2020年02月15日 09:32 弁護士ドットコム
厚生労働省の麻薬取締官による違法薬物取締りの実態を綴った『マトリ』(新潮社)が話題だ。著者は同省において関東信越厚生局麻薬取締部部長を務め2018年に退官した瀬戸晴海氏だ。半生を違法薬物の取締りに捧げた“Mr.マトリ”の異名を持つ瀬戸氏がいま危惧しているのは、SNSを利用した薬物売買が横行しているという実態だった。(ライター・高橋ユキ)
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――本書で「薬物犯罪は時代を映す鏡」と指摘されています。最近の動向として、どのような特徴があるのでしょうか
「ラブコネクション」とネットを媒介にした密売ルートの多様化です。
海外で出会った男性に好意を抱いた女性が、そうとは知らずに運び屋に利用されてしまう、通称「ラブコネクション」は、コンスタントに発生しています。
捜査に支障がでてくるので明らかにできない部分はあるんですが、例えば、海外の国々を渡り歩いている日本人旅行者がいるとします。こうした日本人女性に、密売組織の人間はことば巧みかつ気軽に迫ってきます。
レストランなどで親しくなり「次はどの国に行くの?」なんて聞いてくる。「バンコクに行くんだ」と答えると「ちょうどよかった、俺の友達が向こうにいるんで、これ持って行ってくれない?」と恋心や親切心を逆手にとって違法薬物が隠された荷物を預けるんです。
そうやって日本のみならず東南アジア、ヨーロッパへ向かう旅行者を動かすケースがみられます。なぜか皆、「アメリカ、カナダ、フランス人」などと自己紹介するらしいのですが、やっているのはアフリカ国籍をもつ犯罪組織の構成員が多いようです。
海外に出ていると気持ちもおおらかになっていたりして、ロマンチックな気持ちになるのかもしれませんが、そこが落とし穴なんです。彼らは女性を道具としか思っていませんから。
近年では、男性も騙されています。旅先で芽生えた友情を利用するわけですね。アルバイトとして報酬を出す場合もある。当然、荷物の中身は教えませんが。
くわえて今後もっとも懸念しなければいけないのは、ネットを媒介とした薬物の密売です。ネットの進化と並走して、薬物犯罪は増加し、多様化しています。かつては大手暴力団が密輸ルートを持ち、市場を独占していたわけですが、一般の方も個別に密輸ができる時代が来ています。
平成初頭、我々が現場で差し押さえるのは覚せい剤、大麻、コカイン、LSDなど、だいたい5~6種類だったんです。
ところが今はMDMAだけでなく、MDAやMDEAなども含めた多種類の合成麻薬、さらには正規の処方薬である睡眠薬。加えて、これに危険ドラッグが入ってきている。メインはいまだ覚せい剤ですが、30から40種類の薬物が現場で押収されるようになってきました。いわば「多剤化」が始まっているということです。
ネットも以前は『2ちゃんねる』に、今も『5ちゃんねる』に密売の「広告」がありますが、それ以外にSNSが使われているんです。ほとんどツイッターですね。隠語を用いていたりさらりとした文章で「広告」を出しています。
ーー例えばどのような隠語や売り文句ですか?
「質が良好」「拡散してくれた方に一個プレゼント」とかいう売り文句です。「野菜」は大麻のこと。その下に「マスタークッシュ」とか「AK」等の、大麻のブランド銘柄を記載しています。
「手押しOK」というのは手渡しのことです。「都内限定」など販売地域も記されており、その下にテレグラムのIDが書かれています。これはやりとりが消える秘匿性が高いメッセージアプリです。子どもたちがそれを見て、テレグラムをスマホにダウンロードし、アプリを介してやりとりしたり、あるいはツイッターのDMで返したりしながら売買する。
テレグラムはメッセージの自動削除の設定もできるため、証拠が残りません。以前と比較して追跡が随分困難になっています。密売人は、時代の流れを見極めて、素晴らしいツールだと思えばそれを犯罪のツールとして使うんです。
ーーいまや誰しもが手軽に買えてしまう環境が整っているということですか?
