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ポストジブリという問題設定の変容、女性作家の躍進 2010年代のアニメ映画を振り返る評論家座談会【後編】

2020年01月13日 15:31  リアルサウンド

リアルサウンド

宮崎駿監督『風立ちぬ』

 年が明け2020年に突入。同時に2010年代という時代も終わりを迎えたリアルサウンド映画部では、この10年間のアニメーション映画を振り返るために、レギュラー執筆陣より、アニメ評論家の藤津亮太氏、映画ライターの杉本穂高氏、批評家・跡見学園女子大学文学部専任講師の渡邉大輔氏を迎えて、座談会を開催。10年代を代表するアニメーション作家をトピックに語り合ってもらった。


 細田守や新海誠をはじめとするアニメーション監督に注目した前編に続き、後編では、「ポスト宮崎駿」をめぐる議論の変容や女性作家の躍進、SNSとアニメーションの関係性について語り合った。


参考:細田守と新海誠は、“国民的作家”として対照的な方向へ 2010年代のアニメ映画を振り返る評論家座談会【前編】


■ポストジブリという問題設定の時代
渡邉大輔(以下、渡邉):「ポストジブリ」「ポスト宮崎」という問題設定がいまでもしばしばなされますが、僕自身はこんな見立てを持っているんです。おそらくそれに関しては、2010年代の前半と後半で、アニメ映画に関する問題設定がかなり決定的に変わったのではないでしょうか。


 まず、2013年に宮崎駿監督が大々的に長編監督の引退宣言をしました。引退宣言は毎度のことだし、実際にその後にまた撤回したわけですが(笑)、それでもあの年はやはりいろいろな意味でジブリないし「東映動画的なもの」の時代の終わりを感じさせたと思うんです。2013年は宮崎、高畑のキャリアの総括的な新作が揃って公開されました。また2013年は宮崎監督が1963年に東映動画に入社してちょうど半世紀でした。しかも当時の宮崎監督の年齢(72歳)は、彼が尊敬する司馬遼太郎が亡くなった齢でもありました。


 その前後のジブリ作品も、基本的にはジブリの「歴史化」と「継承」の意識を打ち出していました。例えば2011年の『コクリコ坂から』は、高校生がカルチェラタンという古い部室棟を守る話ですが、あの物語の時代設定も、宮崎監督が東映動画に入社した1963年です。つまり、あの物語は、ジブリに至る「東映動画的なもの」の伝統を守ろうとするメタファーなのです。実際、彼らが陳情に行く学園理事長は徳間康快がモデルですし。ともかく、2010年代前半の時点では、2013年の宮崎駿の引退宣言でジブリ的なものが一度終焉を迎えたことが誰の目にも明らかになり、みんながポストジブリ、またはポスト宮崎的な「国民作家」=監督を探ることをアニメ界の重要な問題設定の一つとして考えていた。


 でも2016年に『君の名は。』と『聲の形』に加え、『KING OF PRISM by PrettyRhythm』のような作品も公開され、以降、その問題設定がある側面で意味を持たなくなってしまったように見えます。もちろん『君の名は。』はある意味「国民的」な映画になりましたが、ジブリとは全く違うパラダイムにある。そして何より、大学でアニメ好きの学生と話していても、彼らはもはや作家=監督ではなく、アイドルアニメやその声優たち、そしてアニメと紐づいたゲームや2.5次元舞台が興味の中心にあります。2010年代後半は、ポストジブリ、ポスト宮崎駿という問題設定自体が分散移動していく感覚があります。


藤津亮太(以下、藤津):アニメがこれだけ増えてくるのは、結局みんなキャラクターが好きだということなんだと思います。だからキャラクターがアイドル的に消費され、二次創作的なものが本編で用意されることも多くなってきました。たとえば『Fate』は、本編から派生された作品として『衛宮さんちの今日のごはん』がオフィシャルに作られていたりするように、やはり強い入り口としてキャラクターがあるんでしょうね。ハリウッド映画もほぼ同じタイミングで同様に変わっていて、いかにキャラクターを上手に管理した者が勝者になるかというフェーズに入っているので、そういった世界的な現象の中に日本アニメも位置しているのではないでしょうか。


