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岩井俊二を追いかけ続けずにはいられない理由 『ラストレター』に込められた人生の重み

2020年02月03日 10:11  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2020「ラストレター」製作委員会

 葬式という儀式で始まり卒業式という儀式で終わる。主に化け物などを得意分野とする漫画を書いているという庵野秀明演じる宗二郎を大黒柱とする遠野家の「遠野」は『遠野物語』を彷彿とさせ、未咲(広瀬すず)という女性の死の気配が家中に漂う岸辺野家はその名の通り、岸辺で死者と共にいる。思い出の仲多賀井(ナカタガイ)高校、そして2つの場所を繋ぐ「上神峯神社」(原作より)。『ラストレター』というタイトルがクレジットされると同時に、映画は、神話めいた言葉で彩られたそれらの場所、他ならぬ岩井俊ニの故郷・仙台の町並みを鳥瞰していく。


参考:岩井俊二新作『ラストレター』にみる、「作家の映画」の限界と可能性


 絶賛上映中の映画『ラストレター』である。『四月物語』の松たか子、『Love Letter』の中山美穂と豊川悦司、そして岩井自身が主人公“カントク”を演じた映画『式日』を監督した庵野秀明と、岩井映画ゆかりの人々が集い、広瀬すず、森七菜、神木隆之介という新たな才能たちも加わり、川村元気プロデューサーが言うところの「岩井作品のベスト盤」が出来上がった。特に、まだ言葉の端々にあどけない少女性が残る、森七菜という女優の発見ほど(もちろん『天気の子』でその瑞々しい声とは先に出会っていたのだが)映画にとっての幸福な出会いはないだろう。


 映画の公開よりも1年以上前に発売された小説『ラストレター』(文藝春秋)を読んだ時、これは、メッセンジャー、つまりツバメである鏡史郎(福山雅治)が、手紙という形で、人間に痛めつけられ傷ついて、もう世界を見ることができなくなってしまった王子こと、今は亡き女性に、彼女のことを愛していた人々のその後の世界を見せ続ける、『Love Letter』に続く岩井版「幸福の王子」なのだと感じた。


 小説版は鏡史郎の一人称によって、複数の手紙の主たちの物語が描かれていたために、女性たちの人生とは関係のない、彼個人の人生を描くエピソードも複数描かれていたが、映画版の鏡史郎は、「今度はてめえの一人称なんかで書くんじゃねえぞ」(『ラストレター』,文藝春秋,p.174)と言う阿藤(豊川悦司)の言葉そのままに、傍観者としてしか存在することを許されず、遠野家、岸辺野家の物語を追いかけているに過ぎない。


 映画の中心には、鏡史郎ではなく、「未咲」という死者がいる。未咲は、高校のマドンナ的存在だったが、豊川悦司演じる疫病神のような男・阿藤と出会い、苦労の末、娘・鮎美(広瀬すず)を遺したまま亡くなった。現在の写真が存在しないため、学生時代で時間が止まってしまったかのように、広瀬すずが二役を演じる娘の鮎美と生き写しの顔のまま、遺影として額縁に収まっている。未咲には、輝いていた高校時代しかない。彼女は、鏡史郎によって書かれた私小説『未咲』の中、あるいは、彼と共に書いた卒業式の代表あいさつの文章の中でのみ生きている。彼女には確かに血を分けた娘がいて、一度は愛した男性がいたはずなのに、彼女の中にも、映画の中にも、それらはなかったことにされ、切り取られた「輝かしい青春」だけが画面の中心でぽっかりと浮かんでいる。そして、まるで巫女かなにかのように、真っ白な服を着て傘を持った2人の少女が、巨大な犬2匹と共に、未咲が中央に君臨する神話的世界を守っているのである。


 では、未咲の人生の続きはどこにあるのか。未咲という女性の空白を埋めるように、未咲の現在の姿に思いを馳せる観客の想像を補完するように登場するのが、かつて未咲と同じように、登場シーンから季節はずれの風邪をこじらせてマスクをつけていた、25年前の映画『Love Letter』のヒロイン・藤井樹を演じていた中山美穂である。中山は、同作の相手役だった豊川演じる現在の阿藤に寄り添う妊婦・サカエ役として、純粋性を一切消し去り、場末の路地裏の、妖艶で頽廃的な匂いを漂わせながら登場する。


 それはまるで、岩井俊二自身が、かつて描いた、真っ白な雪に覆われた聖なる映画を自ら穢すように。そこに人生というものの重みが加わることによって、疾走する青春、瑞々しい恋や友情を描いてきた彼の物語は、しがない中年男を演じる、これまで見たことがない福山雅治同様の、諦めに似た雰囲気を漂わせ、違う色合いを見せるのである。


 この映画が最後に辿りついた場所はなんだったのだろう。何十年も追いかけてきた存在のあまりの空虚さに戸惑う。まるで、過去に復讐されるかのような。狐につままれたような。それは、初恋の人に囚われ続けて一本しか著作がない作家、乙坂鏡史郎の辿りついた場所であり、岩井俊二という唯一無二の監督を追いかけ続けずにはいられない我々観客が導かれ、辿りついた場所でもある。


 その一方で、『Love Letter』の中山美穂はじめ、『四月物語』の松たか子、『花とアリス』の蒼井優と鈴木杏など、岩井俊二映画を彩ってきた少女たちの正統な流れを汲んだ美しい2人、広瀬すずと森七菜が、未来を向いて燦然と微笑み、新たな風を迎え入れる。未咲の死と共に、時間も止まってしまったかのようだった岸辺野家の一室の、時計の秒針は絶え間なく、一際大きく鳴り続けていた。岩井俊二の映画が、また新たに時を刻み始めた。(藤原奈緒)