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『37セカンズ』HIKARI監督が語る、世界の巨匠たちを見つめたとき 「私はまだスタート地点」

2020年03月12日 10:41  リアルサウンド

リアルサウンド

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 第69回ベルリン国際映画祭で、パノラマ部⾨の最⾼賞となる観客賞と国際アートシアター連盟(CICAE)賞をW受賞した『37セカンズ』。


 本作は、⽣まれた時にたった37秒間呼吸が⽌まっていたことが原因で、⼿⾜が⾃由に動かない⾝体になった主⼈公・貴⽥ユマ(佳⼭明)が、⾃分にハンディ・キャップがあることをつきつけられる⽇々の中で、ある出来事をきっかけに、⾃らの⼒で“新しい世界”を切り開いていく物語だ。


【動画】『37セカンズ』本予告


 世界各地の映画祭から招かれている本作は、HIKARIの初⻑編監督作品となる。18歳で単身留学、ジョージ・ルーカス、ロン・ハワードら映画監督を輩出した南カリフォルニア大学で学び、本作をきっかけにハリウッドからのオファーが殺到中、現在も大型プロジェクトが動き出している。女優、カメラマン、アーティストとして活動した経歴を持つHIKARI監督に話を聞き、本作の制作の経緯から監督のルーツを紐解いていく。


■「監督は流れで辿り着いた」


――最初はなぜカメラマンのお仕事を?


HIKARI:監督は流れで辿り着いたようなもので、アメリカで写真の仕事をしていた時は、役者、ミュージシャンやアーティスト、時には結婚式も撮影していました。ビザがないと公に仕事ができないので、どうしようかと思っていたときに、お母さんからもらった35mmのカメラを見つけて、なんとなく役者の友達の写真を撮影するようになったんです。日本からミュージシャンがきた時に通訳をしながら、写真をチャチャっと撮ったりもしてたけど、それまで本格的にカメラなんていじったこともありませんでした。ユタ州の大学で油絵を専攻したんですけど、油絵とは違って「シャッター押すだけ? 乾くの待たなくていいの?」と当たり前のことに感動して。油絵って乾くのをすごく待たないといけないけど、写真は、被写体を決めて、照明調節して、レンズ決めて、撮るだけって、めっちゃ簡単やん! って(笑)。私が役者として写真を撮ってもらっていたので、その時のカメラマンさんの見よう見まねで学びました。時にはアシスタントで参加させてもらったりして。ただ、飽きたわけではないけれど、20代の後半で新しい何かをしたい時期があって。女優としても、常にジャッジされることについても、「もういいかな」と思ったのが重なり、母に相談したら、「次は作る側になったら?」と言われて、それじゃ、やってみようかなと。


――カメラマンから、すんなりと監督の道を選べたんですね。


HIKARI:最初は、映画制作のことなんて全く無知だったので、、「監督って何やるの?」っていう状態でした。私が映画を学んだUSC(南カリフォルニア大学院)では、入学式に学院長から 「映画監督なりたい人?」と問われるんですが、学生45人全員が手を挙げたのを見て、「この中で監督として成功するのは2人とかだから、今から手に職をつけときましょう」と言われて。みんな「ガーン…(汗)」みたいな(笑)。なので、もともとカメラは大好きだったし、私はカメラマン・撮影監督ができる監督になろうと思って同時に勉強してきました。でも大学院では 、編集もサウンドもプロデュースも制作も、映画制作に関する全てを学ぶので、その中で自分がやりたいことプラス、卒業後に仕事としてできることをさらに学ぶというシステムで、授業を受けながら、他の学生の作品に助監督、ギャファー(照明技術者)、グリップ(助手)、カメラアシスタントやコスチュームデザイナーとして参加しました。最終的には監督と撮影監督にだけフォーカスしていました。


――勉強を進めるうちに、映画監督像は見えていったのですか?


HIKARI:やはり監督は最初から楽しかったので、なんとかして監督で生きていけるようにしないといけないとは思っていて。ただ、カメラマンでやっていく手もあるなと思ったので、大学を卒業してからも両方していました。ショートフィルムを作る合間に、ストップモーションのアニメの撮影監督もしました。でも、卒業制作の『Tsuyako』で世界中を巡って、長蛇の列ができるくらい大勢の人が私の作品を観て感じたことを上映後に直接話してくれて。 戦後の女性同士のラブストーリーだったのですが、40歳代の観客の方が涙を流しながら、「僕、今からお母さんにカミングアウトする」と言われて、「素晴らしい。これまでよく我慢したね、頑張ってください」と話したのがとても記憶に残っています。背中をポンと押してあげる何かを与えることができたんだと思って、その時に監督の仕事のやりがいに気づきました。同時に、前向きな気持ちになれる映画を作るのが、私の使命かもしれないと考えて、もうブレずに監督だけをすることにしました。


――なぜこの物語を長編デビュー作に選んだのでしょう?


HIKARI:「当たらない影に光を当てたい」と思ったのが理由です。基本的に車椅子の子、障害者の役を健常者の役者が演じることは多いと思います。でも、実際に車椅子で生活している子に演じてもらうことで、障害を持っている子も前に出れるような勇気や、“できるんだよ”という可能性を見せたかった。それと、劇中に出てくるような人たちの存在を知ってもらいたいと思いました。映画に出てくるデリヘル嬢なども偏見があって、色眼鏡で見られる職業だけど、あえてそういうイメージで見てもらいたくなくて。人類みんな、どんな環境に置かれていたとしても、それぞれ目標があって生きていると私は思うので、それを映画で表現したいと考えていました。


■「映画は全部、心で語っちゃうもの」


――物語自体、加山さんと出会って展開なども決まっていったそうですね。


HIKARI:初めて演技をする子を、いかにリアルに映画の中で立たせるかを考えた時に、彼女自身の実際の生活、生まれ育った要素などを少しでも取り込んだ方が、彼女の心と目の奥にある本来の感情が出てくるんじゃないかなと思いました。映画は全部、心で語っちゃうものなので、演技ではなく、どうやったらユマに彼女自身がたどり着けるか、彼女の目の奥の何かを追求しました。


――母親とユマが本音をぶつけ合うシーンが印象的でしたが、本作を通して演出面でこだわったところはありますか?


