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寺尾紗穂『北へ向かう』はなぜ聴く者の心を動かすのか? 情景を通して歌われる「生命の愛おしさ」について

2020年03月10日 12:32  リアルサウンド

リアルサウンド

寺尾紗穂

 寺尾紗穂は、情景を描くことに素晴らしく秀でた音楽家である。景色ではなく、情景だ。風、波、星、山といった自然の風景や、虫の鳴き声、鳥のさえずりなどの中に、自身の記憶や感情と重なる部分を見出し、伸びやかな歌声とピアノの旋律、言葉選びの妙によって温かな音楽表現へと昇華していく。例えば『御身』収録の「ねえ、彗星」で、彗星を〈やたらと涙もろい〉と表現しているのは、まさに寺尾の言葉の真骨頂と言えるだろう。そうやって自然に身を任せて感情の機微を書き留めているからこそ、誇張ではなく、ありのままの心の起伏がしっかり感じられるのだ。人間本来の素直な熱量や、季節の移ろいを感じる心の豊かさ、見つめるべきものと正面から対峙する姿勢ーーそれは、温度のない情報ばかりが飛び交い、自然の風景すら“画面上の出来事”になってしまった現代において、今一度見つめ直されるべき“歌”本来の役割である気がしてならない。


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