2020年02月20日 10:02 弁護士ドットコム
同性婚ができないのは違憲だとする国賠訴訟が2月14日、提訴から1年を迎えた。全国5つの地裁で裁判が進む中、実際に同性婚を実現したアメリカと台湾の事例を紹介するイベント「司法を通じた同性婚の実現」が2月10日、東京・駿河台の明治大学で開かれた。
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アメリカでは2015年6月、連邦最高裁が同性婚は合衆国憲法で保障された権利であり、同性婚を禁止する州法は違憲であるという判断を下し、同性婚が合法化された。台湾でも2019年5月、アジアで初めて、同性婚を合法化する法律が施行された。
アメリカでは、同性婚を実現するか否か、裁判所や議会において、世論を二分する激しい対立が続いてきた。しかし、なぜ同性婚が合法化されたのか。ハワイ州最高裁判所判事、サブリナ静江マッケナさんによるリポートがあった。(弁護士ドットコムニュース編集部・猪谷千香)
マッケナさんは、1957年に在日米軍基地で教師をしていた父と日本人の母の間に生まれた。ハワイ大学ロースクールを卒業し、弁護士として活動。ハワイ大学助教授を経て、1993年にハワイ州地方裁判所判事に転身した。
マッケナさんは2011年、ハワイ州最高裁判事に就任した時の記者会見で、自身がレズビアンであることを語った。マッケナさんは同性パートナーを持ち、子どもも育てている。親しい友人や家族は知っていたが、オープンに話したのは初めてだった。
それには理由がある。マッケナさんがハワイ州の家庭裁判所所長を務めていた時、あることを知ったからだった。
「アメリカではLGBTの子どもの自殺率が、他の子どもに比べて4倍も高かった。親から受け入れてもらえないLGBTの子どもは、受け入れてもらえる子どもに比べ、自殺率が8倍も高いです。
これは2007年の調査ですが、LGBTの子どもは白人で80%が親にカミングアウトします。ラテン系は70%、アフリカ系は60%です。でも、アジア系は50%でした。アジア系で同性婚を認めているのは台湾だけです。アジア系ではまだLGBTに対する偏見が根強い。
でも、自分のようにアジア系のLGBTでも、良い職務について、家族を持って暮らせるということを当事者の少年少女やその親たちに知ってほしいと思い、カミングアウトするようにしました」
アメリカでは2015年に同性婚が法制化されたが、そこまでの道のりは平坦ではなかった。マッケナさんによると、1950年代から1960年代にかけて起きた人種差別運動の流れを考えることが大事という。
かつて、アメリカには白人と非白人が交際したり、結婚したりすることを犯罪とする法律があったが、長年にわたる運動や判例が積み重なり、1983年に人種に基づく結婚規定が全米で廃止された。
非白人への差別と同じく、LGBTの人たちに対する差別もまた古くからあった。法的には、同性間の性交渉を禁止する法律(ソドミー法)があり、見つかれば罰金刑などに課せられていた。
「1969年にストーンウォール反乱という事件が起きました。当時、ニューヨークでは度々、同性愛者が集まる店に警察が踏み込み捜査していましたが、ストーンウォール・インという店では、警察に対して同性愛者らが反発、暴動となりました。これは現代アメリカのLGBT運動の始まりとされています。
しかし、1970年にはミネソタ州最高裁が同性婚を拒否する判決を出し、アメリカ最高裁も『連邦法に関連がない』という理由で上告を却下しています」
差別に追い討ちをかけたのは、1980年代から増えていったHIV・エイズだった。
「サンフランシスコなどで、ゲイの男性が変わった病気で亡くなるようになりました。1984年やっとHIVウイルスが発見されましたが、その時にはすでに7699人がエイズと診断され、3665人が死亡していました。実に半数です。
しかし、レーガン政権、ジョージ・ブッシュ政権はこれを無視しました。背景にはゲイへの差別や偏見がありました。
そうした政府に対し、アメリカ人が怒り始めた。政府はなぜ対応しないのか、なぜ偏見があるのか。1980年代後半にデモ運動が始まり、1995年にやっと薬ができましたが、この時のLGBTの苦しみをみなさんにも理解してほしいと思います」
