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【プロ直伝】“アニメレビュー”ってどう書けばいいの? 藤津亮太が伝授する、たった1つの心得と3つの技

2020年02月20日 11:33  アニメ!アニメ!

アニメ!アニメ!

【プロ直伝】“アニメレビュー”ってどう書けばいいの? 藤津亮太が伝授する、たった1つの心得と3つの技
「おもしろいアニメを見た時の感動をSNSに書こうとしたけど、どうもうまく言葉にできない」
「おもしろかったことは間違いないんだけど、何に感動したのかが自分でもよく分からない」
「『無理』『尊い』くらいしか出てこない……」

そんな経験をしたことのあるアニメファンは多いのではないでしょうか?

大好きになった作品は、他の誰かに伝えて同じ感動を味わってもらいたくなるもの。
そこで、評論のプロであり、アニメ!アニメ!でも「藤津亮太のアニメの門V」を連載中のアニメ評論家・藤津亮太さんに、アニメの見方や書き方についてお話を伺いました!

さらに藤津さんにアニメ紹介文を添削&寸評をもれなくもらえる企画も実施します。
このインタビューを読み終わったあとは「アニメの文章を書きたい!」となるはずなので、これを読んであなたの感じたその感動を誰かに届けましょう!
[取材・文=いしじまえいわ]


■人に伝えるための文章=読書感想文、ではない!
――藤津さんはアニメについての文章を書く時、どんなことを発端や起点として書き始めるんですか?

藤津:最初のとっかかりは、やはりその作品を見て「感動したこと」ですね。

――藤津さんの文章は非常に論理的な印象がありますが、客観的な視点とか社会的意義とか、そういったものではないんですね。

藤津:よく論理的だと言っていただくんですが、起点になるのは理屈じゃなくて、やっぱりその作品を通じて「自分の心が動いたポイント」です。実際、アニメ!アニメ!での連載でも、作品に関する記事では一番感動したポイントを軸に構成をしています。


――きっかけは普通のアニメファンと同じなんですね。

藤津:自分が何に感動したのかが分かれば、それを軸にして「読書感想文」とは違う人に伝えるための文章を書くことができます。

――人に伝えるための文章は読書感想文とは違うのですか? 似たようなものにも思いますが……。

藤津:読書感想文というのは、実態に即して言えば「読書体験レポート」なんです。だから主題は作品そのものではなく、読書体験を通じて自分がどう変化したか――ありていにいうと“成長”――できたかです。

――読書体験を通じた自分の成長を先生に報告するのが目的、ということですね。だから「ぼくは〇〇だと思いました。」という書き方をしていたのか……。

藤津:読書による“成長”を安易に書こうとするから、「○○は大切だと思いました」とか「○○を知ることができてよかったです」みたいな文章になっちゃうんですね。

もちろんアニメで読書感想文的なことを書くのも悪いことではありません。
でも、主題が個人の変化という個人的なものになるので、作品について語ることからは離れてしまうんですよ。それは今回想定している文章とはちょっと違いますよね。

きっかけが個人的な感動であることは間違ってないのですが、そこから自分自身ではなく作品そのものに向かっていくには、自分の主観を裏付けるように客観性のあることを書く必要があります。
そして、自分の感じた感動と作品の中身を正しく結びつけるためには、まずは「自分はその作品のどこに感動したのか?」を知ることが前提になるというわけです。

――「個人的な内容に終始しないために、まずは個人的な体験について理解しないといけない」というのは、逆説的で面白いですね。

■「この作品は〇〇だ!」と”圧縮”する
――藤津さんでも「この作品のどこに感動したのか分からない!」ということはありますか?

藤津:これまでたくさん見て書いてきているので、自分が何に感動したのかは大体分かりますが、それでも一見しただけでは掴めない作品もあります。

――分からない場合はどうするんですか?

藤津:分かるまで、可能な限り何回も見ます(笑)。



――そこは数で勝負なんですね(笑)。ちなみに回数を重ねることで面白さが掴めた例としてはどんな作品がありますか?

藤津:よく言うのが『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(※)です。学生時代、劇場公開の時は「なんだよ、あのラスト!」と感じて、ガッカリして友だちに愚痴ったりしてたんですよ(笑)。

――ラストに都合よく奇跡が起きてどっちらけ、ということですね(笑)。



※1988年公開の富野由悠季監督による劇場用作品。79年放送の『機動戦士ガンダム』から連なる主人公アムロと宿敵シャアの戦いの決着が描かれた当時のシリーズ集大成的作品。2人の対決が地球全体を破滅と救済に誘う衝撃的な結末は議論を呼んだ。

――ラストの展開に対する印象は、その後どう認識が変わったのですか?