かつては、暴力団周辺者などにお金を渡して薬物を買う、非常にハードルが高い行為でした。それがネットを使えばネットショッピングをやるのと同じ感覚で簡単に購入できるわけです。ネットを見ているときは警戒心は全くない。
さらにはいろいろな種類が販売されている。これも買おう、あれも買おうとなり、多剤を購入し、多剤依存にも陥ることになる。特に大学生なんか一人暮らしで生活していたら、よほどの変化がない限り、親から見ても分からないじゃないですか。そこが一番懸念されるところですね。
ーー子ども達は、下は何才ぐらいから違法薬物を買っているんですか?
統計上はなんとも言えませんが、2019年を振り返ってみても、沖縄では高校生を中心に未成年者が20数名関与する大麻事件、京都で中学3年生の女子が大麻とMDMAを持っていたという事案がありました。この中学生も、テレグラムを使って買っています。
インターネットに関しては子どもたちの方が我々よりも数段進んでいます。子どもたちには我々は勝てないですからね。ですが逆にインターネットに不正な教育をされないように、親御さんたちがしっかり見ていかなきゃいけない。
親御さんや先生は子どものスマホを見てもなんのアプリが入っているかわからないじゃないですか。たとえばダークネットのアプリとか、ウィッカー、テレグラムぐらいは理解する責務があります。子どもたちを守るために学ばなければならないと思います。
ーー薬物事犯は再逮捕が多いことも特徴ですが、再犯を防ぐためにどのような措置が必要だと考えていますか
2016年に再犯防止推進法が施行され、2017年に「再犯防止推進計画」が閣議決定されました。各自治体で計画が策定されていますが、たとえば矯正施設や保護観察所、あるいは医療福祉などの関係機関、民間の自助団体。これらが連携できる仕組みが着実に作られています。地域社会全体で薬物依存者の回復と社会復帰を支援する。そういった策は講じられています。
麻薬取締部でも精神保健福祉士等の専門家をおいて、再犯防止事業はかねてから続けています。認知行動療法のワークブックを使って、またはそれを学んできた専門の取締官が、いわゆる再犯者、過去に薬物をやった人たちやその家族と面接をしたりして回復に向けて努力しています。
しかし、京都にダルクを設置しようとしたら反対が起こったりもする。なかなか一般に理解されていないところがあるんです。
薬物乱用者が悲惨な二次犯罪を起こす。一時期の危険ドラッグの例に見るとおり、そういった事案は確かにありました。しかし、この問題と依存から回復しようと努力をしている人たちの問題は、別の話です。ここが一般の人になかなか理解されていない。それで、不安感が前提となって偏見や差別が生まれる。せっかく国を挙げてこうした取り組みをしているんですから、それこそメディアが実態を報じて欲しいです。
結局、再犯をなくさなければ薬物犯罪は減らないんですから。初犯者が減ってきたというのは、一次予防の成果です。二次予防は再乱用を減らすこと。一次予防の成果が出てきて、初犯者が少なくなる。そうしたら二次予防の成果を出さなければ再犯者ばかりになってしまいます」
ーー何度も逮捕される芸能人の報道に接すると、薬物はやめたくてもやめられないのかと恐怖を覚えます
彼らも絶対にやめたいはずですよ。皆分かっているんですよ。皆やめたい。でもやめられない。そこが、脳に刻まれている依存ですよね。それが依存症の怖いところです。
でも回復はできます。施設に入って、あるいは病院で治療して回復した人、家族や友人の支援を受けて回復した人はたくさんいますから。
【取材協力】瀬戸晴海さん 1956年福岡県生まれ。明治薬科大学薬学部卒業。1980年に厚生省麻薬取締官事務所(当時)に採用。薬物犯罪捜査の第一線で活躍し、九州部長等を歴任。2018年に退官。2013年、15年に人事院総裁賞受賞。『日本薬物問題研究所』を設立し、今後、薬物犯罪の根絶を目指して各種活動を行う予定。
【プロフィール】高橋ユキ(ライター):1974年生まれ。プログラマーを経て、ライターに。中でも裁判傍聴が専門。2005年から傍聴仲間と「霞っ子クラブ」を結成(現在は解散)。主な著書に「木嶋佳苗 危険な愛の奥義」(徳間書店)「つけびの村 噂が5人を殺したのか?」(晶文社)など。好きな食べ物は氷。