渡邉:作家主義ではなくキャラクター主体の作品というと、まさにマーベル映画や『スター・ウォーズ』がそうですね。その関連性でいうと、僕としては実は米林宏昌監督が気なっているんです。ちょっとびっくりするかもしれませんが、僕は米林監督というのは、J・J・エイブラムスにちょっと似ていると思っています(笑)。エイブラムスは、『スター・トレック』『スター・ウォーズ』といったハリウッドが作り上げてきた神話的なコンテンツを器用に二次創作する監督で、僕は彼は究極の「二次創作作家」だと思っています。そこに個性はない。しかし、いま神話を継承していくための一つの最適解を提示してはいる。


 米林監督は、いかにも宮崎的な「イギリス的」「北ヨーロッパ的」なモチーフを描き続けている点で明らかにポストジブリを引き受けようとしていますが、しかしその方法が面白いんですね。例えば『メアリと魔女の花』は、『天空の城ラピュタ』や『魔女の宅急便』、『となりのトトロ』、『千と千尋の神隠し』といった宮崎アニメの記憶をデータベース的に執拗に参照しつつ、その強烈な作家性は全て脱色して、データベースだけ利用してもう一度再構築している。これは、エイブラムスやマーベルがやっていることとすごく似ているし、それを評価するかは別として、ポストジブリという問いが変容していく中で、その1つの方向性としては充分にあり得ると思っています。


藤津:米林監督は、観客の感情を操りたいタイプではないですよね。演出も割とクールで、『メアリ』では、森に入って「怖い」となるときに、すぐに次のカットでは引きの客観的な絵になったので、この人は冷静な演出家なんだなと思いました。だからこそ、『メアリ』では物語が持っていきたい感情の方向性とは少し齟齬を感じましたね。『思い出のマーニー』では全体の謎解きではなく、「マーニーと私が会ったんだ」という実感の1点のみに絞っていてその突破力はすごかった。だから体質に合ったものをやったら、もっと受け入れられるのかもしれません。ただ、ポストジブリ的なものを求められている状況は確かなので、次の作品は逆にその語り口と求められる内容の差異を埋めるのか、あえて埋めないのか、楽しみです。


■“ベタを恐れない”山崎貴監督
藤津:神話の再構築といえば、日本で、渡邉さんのおっしゃるようなエイブラムス的なことをしているというのは、山崎貴監督ではないでしょうか。2019年は3本作品があるけど、アニメだと『ドラゴン・クエスト ユア・ストーリー』の総監督と『ルパン三世 THE FIRST』。『STAND BY ME ドラえもん』もそうですが、山崎監督は再構築する際に、原点からパーツを洗って持ってくるのではなく、世間が漠然と思ってる一般的イメージに向けて再構築する印象です。『ドラクエ』はそういう意味では野心的すぎましたが、『ルパン三世』では、「『ルパン』といえば『カリオストロの城』でしょ?」とか「こういう活劇のお手本は『ラピュタ』でしょ?」といったものを衒いなく、必要な仕事として入れてくる。『ルパン三世』は最近のTVシリーズでは、ルパンが何者かという問いにきちんと向き合って作っていたのに対して、山崎監督は全くそこに興味なく、みんながふんわり思っている『ルパン三世』を作ることに意義を見出している。


渡邉:大衆の集合的な記憶を召喚し、惹起するのがすごく上手いんですよね。シネフィルにはまったく好かれないと思うんですけど(笑)、僕は面白いと思ってしまいます。


杉本穂高(以下、杉本):映画は大衆娯楽でもあるので、いなくてはならない存在ですね。


藤津:山崎さんはベタを恐れない。だから有名なキャラクターを使うと、「みんなが思ってるのはこれでしょ」という感じになってしまってて寄せすぎのように感じてしまいます。実写作品だとベタに寄せきれない原作があるので、程よいバランスになるのかも。『SPACE BATTLESHIP ヤマト』は実写だけど有名キャラクターだから、「みんなが思ってる『ヤマト』」に寄せてくるんですよね。さらに「みんなが思ってるキムタク」までも乗っかってくる。


■プログラムピクチャーとしての『名探偵コナン』
ーー興行的に見るとこの10年間で『劇場版 名探偵コナン』は大躍進を遂げましたよね。


藤津:語義から少しズレますけど、日本のアニメで最も成功したプログラムピクチャーですよね。『ポケモン』や『ドラえもん』も長くやっているけど興行成績に浮き沈みがある。一方で『コナン』は多少前年より下がることはあっても、テコ入れをするような大きな落ち込みがなく一番安定して成長してきているし、監督が静野孔文さんに代わってからはその後も連投することで、映画としていかにエンタメ感を上げていくかというノウハウが蓄積されていった。ミステリー度の高い話もありますが、おおむね洋画の大作アクションのようなものを想定して作られていますよね。