一方、ウィスコンシン州で1982年、全米で初めてレズビアンとゲイに対する雇用差別を禁止する法律ができた。その重要性をマッケナさんは強調する。
「当時、私はハワイ大学の助教授でしたが、やっとオープンにレズビアンであると言えるようになりました。同性愛者だとわかると、雇用差別に遭ってクビになる可能性もあった。解雇されれば、食べていけません。雇用はすごく大事な問題です。だから、雇用差別がストップすると、カミングアウトする人たちが出てきました」
続いて1984年、カリフォルニア州バークレイ州で、パートナシップ法が設立。しかし、まだまだLGBTに対する理解は深まらず、世論を二分しながら、LGBTに関係する法律も揺れ動いていく。
1986年、アメリカ最高裁がジョージア州ソドミー法は憲法違反ではないという判断を出した。「三歩進んで二歩下がるような判断でした」とマッケナさん。
「1993年にはハワイ州で大事な判例が出ました。同性婚を求める運動に対し、ハワイ州政府が説得性のある事情を立証しなければ、同性婚拒否はハワイ州憲法の性の平等条項に違反するというものでした。
これが、世界で初めて同性婚を憲法で認められた権利とするハワイ州の判例となりました。こういう判例が出せる裁判所の判事になりたいと私は思いました」
ところが、1996年に反動がくる。アメリカ連邦議会が制定した結婚防衛法(DOMA法)だ。
「これまで結婚に関する法律は州法が決めていましたが、連邦議会は同性婚は州が認めても、連邦法に基づく権利はないとしました」
同性婚に反対する人たちは、どのような主張をしていたのだろうか。
「歴史的に認められていないという主張もありました。しかし、これは事実ではありません。西洋でも東洋でも同性カップルが認められている時代や文化はありました。
また、キリスト教信者たちも反対していました。聖書に反するという主張です」
その後も、アメリカの司法は揺れ動いた。
「裁判で、ハワイ政府が同性婚を認めない『説得性のある事情』として、子どもを産み育てることが結婚を男女間に限る理由だと主張したことがありました。これに対し、ハワイ州巡回裁判所は1996年、これを認めない判例を出しています。
判事は、子どもを産めない、産まない男女でも結婚はできるので、これは理由にならないとしました」
一方で、1990年代後半から2000年代にかけて、保守的な州で次々と同性婚を拒否する憲法改正が行われた。
そんな中でも、州最高裁が同性婚拒否は州憲法違反だとする判断を出したマサチューセッツのような州もあった。
アメリカの同性婚について語るハワイ州最高裁判所判事、サブリナ静江マッケナさん(2020年2月10日、東京都千代田区・明治大学、弁護士ドットコムニュース撮影)
そして、画期的な判決が2013年に出された。
「州の最高裁や議会は、同性婚を認めるか否か、行ったり来たりを繰り返しました。そうした中、同性婚を認める方向に世論は変わっていきました。2013年、アメリカ最高裁がDOMA法をアメリカ憲法に違反とするという判決を出しました。
2014年には9つの州で同性婚が認められました。その翌年、アメリカ最高裁は再び判決を出します。これにより、同性婚は憲法のもとに保障された権利であるとして、全米で認められるようになりました」
マッケナさんによると、現在同性婚を法制化している国は少なくとも33カ国に及ぶという。
「G10で同性婚を認めていないのは日本とスイスだけになりました。スイスはパートナーシップ法があるので、先進国で一番遅れているのが日本ということになります」
マッケナさんは、「アメリカの世論調査では、1988年には同性婚に賛成する人は12%でしたが、2018年には67%にまで増えています。これだけ急激に変わったということを知っていただきたいです」と話す。
「日本でも難しい状況だと思われるでしょうが、若い人から考え方が変化し、世の中は動いていきます。
同性婚が認められてから、当事者の精神安定だけでなく、さまざまな経済効果もあります。スウェーデンやデンマークではLGBTの子どもの自殺率が5割減ったという調査もあります。
どういう人権運動であろうと、三歩進んで二歩下がります。しかし、常に前進します。私の若い頃はLGBTの話はできませんでした。本当にこうやって話せるようになったのはごく最近です。
日本でもその動きは始まっています。ハワイからも世界からもみんな応援しています。アロハ!」