藤津:プロのライターとして個人名で記事を書くようになった極初期に、『逆シャア』について書く機会をもらったんです。それを機に何回もレーザーディスクを見直したんですね。
すると、見ているうちにふと自分の中で「これは奇跡の在り方をリアルに描いている作品なんじゃないか?」という気付きが生まれたんです。

――それはどういうことですか?

藤津:例えば『風の谷のナウシカ』ではまず伝説が語られて、ラストでそれを再現するという構成で奇跡が起きたことを表現しています。



『ナウシカ』は作風としてそれで違和感がないのですが、現実では奇跡に“前振り”があったりはしませんよね。そう考えると、『逆シャア』では、奇跡が起きたその場にいる人には誰も何が起きているのかさっぱり分からない、ということが一種のリアリズムとして描かれているといえるのではないか、と思い至ったわけです。

――後年、奇跡として語られる、ということですね。

藤津:実際、『逆シャア』はクライマックスで奇跡が起きてからはセリフらしいセリフがなくなって、事態がただ映し出されるだけになるんですね。
最初に見た時はそこで急に突き放された感じがしたんですが、何度も見ているうちに、発想の逆転が起きて、「これは奇跡がリアルに起きている瞬間なんだ、よく分からない出来事が起きた瞬間をそのままリアルに描いた映画なんだ……」と思えた時に、急に目から鱗が落ちたんです。

――言われて気付きましたが、ニュータイプが起こした奇跡で締めくくられる点では、ファーストガンダムと同じですね。

藤津:そうなんです。そうやって考えていくと、『機動戦士ガンダム』のアムロとララァのニュータイプ的なコミュニケーションがすごく抽象的な映像で描かれていたことにも符合します。
あれも言葉では語り得ない奇跡的な出来事を描いているわけですが、一見しただけでは何が起こっているのか不可解ですよね。

――なるほど、そう考えると『逆シャア』はニュータイプが起こす奇跡を通じてわずかな希望を示唆しているという点では、最初のガンダムに立ち戻っているし、奇跡が起きた現場の呆気にとられた感覚をよりリアルな体験として描いている、と捉えられますね。

藤津:そういった見方も可能だと思います。
このように、ひとつ切り口が見つかれば「だとするとあのシーンやこの表現も、このラストを描くためのものだったのでは?」というように連鎖的に作品の演出意図や作り手のメッセージが浮かび上がるように見えてきます。
そういう発見をひとつ見つけられれば、もう大丈夫(笑)。僕はそこを入り口にして、実際に原稿を書く際には冒頭で「この作品は〇〇だ!」と作品内容を圧縮して言い切ってしまうケースは多いですね。

――今の話を圧縮して「『逆シャア』は奇跡が起きる瞬間をリアルに描いた作品だ!」というタイトルで文章にすれば「おっ、それどういうこと?」と思える記事になりそうですね!

藤津:しかも「シャアが地球に隕石を落とそうとしてアムロが止める話」のような単なるあらすじよりも興味を引きますよね。だから軸となる最初のきっかけは個人的な感動でよくて、それを軸に作品の内容について触れていけばいいんです。

――自分が感じた感動をうまく圧縮するにあたって、参考になるものはありますか?

藤津:まず、その作品の公式サイトやパンフレットに載っているインタビュー記事などは参考になるので読んでおくといいと思います。作品の中身についてクリエイターが言葉にしていたりするので、それを読むだけで自分にとっての論点がクリアになることはあります。

――見出しの一文だけでも「あ、そういう作品として作ってたんだ」と思わされることはありますね。

藤津:また、やや間接的なものになりますが、その作品とは関係ないマンガや映画のレビュー記事も参考になります。
たとえばブルボン小林さんのマンガコラムは、ブルボンさんなりのちょっと引いた目線で書かれた一種のマンガ論として書かれていていて「そういう見方があったのか!」と思わされることが多いです。



→次のページ:感動ポイントを見つける3つのテクニック


■感動ポイントを見つける3つのテクニック
――先ほどの藤津さんの例は「改めて見て気付いた」というお話でした。その気づきが得られなかった場合に、圧縮すべき自分の感動ポイントをうまく見つけるテクニックはあるんでしょうか?

