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香港映画の新たな傑作! アンソニー・ウォン主演『淪落の人』が実直に語る、明るいメッセージ

2020年01月30日 12:02  リアルサウンド

リアルサウンド

『淪落の人』NO CEILING FILM PRODUCTION LIMITED (c)2018

 事故で半身不随になった中年男性、リョン・チョンウィン(アンソニー・ウォン)。妻とは離婚して、息子は遠くで大学生をやっている。人生に何の夢も持てず、精神的に荒んだ日々を過ごしていた。要介護の身でありながら、彼の態度についていけず、介護士は次々と辞めている。今では元同僚のファイ(サム・リー)とゲームで遊んだり、AVを見るくらいしか楽しみがない。そんなある日、若いフィリピン人女性エヴリン(クリセル・コンサンジ)が住み込みの家政婦としてやってくる。チョンウィンは広東語も通じないエヴリンに苛立ちを覚えるが、懸命に働く彼女に少しずつ心を開いていく。やがてチョンウィンはエヴリンが懸命に働く理由と、彼女が昔からの「夢」を諦めつつあることを知る。


参考:アンソニー・ウォンが「秋生(あきお)です」と日本語で挨拶 『淪落の人』コメント付き予告編


 「淪落(りんらく)」。聞き慣れない言葉だが、「落ちぶれる」という意味である。原題は『淪落人』だが、本編を観終わったあとの印象は、英語タイトルの『Still Human』の方が近いかもしれない。本作は人生に希望を失いかけている2人の人間が、互いの「夢」を支えにして立ち上がるまでを描いた物語だ。


 主人公であるチョンウィンは半身不随になったことで、孤独で、頑固で、自暴自棄と言ってもいい状態に陥っている。息子から大学の卒業式に来てほしいと言われても、「こんなオレが行っても、お前の恥になるだけだろう」と断ってしまう。周囲の人間にも厳しく当たり、孤独ゆえに頑固になり、頑固だからもっと孤独になる。いわゆる負のスパイラルだ。チョンウィンの場合は半身不随という肉体的な形になっているが、自分に引け目を感じて卑屈になり、他人との関わりを拒絶したことがある人なら――もっと端的に言うなら「どうせ自分なんて」と考えたことがある人なら――誰しも彼に共感できるのではないか。一方、チョンウィンの家政婦になるエヴリンは、家庭環境のせいで貧困に苦しむ女性だ。本当は写真家を志しているが、周囲がそれを許さない。流れ着いた香港でも、彼女は偏見と差別に曝される。まさに人生の岐路に立つ若者だ。


 本作はそんな2人の心の交流を丁寧に描いていく。「丁寧」だと感じるのは、2人を完全な善人にも悪人にもしていないからだろう。チョンウィンはエヴリンに対して厳しいことを言うし、エヴリンもフィリピン人仲間から「頭がイイと分かると仕事が増えるから、バカのふりしてなさい」というアドバイスをもらうと、すぐさま実行する。それなりにチョンウィンと仲良くなったあとに、やむを得ない事情があったとは言え、何も話をせずに重大な裏切りをしてしまう。2人は時に意地悪にもなるし、後ろめたいこともする。しかし、それでも2人は善人である。チョンウィンもエヴリンも、困っている人は迷わず助ける。目の前で子どもが誤って風船を手放してしまったら、反射的に手を伸ばすタイプの人間だ。そこに損得勘定や細かい理由はない。もちろん2人は決して口にしないが、人間なら当然のことをしているだけなのだ。2人は確かに落ちぶれているが、まだ人間なのである。


 まだ人間であるチョンウィンは、完全に自分の人生を捨てることはできないし、エヴリンにも手を差し伸べようとする。エヴリンも同様にチョンウィンを見捨てることができない。2人は時にケンカして、時に笑い合って、少しずつ絆を深めながら人生の希望を見出していく。ここがポイントだ。仲良くなったり、ケンカしたり――つまり2人の関係性には度々「巻き戻り」が起きる。関係性や成長をリセットする物語上の巻き戻りは、フィクションではストレスとして敬遠されがちだ。しかし、全てのドラマが上手く繋がっている脚本と、穏やかな演出、何より香港が誇るベテラン俳優アンソニー・ウォンと、新進気鋭の女優クリセル・コンサンジの掛け合いが、本来なら煩わしくなる物語上の巻き戻りすら愛おしいものにしている。また、2人の間に恋愛感情を匂わせるようなシーンもあるものの、あくまで“人生の相棒”的な域を出ない。このバランス感覚も好印象だ。ちなみに、監督のオリヴァー・チャンは本作の着想について、こんなふうに語っている。


(中略)数年前のある日、家の近所である光景を見ました。フィリピン人女性が車椅子の後ろに乗り、車椅子には中年男性が座っている。彼らが路上を走り去っていく時、彼女の長い黒髪は風になびいていた。2人とも微笑みを浮かべ、若干の甘い雰囲気すら漂わせている。私はとっさに「それはマズいでしょう」と思いました。でも考えてみれば、本当に“マズい”のは私のこうした考え方のほう。背景や文化がまったく異なる見知らぬ2人が、数奇な運命の末にめぐり合い、互いの人生の中で最も親しい人になる…それはきわめて美しいことです」(※公式サイトより引用)


 この言葉に本作の全てが詰まっている。人は縁によって落ちぶれることもあるが、縁によって救われることもあるのだ。そしてどんな人間も夢を持って生きていい。本作はこうした明るいメッセージを実直に語る。四季と共に描かれる香港の風景も美しく、特に最後の季節は忘れ難い。ごくごく平凡な団地が、まるで魔法のように幻想的な光景に様変わりする。その静かな余韻の中で「自分は果たしてチョンウィンのように生きられるだろうか?」「エヴリンのように夢があるだろうか?」といった疑問と、「あの2人のように生きていこう」と憧れが浮かんでくる。静かで優しく、人生と向き合う元気をくれる、香港映画の新たな傑作だ。(加藤よしき)