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『サーホー』は世界の娯楽映画の趨勢を変える!? 『バーフバリ』ファンも“万歳”な内容に

2020年03月14日 12:11  リアルサウンド

リアルサウンド

『サーホー』

 インド映画史上歴代最高の興行収入を記録し、その激烈な面白さに日本でも話題を呼んだ『バーフバリ』シリーズ。そのバーフバリ役を務めた主演俳優、プラバースがふたたび主演を務める超大作が、ついに日本で公開される。そのタイトルは、“万歳”を意味する『サーホー』だ。初公開時、インド映画ながらハリウッドの並み居るメジャー映画を抑え、『ワイルド・スピード/スーパーコンボ』に次ぐ、世界興行収入オープニング第2位を記録した大ヒット作品である。


参考:プラバースが荒野で大乱闘、砂嵐も襲来 インド映画『サーホー』本編映像公開


 それだけに期待も大きくなってしまう『サーホー』、果たしてどんな映画なのか? そして、『バーフバリ』シリーズのファンが“万歳”できる内容になっているのだろうか? ここでは、大きなネタバレを避けながら、その内容を語っていきたい。


 『バーフバリ』シリーズは、近年の映画作品のなかで、最も大きなインパクトを与えた一本だった。世界の様々な映画作品の娯楽要素をどん欲に集め、きらびやかで豪快なインド映画のセンスでまとめあげた内容は、もはや“王道”を超えて“天道”を走る、巨大な娯楽の火の玉のようであった。


 主人公たる偉大な王バーフバリは、ヒンドゥーの神話における暴風神ルドラのように激しく慈愛に満ち、神の化身クリシュナのように優雅でチャーミング。彼を称える音楽に乗りながら、凄まじいテンションで王国の危機を乗り越えてゆく。バーフバリを演じるプラバースは、まさにここで神を感じさせるカリスマ性を放っていた。


 その凄さに、天才監督S・S・ラージャマウリの手腕があったことは無視できない。黒澤明監督を彷彿とさせる、堂々としてダイナミックな娯楽演出にくわえ、ドイツやロシアで発達した表現主義的な演出によって、美的な象徴性が発揮されることで、作品は圧倒的な領域に到達したといえよう。


 韓国映画がアカデミー作品賞を獲得できるのなら、『バーフバリ 王の凱旋』(2017年)がもっと先に受賞していてもよかっただろうし、『スター・ウォーズ』の新シリーズをラージャマウリ監督が撮っていれば、どれほどの傑作が生まれていたかと想像してしまう。それほど、『バーフバリ』という存在は大きかった。


 さて、そんな超大作『バーフバリ』シリーズを受けて作られた、プラバース主演の本作『サーホー』はどうだったのだろうか。


 今回プラバースが演じるのは、現代の都市に生きる人物。300億円の窃盗事件を解決するため、ムンバイ市警察が呼び寄せた凄腕の犯罪捜査官・アショークだ。窃盗事件に関わる裏社会の人間たちとの戦闘における格闘術はもちろんのこと、鋭い推理力と優れた洞察力によって、犯罪現場から手がかりを見つけていく。


 それだけでなく、アショークは相棒である捜査官の女性アムリタ(シュラッダー・カプール)をも、スマートかつ積極的な態度と、あの“低音ボイス”を駆使しながら魅了していく。そう、プラバースは本作でもパーフェクト過ぎるキャラクターを演じているのだ。その魅力は、展開が進んでいくごとに凄みを増し、誰も止められない天井知らずの状態になっていく。物語のはじめこそオーソドックスな犯罪捜査アクションに見える本作だが、油断していると、誰も思いもしなかった怒涛の展開に突入していくのだ。


 興味深いのは、ハリウッド映画の名シーンをかき集めたようなアクションシーンの数々だ。チームで協力しながらミッションを進め、いざとなったらバイクにまたがり、とんでもない高所から飛び降りるなど、単独で危険に飛び込んでいく内容は『ミッション:インポッシブル』シリーズを彷彿とさせる。


 さらに、スポーツカーで疾走し超人的なテクニックで危機をかわしたり、想像を超える大胆な作戦を実行していく姿、そしてパーティーで盛り上がる様子は、『ワイルド・スピード』のようでもある。さらには『マッドマックス』のごとく、砂嵐吹きすさぶ荒廃した無法地帯でデスマッチを繰り広げ、『アベンジャーズ』のスーパーヒーローさながらに美しく身一つで空中を舞い、あの『バーフバリ』を思い起こさせる、神々しい場面へと行き着くという凄まじさ。