藤津:気にするといいポイントはいくつかあります。ここでは、3つ挙げさせてもらいますが、まずは「主人公の変化点を見つける」こと。
稀に例外的に変化しない主人公もいますが、多くの作品において主人公は何がしかの変化をします。主人公の変化はドラマを生み出しますので、そこが感動ポイントである可能性があります。

たとえば『魔法少女まどか☆マギカ』TVシリーズのまどかは、主人公でありながら物語の終盤に至るまでずっと傍観者なんですよ。それが最後の最後に魔法少女になる決断をします。これが変化です。



では、何故まどかはその決断をしたのか?彼女のマインドに何がどのように変化を与えたのか? というところを見れば変化点が見つかります。
すると、お母さんとの会話の内容や友だちの末路、自分を救ってくれていたほむらの存在などがまどかに影響を与えてきたということが浮かび上がってきますよね。

――それが話のキモだと考えれば、物語全体も「まどかが決断をするまでの話」「ほむらとまどかの関係性が逆転する話」という風に圧縮できそうですね。

藤津:2つ目のテクニックとして「そのキャラクターはどういう価値観を背負っているのかを見つける」という見方もよくしますね。
わかりやすい例をあげると、キッズ向けアニメの主人公は自由・純真・オープンマインドといった価値観を担っている場合が多く、ライバルとして対立するキャラクターはその逆で心が狭かったりずる賢かったり個人主義だったりします。

――ジャンプアニメなんかはその傾向が強そうですね。

藤津:その双方の対立がドラマを生んでいたりするので、キャラクターそのものではなく彼らが担っている価値観に着目すると見えてくるものがあったりします。

――バトルもののアニメでは確かにその傾向がある気がしますが、日常系アニメのように激しい対立がない種類の作品でも、そういった見方は可能でしょうか?

藤津:できる場合もあります。たとえば『ゆるキャン△』では、なでしこたちの部活のグルキャン(集団でのキャンプ)と志摩リンのソロキャン(個人でのキャンプ)という2つの価値観が出てきます。でも、そのふたつが対立している、という話ではありませんね。

――そうですね。両者が対立しててどっちかが正しい、といった話ではありませんね。



むしろ、良い風景があったら写真を送り合ったりしていて、違う価値観を持った双方がSNSを介して、離れていてもつながっている点が本作の現代的なところです。
つまり2つの価値観が「対立」ではなく「並行」していることが作品のキモで、キャンプを通じてそれを描いている作品だと捉えられます。

――価値観は対立していなくてもいいんですね。価値観という切り口で作品を見直すことで見えてくるものは確かにたくさんありそうです。

藤津:3つ目のテクニックは、映像面で「キャラクターの立ち位置に注目する」手法もあります。
『リズと青い鳥』の冒頭シーンで説明します。内気なみぞれと快活な希美が音楽室に向かう際、常に希美が前を歩いてみぞれがそれに後からついて行ってるんですが、何度も見ているうちに少し違和感を抱かせる点があることに気づきました。実はあそこで、「キャラクターの位置の逆転」が起きているんです。



具体的に音楽室に着いて扉の鍵を開ける際、みぞれと希美のどっちが部屋の扉を開けたのか、あえて分かりにくく描写されています。
普通に見ていると、ずっと希美が前を歩いているので、希美が開けたように錯覚してしまっていたんですが、映像をよく見ると、鍵を持っているのも扉を開くのも、実は前を歩いていた希美ではなく、みぞれなんです。

――確かに。なんとなく希美が全部リードしていた気がしていました。

藤津:しかも、先を行っていると思っていた希美とみぞれの立ち位置が逆転してしまうというのは、そのままその後の2人の関係を示唆しているんです。
このように、どこか奇妙に思えるシーンには大抵作り手の意図が潜んでいます。その違和感の正体を探ることで、圧縮すべき物語のキモを見つけ出すことが可能な場合があります。

――なるほど。とはいえ、若干難易度が高いテクニックのように感じますね。

藤津:もう少しシンプルに、何か引っかかるものを感じるシーンを何度も見ることで作り手の用意した仕掛けが見えてくる、と言い換えてもいいかもしれません。

■結論は最後に書く。では冒頭には何を書く?
――ここまで、自分の感動ポイントを探すためのアニメの見方についてお話をいただきました。ここからは実際にアニメの文章を書くうえでの工夫やテクニックについて教えていただく思います。具体論になりますが、藤津さんは最初に結論を書きますか? 最後に書きますか?

