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『劇場版 SHIROBAKO』は時代を表現する作品に 水島努監督の作家性を3つのポイントから探る

2020年03月13日 10:02  リアルサウンド

リアルサウンド

『劇場版 SHIROBAKO』(c)2020劇場版「SHIROBAKO」製作委員会

 “アニメの今がここにある”


 『SHIROBAKO』のキャッチコピーを作品に反映させるのに、これほどふさわしい監督も他にいないかもしれない。『ガールズ&パンツァー』シリーズや『侵略!イカ娘』など、多くのアニメファンを魅了する作品を生み出してきた、現代のアニメ界を代表する水島努監督が手掛けたオリジナルアニメ『SHIROBAKO』の劇場版が公開された。公開週の週末の興行収入ランキングでは3位を記録し、内容も多くのアニメファンから称賛の声を浴びている。今回は水島努監督の作風から本作の魅力と特徴を考えていく。


参考:『映像研』と『SHIROBAKO』に共通するアニメーションへの賛美 それぞれの視点から紐解く


 『劇場版 SHIROBAKO』は2014年の秋に2クールで放送されたTVアニメの続編だ。放送直後から2期や劇場版を望む声が多かったものの、5年の月日を経て公開された。“テレビアニメを作るテレビアニメ”の劇場版作品は、多くのファンが望んだように“劇場アニメを作る劇場アニメ”となっている。


 水島努監督の魅力の1つはテンポの良さだ。通常30分のテレビアニメ1回分のシナリオは、ゲラ(200字詰め原稿用紙)75枚程度で制作されているが、『SHIROBAKO』の場合は100枚ほどに及んだと、『SHIROBAKO設定資料集』に掲載されているインタビューにて明かされている。シナリオの枚数が多くなり、セリフの量が増えてしまった結果、間をゆっくりとるような芝居をしていると30分の枠組みに入らなくなる。そのため、弾丸トークのような会話劇が繰り広げられるのだが、水島努作品はその早さが気にならず、心地よいテンポ感となっている。


 今作でもそのテンポの良さが発揮されているが、前半と後半では間の取り方が異なるように感じられた。前半のミュージカルパートまでは、通常のアニメ作品のようにゆったりとしたテンポで間をとり、後半ではTVシリーズのように速いテンポで物語を推進させていく。このテンポの差で、物語後半の武蔵野アニメーションが映画作りに本格的に取り組み始め、ドタバタとした日々を過ごし、同時に活気が満ちていくことを表現しているように感じられた。このテンポ感は、音響監督を務めたり、作中で披露するダンスを考案するなど、音楽・音響のこだわりやリズム感からくるものではないだろうか。


 2つ目の魅力は映像と音楽の合わせ方だ。水島努作品からは一種の狂気ともいえる迫力を感じることがあるのだが、それは今作でも健在。中盤のミュージカル描写では、過去の名作アニメやアイドルアニメなどの特徴を捉えたオリジナルキャラクターたちが、TVアニメ版でも話題となったエンゼル体操を踊っている。何十人ものキャラクターが一斉にうさぎ跳びをしながら歌う姿は、冷静に考えてみるとなかなか奇怪な映像になっている。何も知らずにそこだけを抜き取って鑑賞した場合には、コメディシーンや、あるいはホラー描写のように見えるのではないだろうか? しかし本作を鑑賞している最中では感動シーン、あるいはワクワクするような喜びの多いシーンとなっている。


 独特の狂気を感じるミュージカルシーンは、水島努監督の過去作にも共通している。短編劇場アニメの『クレしんパラダイス!メイド・イン・埼玉』では、みさえが便秘のために機嫌が悪くなるが、お通じがよくなった時の喜びをミュージカルで表現している。お通じについて語った歌詞は『クレヨンしんちゃん』映画らしいおバカな笑いとなっているが、本気で作られたミュージカル描写はコメディでありながらも、感動も覚えるのだ。その後も『ジャングルはいつもはれのちグゥ!』や『大魔法峠』などでも、歌と映像がリンクする楽しいOPでありながらも、不穏な歌詞や金閣寺が炎上するなどの映像が組み合わさり、シュールな笑いを取り入れるなど、独特のセンスが発揮されている。笑いの取り方やバランスもシンエイ動画に在籍していた経験からくるものだろう。


 本作では木下監督の描き方にコメディの特徴が現れている。木下監督の外見は同じ“水島”姓のアニメ監督である水島精二監督をモデルにしているが、その内面は作中でも屈指のギャグキャラクターとして描かれている。自身の現状に絶望しているという意味ではアニメーターの遠藤と立場は同じながらも、遠藤は奥さんに支えられているのに対して、木下監督は家族だけでなく愛する犬も家を出ており、より一層悲壮感が漂うと共に笑いを生んでいる。木下監督には水島努監督自身を投影している部分もあるだろうが、決してカッコよく描かず、あえて外そうという意図が感じられる。


 3つ目の魅力は群像劇の描き方だ。『ガールズ&パンツァー』シリーズにも共通するのだが、本作は登場人物の数が非常に多い。名前付きのキャラクターだけでも50人はゆうに超えており、それだけ多くの人が1作のアニメ制作に関わっているということを表現している。同時に作品として見た場合には、観客がキャラクターを覚えきれず、混乱する自体になりかねない。しかし、各キャラクターたちの性格や役職がわかりやすく、それぞれに個性を感じるように描写されているため、テレビシリーズ未見であっても、混乱が少ないように描写されている。


 今回は水島努監督の作家性に着目してきたが『SHIROBAKO』が語るように、アニメ制作というのは監督のみでできるものではない。TVシリーズ23話のラストで主人公の宮森あおいが涙を浮かべるシーンが特に話題を呼んだが、この原画を担当した石井百合子にはファンから花束が送られたという。アニメーターがどのシーンに携わっているのかは、一介のファンにはわかりづらく、彼らが注目を浴びる機会が声優などに比べると少ないかもしれない。しかし、キャラクターを描き、動かしているアニメーターたちがいなければアニメ表現は成立しない。本作は、そんなアニメーターたちの技術と努力を正面から活写することにより、卓越した技術を持ったアニメーターが注目されるきっかけになった。


 『SHIROBAKO』シリーズは本作で完結したようにも受け取れるものの、続編の制作の余地も残されているように感じられた。できれば、5年おきにでも制作され、その時代時代のアニメ業界を反映している作品になってほしいという思いもある。“アニメの今”を描き切った作品だからこそ、この先もアニメの今を描き続けていくことで、時代の移り変わりや水島監督やP.A.WORKSの変化などもわかり、より日本アニメ界を語るのに欠かせない作品になってほしい。


■井中カエル
ブロガー・ライター。映画・アニメを中心に論じるブログ「物語る亀」を運営中。