杉本:あまり推理してない作品も多いですよね。


藤津:今の観客に対応した形ですよね。しかも『コナン』は、20年以上続いているので、観客の年齢がどんどん上がり親になって、その子どもが見始めるというゾーンに位置している作品で、2世代コンテンツになるための道がこの10年で整備されました。


ーー2014年の『異次元のスナイパー』で41億円を記録したあたりで流れが変わりましたね。


藤津:2016年の20周年記念作品『純黒の悪夢』を大きく盛り上げようと何年か前から仕込んでいて、原作ではその2年くらい前から安室透を謎のキャラで登場させていました。翌年の『から紅の恋歌』も、前年の満足感が反映されて数字は落ちませんでしたし、内容的にもミステリーとアクションの融合が最近では一番洗練されていました。そして、人気キャラと2年連続面白かったという信用を持った上で、静野路線を踏まえた立川譲監督の『ゼロの執行人』では見事に90億を突破しました。


渡邉:昨今の『コナン』人気に関しては、僕自身はあまり私見は持ち合わせていません。ただ、妻も学生たちも好きですね。やはり赤井秀一や安室透のようなキャラクターには、女性ファンが付く。映画の『コナン』は、爆発やアクションシーンがハリウッド映画並みに見応えがあり、女性の中にはハリウッドの実写のアクションや爆発シーンは怖くて見れない人もいるけど、アニメ絵なら大丈夫で、『コナン』でそういうシーンを楽しみたいという需要があると聞きました。


藤津:最初から女性ウケを狙ったわけではないと思いますが、もともとは『コナン』は女性ファンが多い。毎年定期的にやってるアニメ映画で恋愛要素があるのは『コナン』だけで、『ドラえもん』や『ポケモン』だと成長に連れて卒業していくところ、『コナン』はドラマ性や恋愛要素もあって少しシリアスでもあるから、きちんと満足感があるので、コンテンツとして観客が離れ難いんです。そのベースがある上に、まず『コナン』のキャラクターが好き、親近感を持っているという層がいて、さらに近年安室透や赤井秀一といった強度が高いキャラクターが投入されて、という流れだと思います。


■女性作家の躍進も1つのテーマに
杉本:女性ファンというところだと、この間『週刊少年ジャンプ』のジェンダーバランス問題が炎上しました。就活生が説明会で「女性は『ジャンプ』の編集にはなれませんか?」と質問したら、実際の編集者に「前例が無い訳ではありませんが週刊少年ジャンプの編集には『少年の心』が分かる人でないと」と言われたという。現在の『少年ジャンプ』はかなり女性の読者層が多く、女性向けにチューニングしたわけではなくてもその結果になっている。最近の最たる例は『鬼滅の刃』です。


藤津:僕はもう、男性向け、女性向けと細かく考えすぎないほうがいいと思っています。コンテンツが誰のものかと議論しても難しいなと。


杉本:僕も10年代は男向け女向けというカテゴリーが融解した状況になったと思うんです。それに気づいたのは『おそ松さん』でした。下ネタを連発するなど従来の考え方では女性向けとは思えない作品ですが、女性ファンが多かった。


渡邉:『銀魂』もそうですよね。


藤津:『銀魂』は普通に男性ファンもいるわけですよね。「少年の心」問題に関しては、男女を問わず、自分の好みを差し置いて、単純に編集者が読者にどれくらい寄り添えるかということを言えばよかったのに、と思いました。


渡邉:女性ファンが台頭してきた2010年代は、他方で女性監督の躍進もトピックとしてあるのでは。アニメだと、『澱みの騒ぎ』の小野ハナ監督が毎日映画コンクールの大藤信郎賞を女性で初めて受賞し、その後、『リズと青い鳥』で山田監督が続きました。今後も才能ある作り手がどんどん続いてほしいです。


杉本:TVシリーズの監督で女性の名前を聞くことは増えていますよね。長編映画だとまだなかなか山田監督以外出てきていない印象ですが。2019年は京アニの藤田春香さんが『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 – 永遠と自動手記人形 -』で監督デビューしましたし、これからが楽しみですね。


