2020年03月19日 17:21 弁護士ドットコム
オウム真理教による地下鉄サリン事件被害者の浅川幸子さんが3月10日、サリン中毒による低酸素脳症のため東京近郊の病院で死去した。56歳だった。
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幸子さんは1995年3月20日、地下鉄丸ノ内線で被害に遭い心肺停止の状態で見つかった。それから25年、寝たきりの状態だった。
幸子さんの死去を受け、兄・一雄さんは3月19日、東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見し「この25年は、僕たち家族はずいぶん力をもらった。幸子が亡くなって、つらい悲しいだけではいけない。これから前向きに生きていかないと、幸子が悲しんでしまう」と語った。
代理人の中村裕二弁護士は「サリンとの因果関係があることが死亡診断書から明確に見て取れた」として、地下鉄サリン事件の犠牲者が13人から14人になったとの見解を示した。
一雄さんは会見で、幸子さんが事件に巻き込まれてからを振り返った。
幸子さんは1995年3月20日、会社の講習を受けるため、丸ノ内線に乗り、中野坂上駅で被害に遭った。
当時、営業先を回っていた一雄さんの元に、職場から「家に電話をしてください」と連絡があった。母から「幸子が大変なことになっているらしい。すぐに病院の方に行って欲しい」と言われ、病院に電話すると「直接来ていただかないと話ができません」と告げられた。
営業先から新宿の病院へ向かうと、サリンの被害を受けた人が治療を受けたりソファーで寝たりしていた。幸子さんは院内の救命医療センターに入院しており、一雄さんは耳元で「お兄ちゃん来たから大丈夫だよ、安心して」と言葉をかけた。顔は土のような色で、生きているのか分からなかった。
その後、医者から「今後皆さんと一緒に食事をしたりお話をすることは厳しい」と幸子さんが寝たきり状態になることを告げられた。「奇跡は起こらないんですか」。一雄さんの母が涙ながらに聞くと、「生きていることが奇跡です」という言葉が返って来た。
いくつかの病院を転院して数年後、医者から「これ以上の回復は難しい」と幸子さんを施設に入れることを勧められた。一雄さんは一緒に暮らすことは難しいと思っていたが、妻は「さっちゃんかわいそうだから家で見てあげようよ」と言った。救われる気持ちだった。
幸子さんに異変があったのは、2017年12月17日。ヘルパーから「様子がおかしい。体がけいれんし、意識が朦朧としている」と電話があった。その後口から栄養を取ることができなくなり、入院生活が始まった。
2020年2月23日。これが、一雄さんが最後に幸子さんと会った日となった。その後、新型コロナウイルスの影響で、病院の面会などができなくなったためだ。
この日、一雄さんの長女に子どもが産まれたことを伝えた。動画で声を聞かせると、幸子さんは体に力をいれて反応した。2020年4月には、一雄さんの長男にも子どもが産まれる予定だ。一雄さんは「できれば一番可愛がっていた長男の子どもの声を聞かせてあげたかった」と悔やんだ。
幸子さんが事件に巻き込まれたことで、一雄さんの生活も一変した。「被害を受けた妹が一番つらい」とした上で、家族への影響も語った。
「天気がいいから遊びに行こうということもできないんですよね。例えば子供が連れてってと言っても、妹を引き取って一人にしておくことはできないので。些細なことも何もできなくなったことで、子供たちにも苦労をかけ、かわいそうな思いをさせたような気もします」
また、幸子さんの母(96)は3月4日から入院しているが、新型コロナの影響で面会ができておらず、まだ幸子さんが亡くなったことを伝えていない。「母の心の支えになっているので、伝えないほうがいいのかなと」。今後、面会ができたときに知らせるか、家族で話し合うという。
オウム真理教の後継団体である「アレフ」や「ひかりの輪」の信者が増えていることについて尋ねられると、「何かに救いを求めることは仕方がないこと」とした上で、「過去にどういうことをしたのか、改めて考えてほしい。若い子たちは、自分たちが信頼できるものなのか、考えていってもらいたい」と話した。