藤津:ケースバイケースですが、800文字から2000文字くらいの文章であれば結論は最初に書きますね。
何故かというと、作品を知らない人のためにあらすじ的な文章を盛り込む必要があるわけですが、その作品のファンからすればあらすじは既に知っているので退屈なんです。

だから最初に「この記事ではこんな切り口で話をするよ」と冒頭に結論を持ってくることで、その話題になるまで興味を持たせることができるんです。

――冒頭にその文章のキモを書いておけば、書いている方も「何について書いてたんだっけ?」となるのを防げそうですね。

藤津:逆に結論を先に描くことで難しくなるのは、「文章の終わらせ方」です。最初に結論を一度書いてしまっているので、結論に代わる何かを別途書く必要が生じてしまいます。

――同じ話を二度も読まされたくないですものね。で、そういう場合どうすればいいんでしょう……?

藤津:解決策はいろいろあると思いますが、そのひとつとして、冒頭に書くのは結論のひとつ前のことにしておくという方法があります。

――なるほど。「『逆シャア』は奇跡の在り方をリアルに描いた映画だ!」を結論にするなら、冒頭は「『逆シャア』はラストで何を表現したのか?」とかになりそうですね。

藤津:「どうして富野由悠季は『逆シャア』で奇跡を描いたのか?」とかでもいいかもしれませんね。それを冒頭に書き、あらすじや件のラストシーンについて書き、奇跡の描き方の『ナウシカ』との違いやファーストガンダムとの類似点などを挙げ、最後に結論を書く。
そうすれば2000文字程度の楽しく読めるものが書けると思います。

――冒頭に結論のひとつ手前、続いてあらすじ、その次に自分の感動ポイントに関わるキモになるトピック(主人公の変化やキャラクターの立ち位置など)、最後に結論、という構成ですね。きっかけは自分の感動なのに、システマティックで説得力のある文章が書けそうですね!

藤津:もし最後まで書いてみて冒頭の掴みの文が必要なさそうだったら、取ってしまうこともできますしね。

→次のページ:文章にしっくりこないときの対処法


■文章にしっくりこないときの対処法
――ちょっとピンポイントな悩みなんですが、「ちゃんと構成通りに書いているつもりなのに、なんだか話の筋が通ってない気がする」ということがあるんです。そういう場合はどうやって修正すればいいんでしょう?

藤津:その場合、ふたつの原因が考えられます。ひとつは言葉選び、表現が間違っている場合です。
たとえば「成長」という言葉をキーワードにして書いていたけど何だか座りが悪い。そんな時に「変化」「変質」などに置き換えてみることで文意がすっきり伝わるようになる、というようなケースです。

もうひとつはロジックが破綻しているケースです。

――ロジックが破綻していた場合は、やっぱり書き直しですか……?

藤津:捨てるしかないですね(笑)。


――おお、それはツラい……(笑)。

藤津:最初は「この切り口面白い!」と思って書きだしたけど、よく作品を見直してみると辻褄が合ってないということは、僕もよくありますよ。
そういう時、帰るべきなのは作品です。もう一度見てみて、作品理解だったり、作品のキモの部分の圧縮のし方だったりを見直すことになります。何か違うなと感じた時は実際に何かが間違っているので、その直感に素直に従うべきです。

そうしないと「本当にそのアニメ好きなの?」「ちゃんと見たの?」と言われてしまうような文章を書くことになりますから。

――とはいえ、書き直しはけっこうしんどいんですよね……。

藤津:でも、最初に自分が感じた感動自体は嘘にはなり得ませんから、本当に最初からやり直しということはありませんよ。
あと、文章は長くなればなるほど論理的な組み立てや、整合性が求められるので、短ければ思いつき一発で勝負できるというところはあります。くどくどと書くと、思いつきの中にある飛躍が気になってしまうけれど、短い文章なら。直感的に相手に理解してもらうようなフレーズさえ思いつけば、そうした飛躍はあまり目立たなくなります。

