2020年02月11日 09:02 弁護士ドットコム
日本で働き方改革が叫ばれる中、国際的に見て労働時間の短さが突出しているドイツの労働実態に注目した記事「なぜ『働かない大国』ドイツの社会はまわるのか 住んで分かった日本との大きな違い」を公開したところ、大きな反響がありました。
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記事では、労働時間の短さの背景にある、ドイツの「サービス砂漠」ぶりを紹介しましたが、中でも、鉄道の酷さは突出しているそうです。前回の記事を書いたライターの拝田梓さんが、ドイツの鉄道と日本の鉄道の違いについて、実体験を踏まえてリポートします。
暑いし、寒いし、遅れるし、車内は汚いし――。そんなドイツ鉄道の悪行非道の数々を歌い上げた曲「Deutsche Bahn(ドイツ鉄道)」を知っているだろうか。Wise Guysというドイツのアカペラグループが発表したもので、YouTubeでも公開されている。
ドイツ鉄道は東西統一を契機に民営化された株式会社だが、連邦政府が株を100%保有しており、実質国営企業である。欧州他国と比べて酷いわけではないが、ドイツ鉄道が遅れ、そして乗客が不便を被っているのは事実だ。
まず、ドイツでは6分までの遅延は遅延として集計されない。
延伸工事やトンネル工事などがある場合、その影響は日中にも及ぶ。2019年10月にも、ソフトウェアの更新作業のためフランクフルト空港駅とフランクフルト中央駅を結ぶ鉄道路線が金曜日から土曜日にかけて運休し、代替バスの運行となった。フランクフルト空港はドイツを代表する国際空港である。
また、同10月の土曜日、午前2時30分から午前9時30分までの間、フランクフルト中央駅が完全閉鎖され、同駅を結ぶすべての鉄道路線が運休となった。フランクフルトはドイツ第5の都市である。日本でいうと、博多駅が完全封鎖となったようなものだ。
ドイツ鉄道を利用した人なら、一度は遅延やその他不備に巻き込まれた経験があるだろう。
知人は、雪の影響で遅延の上、全く別の駅で降ろされたという(なお、後日返金処理)。
別の機会には、乗っている列車が故障し新しい列車に全員乗り換えとなり、隣に座ったドイツ人ビジネスマンが「故障、遅延、ネット環境も悪い、これがドイツの技術力だ!」と嘆いていたという体験も。
筆者も100分遅れのICEに乗ったこともあるし、一度など、予約していた車両が来なかったことがある。電車が、ではない。来なかったのは車両である。まだドイツ鉄道の洗礼を受けていなかったので、予約していたからには探せば予約した席があるのだと思ったが、そんなものはなかった。予約しただけ無駄なのである。
0歳の赤ちゃんを抱え右往左往していると、見知らぬドイツ人(?)のおばあさんから「ここが空いているからあなたはそこに座りなさい」と促され、無事に席を得ることができた。
駅のエレベーターは高確率で壊れている。エスカレーターも必ずあるとは限らず、階段を前にベビーカーと共にたたずんでいると、大抵の場合近くの誰かが助けてくれる。
日本人から見るとあまりに悲惨でも、期待できないサービスを前提に、助け合うことが当たり前になっているのだ。
ドイツは日本と比べるとストライキも多い。交通機関のストライキも多く、2014年ごろにはEVG(鉄道交通労組)による大きなストライキも行われ、この結果、賃上げと一時金支払いのほか、①賃上げ、②労働時間削減、③休暇、の中からいずれか1つを労働者が自由に選択することができるという労使協定が結ばれた。
GDL(機関士労働組合)も2014年から2015年にかけてストライキを繰り返した結果、2016年に労使双方の同意を得て終結した。本ストライキ中は、通勤や旅行に大きな影響が出て、ドイツ経済全体に1日当たり1億ユーロ相当の損害が出たというドイツ産業連盟(BDI)による試算も発表されたという。
翻って日本では、国鉄末期のストライキという負の記憶を最後に大規模なストライキは行われていない(動労千葉のように、ストライキが実施された事例自体はある)。
2018年に東日本旅客鉄道労働組合(JR東労組)のストライキが計画されたが、従業員の労組離れなどもあり結局は計画倒れで終わった。
なぜドイツ鉄道がこれだけ遅延するのかについては、コスト削減による人手不足などが指摘されるという。
また、日本の鉄道車両メーカー勤務のA氏によると、日本は長距離列車をほとんど新幹線とし、独立した新線としたことで運行管理がしやすい一方、ドイツのICE(高速鉄道)も高速新線を建設してはいるもののターミナル駅は在来線乗り入れがほとんどなので、在来線の影響を受けることも大きく影響するという(その分ICEは大抵の場合街の中心地にあるHauptbahnhof(中央駅)に着くという利点がある)。
