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『トップナイフ』永山絢斗&大西礼芳が渾身の演技 天才になりきれない西郡の必死の“歩み”

2020年02月09日 15:02  リアルサウンド

リアルサウンド

『トップナイフ ー天才脳外科医の条件ー』(c)日本テレビ

 「自分は平凡な人間である」と気づく瞬間は、遅かれ早かれ実は誰しもに訪れるものなのかもしれない。「天才」という称号は、選ばれた数少ない人間だけが欲しいままにできる。それが自分ではないと悟ったとき、言いようもない不安が私たちを襲う。


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 才能の壁を越えることができないと知ってしまったピアノ奏者の根岸麻理恵(大西礼芳)は、主治医の西郡(永山絢斗)に「どうやってこれから生きていけばいいの?」と涙ながらに問いかけたが、「わからない。俺にも、わからない」と西郡は回答に窮してしまうーー。『トップナイフ ー天才脳外科医の条件ー』(日本テレビ系)第5話が描くのは、西郡と根岸というその鏡写しのような存在が「才能」に振り回され、最後にはそれに見放されてしまう現実の厳しい姿である。前話に引き続き「天才になりきれない」西郡琢磨の医師としての苦悩と挫折が垣間見える、非常に濃密なストーリーが紡がれていった。


 第4話にて、かつて自分が失敗した母親のオペを黒岩(椎名桔平)に託し、その天才的所作を目の当たりにした西郡。追い討ちをかけるように、意識を取り戻した母親からは「才能ないねぇ、おまえは」と苦言を呈されてしまう。


 そんな折に救急搬送で運ばれてきた患者ーー自称ピアノ講師という根岸麻理恵は、才能に悩まされる西郡の精神性に限りなく近い存在だった。テレビでも活躍する天才ピアニストの景浦祐樹(柿崎勇人)と同じ音大を出ているけれど、一方の自分はいつまで経っても花が開かず、自殺未遂にまで及んでしまうという境遇を持っていた。彼女は脳に腫瘍が見つかったものの、ようやく作曲の才能が芽を出しそうないま「手術をしてる場合じゃない」と最適な治療を拒否。あろうことか西郡もその判断に賛成し、曲が次々と浮かんでくる彼女を“自分のことのように”応援していたが、実はその才能の煌めきは「サバン症候群」という病気の作用によってもたらされた“紛いもの”であることがついぞ明かされてしまう。


 そのことを告げられた際に根岸が西郡に問いかけたのが、先述のセリフ「じゃあ、どうやってこれから生きていけばいいの?」だった。その言葉は、大事なオペでまたも望んだ結果が得られなかった西郡こそが叫びたかった想いでもあったかもしれない。だから彼は答えに詰まってしまったものの、「書けるもん! 曲、書けるもん!」と根岸はそれでも諦めようとしない。それはきっと、西郡が何度も根岸に発していた「諦めるな」という言葉が彼女に届いていたからなのだろう。西郡はいつだって努力を惜しまず、諦めずに“天才”を追い求めてきた。「(たとえ己が平凡であると気づいても)それでも人は生きていかなきゃいけない」と深山(天海祐希)も言うように、才能がないと知ったって、やることは何も変わらない。「俺は平凡な医者です」と母親に告げた西郡が涙を流しながらも必死に歩みを進めていく姿に、“努力の人”がそれでもがむしゃらに生きていく、よき未来が透けて見えるようだった。才能に悩むすべての人に捧げられたかのような、永山絢斗と大西礼芳の渾身の演技にも注目したい。


 “天才”の黒岩と“凡人”の西郡を最たる例として、時おり浮き彫りになる登場人物たちの対照的な性格。幸子(広瀬アリス)の場合は、家族を捨ててただ一途にトップナイフになることを目指してきた深山を鑑みながら、「わたしはそういうの嫌なんです」と軽やかに批判し、医師としての違う生き方を模索しようとする。そのための彼女の大きな挑戦が「恋愛」となっているようで、「恋愛解禁!」と宣言した彼女の心の成長も本作の見どころだろう。


 一方、突如子どもを預けられてしまった黒岩は、DNA鑑定の末にその子どもとの親子関係を認めざるを得なくなる。深い人間関係を結ばずに、天才脳外科医として人の頭を切ってきた黒岩自身のその心(脳)の内情も今後明るみになっていくのだろう。患者の病に親身に接しながら同時に医師たちの心にも迫っていく『トップナイフ』。天才も凡人もみな一様に人間であるという視点からの人間ドラマにもより一層深みが出てきたようだ。 (文=原航平)