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採用における「倫理」とは何か? 社会の入り口である就職活動で企業が守るべきもの

2020年01月15日 07:10  キャリコネニュース

キャリコネニュース

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採用や就職という活動は、どれだけ丁寧に慎重に相手に配慮しながら行ったとしても、誰かを傷つけたり自ら傷ついたりせずにはいられないものです。

入社したい人を落としたり内定が出た会社を袖にしたりすれば、相手が本気であればあるほど悲しませることになります。それこそ、失恋によって自尊心が根底から揺さぶられるように。相手から拒絶される不合格や辞退という経験は、事ほど左様に当事者の存在意義を脅かすものです。(人材研究所・曽和利光)

採用とは「企業の人材獲得戦争」である

企業の採用活動においては様々な「倫理」の問題が存在しています。例えば、候補者に対して不合格理由は伝えるべきでしょうか? 「あなたのどこがダメなのか」を事細かに伝えるべきでしょうか? 相手が傷つくことだとしても。内定受諾は永遠に待ってあげるべきでしょうか? そのために他の志望者に内定を出せなくても。

リファラル採用が隆盛となれば紹介者から候補者の情報が入ってきますが、それを合否判定に使うのは悪でしょうか? それとも聞いたことは忘れたふりをして、あくまで面接で得た情報のみで評価すべきでしょうか? 候補者が受付や待合室での態度や振る舞いなど面接で話した内容以外のことは、評価に使ってはいけないのでしょうか?

企業と個人を比べれば、もちろん個人が弱いということになり、微妙な問題がある場合はできるだけ「候補者ファースト」で考えるべきというのが基本ではあります。しかし「入りたい人は全員自社に入れてあげる」などということができない以上、結局はどこかでラインを引く他ありません。

どんなにきれいに飾り立てても、採用活動は企業の利己的な活動です。かつて米マッキンゼーは"War for Talent"という言葉を掲げましたが、まさに生き残りをかけて自社に優秀な人材を獲得するための戦争です。正々堂々とそのことを認め、ごまかすことなく学生に自社の都合を説明して理解をしてもらうことが、納得はされないとしても、せめてもの誠意です。

相手を傷つけた事実から目を背けてはならない

そもそも採用難時代において、企業が個人より常に強いとは一概に言い切れません。企業が強く見えるのは、求人倍率は0.3倍前後で今でも買い手市場の大企業・有名企業だけ。例えば流通業の新卒の求人倍率は10倍を優に超え、採用担当者は日々学生にドタキャンされたり無視されたりしながら頑張って採用活動を続けています。

私も長らく採用担当者でしたが、学生から振られることは自社を全否定されたようで心が痛くなります。それは学生が企業の選考に落ちる痛みと似たようなものではないかと思います。企業側にだって弱い者はたくさんいるのです。

ですから、人事や採用の世界に飛び込む以上、「誰も傷つけたくないし傷つきたくない」なんていうナイーブな気持ちは捨てるべきです。特に面接などの選考で「落とす」ことが仕事の採用担当者は、そういう神をも恐れぬ行為をしていることを忘れてはいけないと思います。手を汚さずに採用担当者でいることなどできないのです。

このような状況の中、採用活動において最も問題なのは「嘘」であると思います。傷つき傷つけられることは避けられないのですから、それ自体がダメなのではなく「偽りの善」をよそおうことで、自ら為した相手の傷に目をつぶることこそが罪悪なのです。自ら下した行為で人が傷ついていく事実に目をそむけてはいけません。

建前ではない本音を告げること

例えば内定通知の際には本来、候補者には次のように説明しておくべきでしょう。

「当社は少数採用なので、あなたがYes(確実に入社します)と言わなければ内定を出すことはできません。来てくれるかわからないあなたに内定を出すことで、当社への入社を強く希望する他の候補者に泣く泣く不合格を出したくないからです」

これまで候補者にあいまいにしていた「インターンシップは本採用の評価の参考にします」「数学の点数が何点以上しか採りません」といったことも、本来はきちんと告げるべきなのかもしれません。

もちろん、不合格理由など相手を傷つける話をストレートにするかどうかなど、正解のない問題もあります。私は信念を持って行うのであれば「不合格理由はこういう理由でお伝えしません」と宣言するのもよし、「ハレーションが起ころうとも伝える」という方針もよしだと思います。

このように、企業は採用活動において守るべき倫理は「嘘をつかない」「正直である」ということに尽きるのではないでしょうか。社会の入り口である就職の際に、学生が最初に出会うものが企業の「嘘」や「建前」ではない世の中であればと思います。