開幕戦、中止になっちゃいましたね。そこに至るまでの経緯を、改めて振り返ってみたいと思います。
今年は例年より1日遅く、木曜日に現地入りしました。いつものようにタイ航空だったんですが、
成田からバンコクまでの深夜便は、「貸し切りですか」と思うほどのガラガラ状態。三席独り占めで、横になって休ませていただきました。ところがバンコク発メルボルン行きは、一転して超満員。僕の周りはほとんど中国人とおぼしき人々で、医療関係者が使うようなごついマスクを付けてました。
この時点ですでにマクラーレン、ハースのスタッフに感染の疑いが出ていたのですが、
アルバートパークではサポートレースのクルマががんがん走ってるし、ファンたちもたくさん集まってました。マスク着用者は、見る限り皆無でした。
メディアセンターに行くと、手をかざすと自動的に消毒液が出てくる機械が入り口に備え付けられてました。
普段はこういうことに無頓着な記者たちも、せっせと使ってました。
パドックはどんな雰囲気かと覗いてみると、マクラーレンではサインツ囲みの真っ最中でした。至近距離でマイクを突きつけるTV囲みは中止が決まり、記者囲みもこんなふうに規制線の外からのやり取りでした。
「まだ陽性になったわけじゃないし、とにかくレースできるのを楽しみにしてるよ」と。この時は語っていたんですけどね・・。
一方アルファタウリの二人は、TV企画でサッカーボードゲームで盛り上がってました。
ちょっと見ただけでしたが、クビアト圧勝でした(笑)。
そしてピットに回ると、フェルスタッペン父子がピットウォールに並んでモニターを眺めながら話し込んでました。
なかなか珍しい光景です。
盛んに写真を撮ってたら、ヨスがくるりとこちらを向いて、「おい、他にやることねえのか?」と、どすの利いたひと言。親愛の情も(少し)入ってたと思いたいけど、やっぱり迫力あるな~(苦笑)。
開幕戦にはフジTVに加えて、DAZNの取材陣も来てました。
そのまま開催されてたら、さぞ盛り上がってたことでしょう。
そしてこの日の夕方、マクラーレンのスタッフ一人の陽性が判明。マクラーレンはただちにレース棄権を決め、それを受けてチーム代表たちはメルボルン市内で夜遅くまで協議を続けました。とはいえその場にはジャン・トッドFIA会長も、チェイス・キャリーF1CEOもいなかったのですが。
翌朝サーキットに行くと、本来ならフリー走行に向けた準備をしているはずのメカニックたちが手持ちぶさたに座っていました。まだ正式発表こそありませんでしたが、開催中止はもはや動かしがたい事実になっているようでした。
そして10時過ぎ、正式に中止発表がありました。ホンダの首脳陣も、集まってひそひそ話。今後のチームとの協力関係とかを打ち合わせたんでしょうか。
第2戦以降の開催も難しい状況から、長期出張者はいったん日本に返すことを決めたようです。
チームはすぐに撤収作業に取り掛かりました。
11時45分にはGP主催者、チェイス・キャリーF1CEOらによる(釈明)記者会見が行われ、
そのわずか30分後には、パドックも閉鎖。出入りできるのはチーム関係者だけになってしまいました。
こうなるともはや取材もままならず、わざわざ外まで出てきてくれたホンダの山本雅史マネージングディレクターにだけ話を聴くことができました。
山本さん、「観客やスタッフの安全が最優先課題だから」と中止への理解を示してましたが、でもレッドブルやアルファタウリの活躍がかなり見えていただけに、心中はさぞ無念だったはずです。
GP週末の金曜日に、こんな閑散とした景色を見ることになろうとは。
帰り際に「また来年ね」と声を掛けてきたスタッフも、寂しそうでした。
早ければその夜から、メディア関係者も次々にオーストラリアから去って行きました。僕は書くべき原稿が残っていたのと、せっかくメルボルンに来たのだから海岸沿いの素晴らしいランニングコースを堪能したいこともあって、日曜まで残ることにしました。
翌日からは天気は良かったものの、海からの強い風がひっきりなしに吹きつけてました。
もし予定通り行われていたら、予選もレースも強風の影響をかなり受けたはず。バルセロナテストではリヤ挙動にナーバスなところが見られたレッドブル・ホンダは、苦戦を強いられたのか。それでもメルセデスをしのぐ速さを見せたのか。見てみたかったですね~。