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昭和生まれが経験した学校の"常識"「教室で先生が喫煙」「真夏に休憩せずに部活していた」

2020年02月02日 09:00  キャリコネニュース

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教育現場は古くから閉鎖的であったため、世間の常識からはズレたことが"常識"とされることがたまにある。とりわけ、昭和から平成初期の学校では、コンプライアンスや子どもの人権が今ほどうるさく言われなかった。ガールズちゃんねるに1月26日、「昭和生まれが経験しただろう学生時代の地獄」というトピックが立った。

「先生がチョークとか黒板消し投げたりしてた」
「理科の教師がでかい三角定規をうるさい男子に投げつけて、関係ない女子に当たって泣かせてた」

現在ならすぐに「体罰」と見なされ、加害教諭に処分が下りそうなもの。だが、当時は「教育のための愛あるムチ」は許容されたため、生徒に手をあげる教師はもいたようだ。(文:石川祐介)

「給食残せない。昼休みでも授業始まっても食べさせられる」


当時は、教室で煙草を吸う教諭がいたという証言も。「小学生の頃教室内で担任がタバコ吸ってた地獄」と煙が教室に充満する中、授業を受けたり給食を食べたりしていたという。

「給食残せない。昼休みでも授業始まっても食べ終わるまで食べさせられる」
「給食完食させること。今みたいに最初に量を減らすこともできず、少食の私は毎日掃除の時間も食べさせられてた」

給食の完食を当然とする"完全給食"が一般的であり、食べ切れずに苦しんだという声も散見された。授業が始まってもなお、給食を食べ続けなければいけない光景を異常だと思わず、むしろ"給食を食べきれない駄目な子"とレッテルを貼られていたことを想像すると恐ろしすぎる。

「予防接種の注射針が使いまわし。よく無事だったと思う」

このほかにも、根性論が蔓延していたために部活や体育で水を飲めず、休憩もまともに取らせてもらえなかった、という声が相次いだ。

「真夏の部活にろくに休憩もせず帽子もかぶらずやってたこと。トイレで吐いてる子とかざらにいたけど、今思うとそれ熱中症だよね」
「屋外競技で夏休みも屋外練習なのに、スポーツドリンクをコップ一杯飲めるのは3年生から。1年生はコップ3分の1を2人で半分こ。それを飲めるのが午前1杯と午後1杯のみ」

上下関係が厳しく低学年では水を飲む回数や量に制限が設けられているケースもあったという。

夏場に部活動や課外授業の最中に生徒が熱中症を発症した、というニュースは今だとすぐに報じられるが、昔は熱中症という単語やその危険性がまったく認識されていなかったため、適切な対応をされないどころか「根性なし」と叱責されることも珍しくなかった。

さらには

「集団予防接種の注射針まわし打ち。私は出席番号がいつも最後だった。よく無事だったと思う」

と"注射針の使いまわし"という、現在では考えられないことが起きていたようだ。今も学校現場の問題は山積みだ。だが、当時に比べたら少しはマシになっているのだろうか。