HIKARI:喧嘩のシーンは、怒鳴ればいいのではなくて、その瞬間に思いが乗っからないと、やっぱり嘘に見えてしまうと思うんです。常に怒って声を荒げてという基本の芝居についても、明ちゃんは初めてでしたし、自身も叫んだりしない子だから、発声の仕方も届かなくて、当たり前ですが苦戦しながらも一生懸命やってくれました。私も怒鳴りながら、「カメラ回して! アクション!」という空気でやっていたので、このシーンの撮影はとても緊張感が漂っていました。


――現場で役者さんと意見を交わすことはありましたか?


HIKARI:もちろんです。現場で役者さんたちとは、「このキャラクターはこの瞬間、言葉の裏では何を言いたいのか、どうしたいのか」を確認する作業の連続でした。私が書いたセリフ一つ一つをただ単に読まれるのは嫌だったので、ストーリーの中のセリフのスタート、ミドル、エンドのタイミングだけマークをつけて、フリースタイルでしてもらったシーンもあります。あとは感情とセリフの確かめ合いを、常に行いました。


――特に印象に残っている撮影シーンは?


HIKARI:お母さん役の(神野)三鈴さんとは最後のシーンでぶつかりました。撮影の直前に台本を書き直して、ユマが帰ってくると思いきやお母さんが帰ってくる設定にしようと話したら、三鈴さんが「それは無理、お母さんは待っているべき」と。彼女の意見は娘を待ち続けた母からでた愛だったと確信したので、その意思は尊重しました。「ただその代わり、玄関には来ないでリビングルームで待っててください」と話して、撮りました。お母さんも大人になったから、ユマが最後に家に帰って来る時は、玄関まで迎えには行かずに、帰って来た娘を受け止める、手を焼かないということを示してほしいと話して、あのシーンができました。


ーー夜の街をいろんな物に見立てるシーンがとても綺麗だったのですが、監督がこれまで経験したり、見てきたものを取り込んでいたりする部分もあるのでしょうか?


HIKARI:私がアメリカのユタ州にいた時、本当に何もなかったんです。大地と山と太陽と自然だけ。そんな場所にいると、自分の人生はちっぽけだと考えたり、自分が思う悩み事って実はそんなに対したことではなかったりするのかなと思ったり、ピンチはチャンスで、全て自分の見方や考え方で、実は全てなるようになっているのかもしれない、と思うことがありました。例えば、映画でユマが、どんどん周りに追い詰められていくのは、彼女が持っている本質やその可能性を試されているからかもしれない。もし私なら、できるところまで頑張ってやってみようとするし、ユマや、この映画を観ている観客の人たちにもそこにいく勢いの大切さを伝えたかった。セリフには出さずに、全て行動で表現する。そして、彼女がグッと決意をした瞬間にはまた新しい道が開く。私たちの考え方一つで、その対応一つで、気持ちも人生もきっと変えられるとういう、ポジティブになれる要素が入った作品は、これからもどんどん作っていきたいなとは思いますね。


――今後も大作を撮ることが決まっているようですが、監督にとって本作はどういうものになりました?


HIKARI:思ってもいないご褒美となりました。作っていた時は、「これで大丈夫かな? 私は好きやけどみんな好き?」と思いながら編集していたので(笑)、ベルリン国際映画祭にノミネートされた瞬間は本当に嬉しかったです。この映画を作ろうと決心したとき私とプロデューサーの山口(晋)で、色んな所に走り回って、頭を下げて、門前払いされたり……を半年繰り返しながら、資金を集めて、やっと作ることができて、そしてその映画がまさかのベルリンに入って、まさかの観客賞を受賞できたことで、これまで私たちを信じてくださった皆さんに、少しでも恩返しができた気がしてホッとしました。そして、最終的に世界中のみなさんが喜んでくれるものが出来上がったのは本当に良かったです。アメリカのプロデューサーは、観客賞をすごく重視するんですが、この賞をいただいたことで、ハリウッドやイギリスからの仕事のオファーがたくさん来るようになりました。ここまでの道のりは長かったですが、ありがたいことにこのおかげで本当に好きなことだけをしていけるゴールにやっとたどり着いた気がします。とは言うものの、世界の巨匠たちを見つめたとき、私はまだスタート地点に立ったばかりだと思います。


――今後やりたいなと思うことはありますか?


HIKARI:撮りたいものはいっぱいあります。全部に通じて言えるのは、ポジティブになる気持ちを与えたり、メッセージ性を与える作品を作っていきたいと考えています。アート性の強いものなのか、エンタメと言われるものか、それは物語によって変わっていくと思いますが、観終わったあとに、新しい風が吹いているような気にさせられる作品、少し世界が違って見える作品たちを手がけたいですね。ある意味、それは私の使命かもしれないなと。これから十何年間、映画を作り続けたら、もしかしたらそれを通じて新しい何かを発見して、全く違うことをし始めるかもしれない。でも今はとりあえず映画を作るのが楽しいので、とにかく精一杯やっていきます。でもまたいつか日本で撮影がしたいですね。 その日を今から楽しみにしています。


(取材・文・写真=大和田茉椰)