国もこの状況を看過しているわけではなく、2018年に発足した第4次メルケル政権では2030年までに鉄道による旅客輸送量を倍増させる政策目標が掲げられた。
日々利用していた地下鉄(U-Bahn)でよくあった光景に、飛び乗ろうとしている誰かと、飛び乗るためにドアを開けている誰か、というのがある。この誰かと誰かは互いに他人同士だから、純粋に親切心でやっていることになる。
遅延を助長するような行為に当初慣れないものを感じた。だが、段々と分かってきたことがある。
ドイツの電車は常に遅れ気味だからちょっとの遅延が気にならない、という面はあると思う。それ以上に、日本人の自分は体制側に常に心情が寄り添っているという事実である。共同体の一員として、潤滑な進行のために行動することは善である、という確信だ。
この裏返しが、共同体の潤滑な進行を妨げる者への大きないら立ちに繋がるのではないだろうか。飛び込み自殺で電車が遅延すれば迷惑だと感じ、混雑した車内に子供が乗り込めば迷惑だと感じる。
日本語で言うところの「迷惑」という言葉はドイツ語にはないという。störend(英:annoying=うるさい、迷惑な)といった単語はあるが、日本語のような顔の見えない誰かの行為が不特定多数の不便に繋がるといったイメージではないそうだ。親が子供に「誰かに迷惑をかけることは止めなさい」という教育をすることもない。公共について教育しないわけではなく、隣の人がうるさいから静かにしてね、という教育になる。
漠然とした「社会」に迷惑をかけまいとする、日本人の公共心が高いのは間違いないだろう。 しかし、迷惑をかけないことを至上目的とすると、年端のいかない子どもとその保護者、心身に障害を抱える人、高齢者など、「迷惑をかけやすい」属性の人間は常に非難にさらされることになる。
ドイツでは少なくとも、他人に迷惑がかかるから電車の定刻運行に協力しようという姿勢はあまり見られない。
ドイツのフォーラムを覗いてみると、靴を椅子に乗せるのは止めようという交通機関のキャンペーンに対しての反応は「靴を乗せて椅子を破損させると罰金らしい」「なら靴を脱いで乗せればいい」「袋を置いてその上に足を乗せればいい」という話し合いがなされていた。迷惑、という観点はそこにはないようだ。
日本の定刻運行を実現している理由の1つに、軍隊のように厳しい管理体制があるといわれている。福知山脱線事故は「日勤教育」と呼ばれる厳しい体制が招いたとも言われており、反省もなされた。
しかし強いプレッシャーを与える教育方針は変わっていないとも言われ、2018年8月には、JR西日本で新幹線の風圧を感じさせるためにトンネル内に社員を座らせて頭上を新幹線が通り過ぎるのを体感させる研修が行われていると報道された。
国土交通省は「東京圏の鉄道路線の遅延『見える化』」として、各路線の遅延発生状況をまとめて発表している(http://www.mlit.go.jp/report/press/tetsudo02_hh_000102.html)。これにより、各鉄道会社に改善への動きを促進するという。定刻運行へのプレッシャーはとどまるところがない。
2015年の統計によると、JR東日本管内を走る新幹線(1個列車)の平均遅延時分はわずか30秒という。
日本人はよく、自国の誇るべき点として定刻運行を挙げる。確かに電車が定刻に出発することを前提としていれば旅程も組みやすく、余計な心労を負わなくて済む。
ただし、やはり労働環境の厳しさと全てが定められた予定通りに動こうとすることは、一つのコインの表と裏だ。従事する人に多大な負荷を与える。
定刻運行は望むべきものだ。だがその陰で犠牲にされているものが何か、そこまでの定刻運行は望むべきことなのか。
労働環境の改善を進めていくと、便利さと労働者の権利が必ずどこかでぶつかる。もし労働環境改善を進めた結果、電車が定刻に来ず、目的地に着かず、指定席がどこかに消えるようになったら、我々日本人はそれに耐えられるだろうか。少なくとも、ドイツではそれでも社会は回ってはいるが。
<参考情報>
独立行政法人労働政策研究・研修機構「ドイツ鉄道の労使交渉、ついに決着―長期化の背景に協約単一法」
一般財団法人交通経済研究所「ドイツにおける鉄道の競争力強化を企図したダイヤの構築」
日本労働研究雑誌「ドイツにおける労使関係の分権化と労働組合および従業員代表の役割」 (ベルント・ヴァース)
国土交通省「東京圏の鉄道路線の遅延『見える化』」(平成29年度)