――確かに、究極的には「この作品は〇〇だ!」だけなら、そうかもしれないと思わせることはできそうですね。

藤津:変わった切り口で攻めたい場合などは、長く書くと野暮ったいものになりがちです。面白い視点でクスリとさせたいなら、短い文章を採用するのがオススメです。

また、似た手法として論じる範囲を文中で指定する手もあります。

――『まどか☆マギカ』を意図して「魔法少女とはこういうものだ」と書いた文章に「『魔法使いサリー』はどうなんだ」と言われると困りますね。

藤津:その場合、先に文中に「『まどか☆マギカ』における魔法少女について論じます」と書いておけばいいわけです。
またロジックにも有効範囲があるわけで、そこを意識すると、筋が通らないということは減らせます。描写を分析する時も、「このシーンにおいては」と範囲を指定することで逆に筋道を通すことができる場合もあります。

――どこまでを範囲に入れて書くのかを自分で意識しておけばいいわけですね。

藤津:書く範囲を極端に狭めることで面白い切り口の原稿ににすることもできます。たとえば「この作品に登場する銃器について」というところまで絞ってしまえば、オリジナリティのある文章にできる可能性も高まります。その分、知識の深さも必要になりますし、対象読者も絞られてしまいますが(笑)。

■アニメについて「書くこと」と「見ること」はセット
――今回、アニメについての文章の書き方を伺いましたが、大部分が自分にとっての感動ポイントを見つけ出すための、作品の見方に関するお話だったように思います。

藤津:実際、書く前の準備、特に書くべきことを見つけることが一番大事だと思います。僕にとってもそこがもっとも大変ですし、逆に言えばそれが見つかればあとは書くだけとも言えます。

――実際、見方を身に着けることでアニメもより楽しく見られるように思います。

藤津:その通りだと思います。アニメを「書くこと」と「見ること」はセットだと僕は考えています。一度アニメについて書くことで、次にその作品を見た時に気付くことが増えるんですよ。そうすると、その作品の細部までもっとよく見えて楽しめるようになります。
だから、好きな作品がある人には、ぜひ自分が感じた感動を文章にしてみてほしいですね。



◆◆◆

……アニメの感動を文章で伝えるすべを学んだところで、実際に書いてみたくなった人も多いのではないでしょうか?
そこで今回、藤津さんにご協力いただき、アニメ作品に関しての文章を添削してもらえる機会をいただきました。題して「藤津亮太のアニメ文章道場」!

記事末にあるアニメ映画10作品を対象とし、応募作品は原則的に全て藤津さんがチェック。もれなくすべての原稿に寸評をフィードバックします!
さらに一部作品の添削過程を、アニメ!アニメ!サイト上で記事として公開予定。今回のインタビュー記事を「理論編」とするなら、次に公開する記事は「実践編」のようなイメージです。

応募要項は以下の通り。アニメについて書いてみたくなった方、大好きな作品がラインナップされていた方はぜひご応募ください(アマチュアの方はもちろん、プロも歓迎!)

■藤津亮太のアニメ文章道場 応募要項
文字数:800~2500文字
対象作品:下記10作品の中から選んでください。
応募内容:作品論や作家論、作品を横断的に語るなど書き方は自由。ただし、なるべく自分なりの切り口や感動ポイントを軸に書いてください。なお常体・敬体どちらでもOKです。

応募方法:以下アドレスに、件名「藤津亮太のアニメ文章道場」で、本文または添付にてお送りください。 (データ添付の場合、拡張子は.txtまたは.doc)
メールアドレス:present@animeanime.jp
〆切:2020年3月8日(日)23時59分
備考:匿名をご希望の方はペンネームをご記載ください。また添削過程掲載を希望しない場合はその旨お知らせください。

対象作品
・『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(1988)
・『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』(1997)
・『千と千尋の神隠し』(2001)
・『サマーウォーズ』(2009)
・『劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(2012)
・『かぐや姫の物語』(2013)
・『君の名は。』(2016)
・『夜明け告げるルーのうた』(2017)
・『リズと青い鳥』(2018)
・『プロメア』(2019)

個人情報について
・「メールアドレス」「お名前」を回答頂きますが、本企画以外の目的では利用いたしません。
・弊社の個人情報保護についての考え方を記載した個人情報保護についてをお読みください。
http://www.iid.co.jp/company/pp.html
・個人情報の預託は予定されておりません。
・個人情報の第三者への提供はありません。
・ご招待のご案内発送後、個人情報は破棄します。
上記内容を承諾し、弊社の「個人情報保護方針」に同意いただいた場合のみ応募してください。