですよね。モデルとされた方の評伝や自叙伝を読むと、今よりも不自由だった時代に、実業家や芸術家として成功した人は、一般の常識では計れないものを持っていたんだろうなぁと感じます。だから“庶民的でありながら天才”なヒロインを作るとどうしても無理がでてしまうのですが、『スカーレット』の喜美子は、本来だったらこういう風に見えるんだろうなぁという一般人とかけ離れた部分がちゃんとある。だから大胆な実験作というか、一見わかりにくいところで今までの朝ドラにない革新的なことをやっていて、分かる人には分かるという作りだったと思います。ですので、モデルに基づいた物語の朝ドラにトドメを刺してしまった作品だと感じました」


 『ホタルノヒカリ』『母になる』(どちらも日本テレビ系)、『みかづき』(NHK総合)など、これまでもヒット作の脚本を手がけてきた水橋文美江だが、『スカーレット』は彼女の新たな代表作として刻まれる作品となっただろう。


(大和田茉椰)