藤津:ベテランだと『プリパラ』の森脇真琴さんから、注目の若手で『ノーゲーム・ノーライフ・ゼロ』で映画デビューした、いしづかあつこさんまで、いろいろいらっしゃいますよね。TVアニメだと、京アニ出身の内海紘子さん、高雄統子さんがそれぞれ『BANANA FISH』『アイドルマスター シンデレラガールズ』という代表作を作っているので、この2人はいつかオリジナルの長編映画を手掛けることがあるんじゃないかなと思っています。また東映アニメーション出身で、『血界戦線』の松本理恵さんなどいろんな方が続々と出てきているので、女性監督はこれからどんどん増えていくでしょうね。


杉本:2019年の『劇場版 名探偵コナン 紺青の拳』の永岡智佳さんも女性ですね。脚本家ですけど岡田麿里さんも『さよならの朝に約束の花をかざろう』で監督に挑戦しました。


――岡田麿里さんでいうとTVシリーズではP.A.WORKSも10年代を代表するスタジオですね。


杉本:P.A.は、聖地巡礼現象に強く貢献しましたね。『花咲くいろは』に出てきた湯涌ぼんぼり祭りは今も続いており、アニメ発で始まったお祭りが地元の祭りとして定着し始めています。


藤津:聖地巡礼はいろんな企業が挑戦していますけど、P.A.WORKSはやはり地方にスタジオを置いてるのもあって、スタジオが率先してやってるというのが特殊だと思います。


杉本:聖地巡礼という現象は、社会とアニメとの結びつきがすごく強くなったことの現れなのかなという気がします。2020年熊本の復興PRのテレビアニメ『なつなぐ!』が放送されますが(現在放送中)、地元の復興のためにアニメが作られる時代になったのかと感慨深いです。アニメは世の中の現実をあまり描かないとよく言われますが、実はすごく現実とかかわってきた10年間だった気がしますね。


■SNSとアニメーション
――2010年代はSNSとアニメの関係も切り離せないと思います。やはりTwitterなどのソーシャルメディアの発達がファン同士のつながりを強くし、作り手と観客の距離も近くなりました。


藤津:映画というよりはTVで顕著ですよね。特にTwitterはリアルタイム性があるのでテレビとの相性が良くて。深夜アニメは視聴率があまり関係ないので、Twitterでどれくらい呟かれてる、公式アカウントフォロワー数が盛り上がりの1つの目安になる。そこで厄介なのは、配信の時代になると、いつ見ても良いので、ファンが可視化されにくくなってくること。だから僕は配信アニメもどこかでテレビアニメと組み合わせないと作品の認知や、作り手のお客に届いてるという手応えが薄まってまうのではないかと危惧しています。


渡邉:そういえば、Twitterの「バルス祭り」も2010年代ですよね。映画に関しては、SNSと紐づくことによって興行成績がある意味ニコ動ランキング化・pixivランキング化してしまう気がしています。一番印象的だったのは2014年の『アナと雪の女王』で、『千と千尋の神隠し』のヒットの仕組みとはまったく異なっていました。主題歌の「レット・イット・ゴー~ありのままで~」がYouTubeにアップされて一気に拡散され、興行ランキングを瞬く間に駆け上がっていった。それが『君の名は。』や『シン・ゴジラ』にもつながっていっている感じがします。そのヒットの構造は、90年代や2000年代初頭の『千と千尋』とか『踊る大捜査線』とはまったく違うし、非常にSNS的になっている。Twitterのトレンドのように一気に拡散して急激にしぼんでいく、脊髄反射的な一過性のものになっている気がするんです。


 情報社会論でフローとストックと言いますが、フローの部分が映画興行のpixivランキング化だとすれば、他方、ストック的な側面もあって、それはYouTubeで若い人たちにとって昔のアニメが普通に見れるので、うちの学生も昔のアニメをよく知ってるんです。ただYouTubeで見てるから全部は見てないというんです。僕の世代はYouTubeがなかったから、昔のマニアックなアニメはVHSも全然なかったけど、今の学生はむしろ今のトレンドにも脊髄反射的について行きつつ、80年代アニメも動画サイトにストックされた断片で見ていたりする。アニメとかポップカルチャーに親しんでいる年齢層が上がっているので、お父さんがアニメ好きという世代もあって、昔の作品も時間が止まったように受容されている、一方で映画興行のpixivランキング化という二層構造がある気がするんですよね。


