2020年02月17日 11:32 弁護士ドットコム
「主文。被告人を罰金15万円に処する」ーー。2017年10月2日、大阪地裁の法廷で亀石倫子弁護士は怒りに燃えていた。
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タトゥーの彫り師に医師免許が必要かどうかが争点になった刑事裁判。裁判所は「危険だから」の一点張りで、彫り師に有罪判決を言い渡した。
これではタトゥー文化がなくなってしまうではないか。同時に亀石弁護士は「第2ラウンド」に向けて考えをめぐらせていた。
「お金のことを考えていました。お金がなくて立証できなかった部分があった。それが悔しかった。海外の規制状況や法整備などについて、お金を使って調べたり、意見書を書いてもらったりしたら勝てたかもしれない」
調査や意見書には相応の費用がかかる。被告人には負担させられない。かといって、弁護団は着手金や報酬すらもらっていなかったという。「手弁当」にも限界はある。
そうして始まったのが日本で初めての「裁判費用のクラウドファンディング(CF)」だった。この「タトゥー裁判」をきっかけに、今や裁判費用のCFが珍しくなくなっている。
そして2019年には、日本で初めて「公共訴訟」に特化したプラットフォーム「CALL4(コールフォー)」が設立された。
1月25日にあったリリース記念イベントでは、代表の谷口太規弁護士を聞き手に、亀石弁護士がCFの意義を語った。
裁判になることで、法の不備や社会課題などが明らかになることがある。「基本的人権を擁護し、社会正義を実現する」(弁護士法1条)という、弁護士の使命が問われる場面だ。
手を尽くして、何とか良い判決を勝ち取りたいーー。一方で、そうした事件の当事者は得てして金銭的に余裕がないことが多い。
弁護士業界で有名なエピソードがある。1973年、最高裁が初めて法律を「違憲」と判断した。父母らを殺すと、より重い罪になる「尊属殺の重罰規定」についての有名な判例だ。
元となった事件は1968年、栃木県で起こった。父親から長年、性的暴力を受けていた女性が、寝ていた父親を絞殺したというもので、女性は父の子を5人も出産させられていた。
この事件で、大貫大八弁護士と息子の大貫正一弁護士は、女性の母親がカバンいっぱいに詰め込んできた「じゃがいも」で弁護を引き受けたという。それほどまでに母親は貧しかった。
しかし、それから半世紀。弁護士人口は大幅に増え、弁護士個人の「志」や「手弁当」だけでは持続がいっそう難しくなっている。だからこそ、CFという「仕組み」に注目が集まっているのだろう。
亀石弁護士は、CFサービスの「CAMPFIRE」で300万円以上の支援を集めた。
「『タトゥーは嫌いだけど、おかしい』など、応援のコメントにすごく励まされた。一審の判決前はメディアが注目していたけれど、有罪になったらさーっと引いていった。クラファンによって、勇気を持てました」
集まった費用で、一審では充分にできなかった海外事例の調査・翻訳や、皮膚科や刺青の専門家らの意見書の提出に成功。二審では逆転無罪判決が出た。現在、最高裁で審理されている。
「判決の時、後ろを振り返ったんです。みんないて、泣いている。その背後にはCFで応援してくれた人がいる。弁護士になってからその瞬間が一番嬉しかったかもしれない」
お金を出すだけでなく、チームの一員としてコミットしている気持ちになれるーー。CFは、裁判員裁判以上に司法を身近にすると亀石弁護士は語る。
ただし、CFはそんなに簡単ではない。どんな言葉で共感を得るかは亀石弁護士も苦心したそうだ。タトゥー裁判では、「タトゥーは良いものだ」というメッセージは発信しないよう気を遣ったという。
これに対し、谷口弁護士は「そこまで覚悟を決めなくても誰でもやれるようにしたかった」とCALL4を立ち上げた意図を説明する。
CALL4は、CF以外にも原告側がなるべく手軽に利用できるよう機能が工夫されている。たとえば、プロのライターや写真家による「ストーリー」。当事者側を取材し、訴訟の背景にある人物の物語をつづり、共感を集めるようにしている。
このほか、情報交換や人材募集などをしたり、訴訟記録の公開ができるスペースも用意している。これらを中間的利益を取らない「プロボノ」の形で提供しているのが特徴だ。
現在、CALL4は、同性愛者らが法律婚の制度を求めて起こしている「結婚の自由をすべての人に訴訟」や入管施設の問題を扱った「カメルーン人男性死亡事件国賠訴訟」などで利用されている。
亀石弁護士は「最近は、注目の裁判が始まるとCFがないのかと思う」と話す。CALL4に限らず、裁判のCFは今後も広がっていくことが予想される。
「プラットフォームを積極的に使っていくことで、逆に使うためにこういう訴訟ができないかと発想が変わっていくのでは」と、裁判による社会課題の解決への期待を語った。