 後半は、これらクライマックス級のシーンが、休みなく次々と描かれていく。そんな常軌を逸した映画を作り上げることも凄まじいが、まずこのような発想をできること自体が圧倒的である。そして、それらのシーンは、見事な撮影技術と視覚効果によって、荒唐無稽な内容ながら迫力とリアリティをもって映し出される。


 「パロディやオマージュばかりだ」と思う観客もいるかもしれない。しかし、こんな映画がいままであっただろうか。強いて言えば、ハリウッドで大規模なアクション映画が全盛だった90年代、全編クライマックスのようなアクションが持続する、ジェームズ・キャメロン監督、アーノルド・シュワルツェネッガー主演の『トゥルーライズ』(1994年)が、唯一近いと思わせる一本だ。しかし、本作はそこにインド風の神々しいセンスや、プラバースのカリスマが加わっているのである。最終的に本作は、何の映画にも似ていない、『バーフバリ』とも味わいが異なる独創的な映画になっている。


 ヒロインとの恋愛描写も規格外だ。男女の愛の行為を、アショークとアムリタが険峻な山脈のなかで愛の歌を歌いあげる幻想的なシーンを入れることで、必要以上にダイナミックに表現したり、狂ったように二人で世界中の素敵な観光名所に出かけ続けるシーンにも圧倒される。きわめつけは、ピンク色のフラミンゴが集うピンク色に輝く湖“ピンクレイク”にボートで乗り出すところだ。本作においては、アクションだけでなく、もはや愛の表現すら、狂気をともなった領域へと到達しているのである。


 現代劇なテクノロジーを活かした表現や、ハリウッドアクション志向など、本作は『バーフバリ』シリーズとは表面的に異なるところも多い。しかし、あらゆる手段を駆使して本当に面白い表現を達成しようという想いや、新しい映像表現を確立するという挑戦心は、深い部分でつながっている。その意味で本作は、似ていない部分も多いからこそ、むしろ『バーフバリ』の精神を受け継いでいるといえるかもしれない。


 『サーホー』が『バーフバリ』と最も異なる点は、『バーフバリ』があくまで“物語”を中心に置き、インパクトある映像と練り込まれた物語の面白さを相乗的に高めていたのに対し、本作は映像の方が明らかに際立っているところだ。最終的に一点へと収束する3つの物語が存在し、つじつまが合っているにも関わらず、それよりも各シーンのインパクトがあまりに強すぎるため、観客はいま自分が何を見ているのかが、よく分からないままに圧倒的な映像に身体をゆだねていくことになる。それはそれで、また違った快感があるのだ。


 このような常識はずれの映画を作り上げたのが、海外でMBAを取得した若者3人が2013年に設立した新しい製作会社「UVクリエーションズ」だ。クリエーションや配給システムのような映画の専門的な知識からビジネススキルに至るまで、新しい世代のセンスが活かされた、常識の枠を越える映画づくりを行っている。


 長編第1作『Run Raja Run』(2014年)により南インド国際映画祭最優秀新人賞を獲得し、本作が二作目となった監督のスジートも、90年生まれの新鋭。17歳の頃からいくつも短編作品を自作、YouTubeにアップしてきた才能で、1作目にしてヒット作。そこから生まれるのが、既成の映画製作、映画表現だけにこだわらない、新しい感覚である。『サーホー』は、意欲的な製作者と監督による、若い力の象徴のような作品なのだ。


 香港映画とハリウッド映画で活躍してきたジョン・ウー監督は、監督作『M:I-2』(2000年)の絵コンテを製作していたとき、トム・クルーズがビルの中から爆発とともにヒーローのような格好で飛び出してくる場面を作ろうとして、スタッフたちから「それじゃスーパーマンになってしまう」と、必死に止められたことがあったのだという。結局、その場面はいくぶん地味なかたちに落ち着くことになった。たしかに、全体のリアリティをコントロールするという観点に立つなら、スタッフの言い分は正しいだろう。だが、逆にいえば、それがハリウッドの限界だともいえる。


 できる限りの荒唐無稽な表現へと突っ込んでいく『サーホー』は、そのような理性的なストッパーはなく、どこまでも突き抜けていこうとするパワーがある。そんな本作を観ていると、「もっと映画は自由になっていい」という気持ちになってくる。このような規模で新しいインドのアクション映画が今後も作られていけば、世界の娯楽映画の趨勢を変える、次世代の潮流が生まれるのではないか。世界の娯楽をリードするのは、インド映画であり、インド映画のフォロワーになっていくかもしれないのだ。


■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter/映画批評サイト