藤津:単純に口コミが強くなりましたよね。『この世界の片隅に』も片渕須直監督は10年前『マイマイ新子』のときにTwitterで上映の拡散をしていて、その時の草の根が『この世界の片隅に』のヒットにつながっています。WEB『美術手帖』で片渕監督とのんさんの対談の司会をやったときに、お互いに意外な面を聞くとのんさんが、「監督はいつもスマホでTwitterをやっている」と言っていて。片渕監督は「やはりお客とつながることがこれだけ映画を支える強さになるんだ」ということをおっしゃっていて。作って渡したらそれで終わりじゃないんだということも含めてTwitterの力は計り知れない。今年は『プロメア』がそうで、現代らしいヒットでした。


杉本:『プロメア』は最初初登場8位でその後は圏外でしたが、それが14億まで成績を伸ばしたのは驚きでした。右肩上がりに興行が伸びる作品がここ数年すごく増えていますね。顕著なのは『カメラを止めるな!』ですが、とりわけアニメ作品に多く、『若おかみは小学生!』もそうでした。


藤津:アニメは、一度コアなファンを捕まえるとそこをハブにして、少ない上映館で長く上映することができるようになったので、Twitterでの口コミ効果は計り知れません。そういった環境に水を差すことになったのが『アナ雪2』です。あのようにステルスマーケティングで炎上してしまうと口コミへの信用がなくなってしまうので、これまでの良い流れに対してあまりよろしくないですね。


杉本:おそらく後から振り返って象徴的な事件になると思います。口コミを使った作品の拡散について、今後少し流れが変わるかもしれません。


■テン年代、そして来たる2020年代に向けて
――2020年代はアニメにとってどんな時代になるのでしょうか。


藤津:まず2019年は「2016年の後にどういうものを作ればよいか」という年でした。バラエティに富んだ作品が出たことで、今後いろんな人たちが映画を作る流れを持続できると思うんです。そうなると、2022年くらいまではアニメ映画がいろいろ出てくるフェーズになるかもしれません。百花繚乱な時代というか、クリエイターたちが「どういう人に向けてどのようなアニメを作るべきか」という問題を解こうとするシーズンは続くのではないでしょうか。


杉本:いろんなところからいろんな角度でアニメ作品が作られていきそうですね。あと2019年は海外のアニメーションが目立っていたので、そういう流れが続くと良いなと個人的に思っています。海外のアニメーションが元気なこととも関連するかもしれませんが、2020年代はアニメーションの個人作家の躍進する時代になるのではと思っています。スタジオに関しては、ufotableに改めて注目しています。スタジオとしての実力は折り紙つきですが、『劇場版「Fate/stay night [Heaven’s Feel]」Ⅲ.spring song』と『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』の2本の興行成績次第で、世間の認知度的に1つ上のステージに行くことになるかもしれないと期待しています。


渡邉:2010年代は2016年を1つの軸として、映像文化の中でアニメの立ち位置、実写とアニメの関係性が変わってきたと思います。これまでオーソドックスな日本映画史の見取り図だと1930年代と50年代が重要でそこに軸足を置いてきました。1930年代は戦前で言えば日本映画の最初の黄金期で、クラシックな映画が確立された時期で、50年代は黒澤明らが国際的に評価されたり撮影所システムが全盛期だった頃です。でも結局これは、実写中心の考え方で、アニメは長らくマイナー文化でした。でもそれを転換して考えないとこれからの映像文化の本質はつかめない。これは僕の持論ですが、日本映画史の見方で、いま言った奇数のディケイドを横にずらすべきだと考えています。つまりこれまでは30年代と50年代が重要でしたが、これからは70年代と90年代、つまり角川映画のメディアミックスとアニメブームでアニメが市民権を獲得した70年代と、『エヴァ』やスタジオジブリの黄金期である90年代。そうすると、70年代90年代、そして2010年代ときれいに収まるんですよ。10年代はそういう意味で、後から振り返った時に映画史の見方や、いろんなジャンルがドラスティックに切り替わった時代なので、それを20年代でどう総括していくのか考えたいなと思っています。


(取材・文=安田周平)