2019年12月31日 10:31 弁護士ドットコム
2019年は性暴力事件に対し、大きな注目が集まった年だった。きっかけは、3月に相次いで報道された4件の無罪判決。これをうけ、性暴力のない社会を求める「フラワーデモ」が始まり、性被害について語りあう動きが全国各地に広がっている。
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司法への強い批判もあった一方で、実刑判決が出て大きく報道されたものもあった。派遣型マッサージ店の女性従業員に乱暴したとして、強制性交の罪で懲役5年の実刑判決を受けた俳優の新井浩文被告人の事件だ。新井被告人は即日控訴している。
4件の無罪判決のイメージが強かったからか、判決を「画期的」と評価する声もあったが、性犯罪事件に詳しい上谷さくら弁護士は「今回のような事実認定に基づく判決は、これまでにも当然のように下されている」と一歩引いた見方をしている。判決の評価を聞いた。
まず、新井被告人の事件の判決がどのようなものだったか、振り返っていきたい。
裁判の争点は、(1)新井被告人が、強制性交等罪(刑法177条)の要件である「暴行」を用いて性行為をしたか、(2)新井被告人が女性の合意があると誤信することはなかったか(故意の有無)、の2点だった。
強制性交等罪の「暴行」については、「被害者の年齢、精神状態、行為の場所、時間等諸般の事情を考慮して、社会通念に従って客観的に判断されなければならない」とされている。
判決は、新井被告人がした暴行について「制圧的と言うほど強度」ではないとしつつ、あかりの消された自宅寝室内で2人きりであり、体格差もあることから「女性が物理的、心理的に抵抗することが困難な状況であった」と判断した。
今回のように、様々な要素を検討して暴行・脅迫を認定した判決はこれまでにも多くあると上谷弁護士は話す。
「『画期的』『刑法改正の際の付帯決議で被害者の精神状態について裁判官が研修すべきとされており、その成果の表れ』などと評価する向きもありますが、これが特別であるかのような評価は誤りだと考えます。たしかに、研修によって裁判官の意識が高まった面はあると思いますが、刑法改正前から今回のような判決は多く下されていました」
被害者の証言が採用されたことも大きい。
女性と新井被告人の供述は、暴行や女性の抵抗の内容について食い違っていたが、判決は、被害者の証言を「信用性は高い」とし、女性の証言を元にして事実を認定している。こうした判断は「珍しくない」という。
「重要部分について記憶しているが、細部については覚えていない、というのはむしろ普通のことです。一見不利と思えるようなことも正直に話している、ということは被害者の証言の信用性を高めます。あえて嘘をついて、被告人を陥れるような必要性がないというのも重要なことです」(上谷弁護士)
また、判決では、被害後にとった被害者の行動も重視されている。
例えば、
・新井被告人が事後にお金を渡そうとしたが、強く拒否した
・自宅を後にした後、店関係者に被害を打ち明け、数時間以内に警察署で相談した
・事件から数日以内に、具体的な被害内容のメモを作成した
といった客観的な経緯が、性行為に合意しておらず抵抗したという女性の証言と合っていると評価された。
これについて、上谷弁護士は「被害者のその後の『分かりやすい行動』が、検察の立証しやすさを助けたことは間違いないと思います」と述べる。
「被害から時間がたってしまうと、被害者の記憶もかなり薄れます。正確な供述が取れないこと、物証がなくなっていることなどから、立証が難しくなる傾向にあるので、メモに残すことは大事です。
今回は、新井被告人が『悪いことしちゃったね』と言って無理矢理お金を渡そうとしたこと、被害者がこれを拒絶したことも要素として大きいです」
では、今回の有罪判決は、他の性犯罪事件に影響を及ぼすのだろうか。
性被害で一番多い類型は、新井被告人の事件のように初対面の間で起こるものではなく、顔見知り同士のものだ。
2014年の内閣府調査によると、異性から無理やり性交された経験のある人のうち、顔見知りから被害を受けたという人は約75%ともっとも多く、全く知らない人から受けたという人は約11%にとどまっている。
一方で、2014年の強姦検挙件数を被害者と被疑者の関係ごとに見ると、「面識なし」が49.1%なのに対し、「面識あり」、「親族」が50.9%だ。
「面識あり」の検挙数は年々増加傾向にあるものの、「無理やり性交」被害の約75%が顔見知りからという内閣府調査とは差が見られる。
この差は、どうして生じているのだろうか。一つに、知り合いからの性被害は申告しづらいといった事情も関係していると考えられる。
内閣府の調査によれば、そもそも被害を受けた女性の7割はどこにも相談しておらず、警察に連絡した人は4.3%にとどまる。知り合いからの被害であれば、被害にあったこと自体信じられなかったり、関係性から被害を告発できなかったり逡巡したりするケースもある。
他の理由として、現在の法律の壁もある。
刑事事件では検察側が「暴行・脅迫があった」と立証しなければならない。
明らかな暴行脅迫がない場合に「知り合い間の性被害を『暴行』と認定するのは困難」と判断されるケースが多いと上谷弁護士はいう。例えば、性行為は密室で行われることが多いが、「なぜ密室に二人きりの状態になったのか」も問われるという。
「無理やり引きずり込んだとか、泥酔していたのに連れ込んだというのなら構成要件に当てはまりますが、例えばそこがラブホテルで、防犯カメラでも普通に二人で歩いて入っている場面が映っていると『嫌なのに無理やりされた』というのは難しいです」
被害者支援の現場からは、警察から「知らない人からの加害でないと強姦は成立しない」と言われ被害届が受理されなかったり、加害者が「被害者の同意があった」と述べたことなどで不起訴処分になったりする事例が報告されている。
酔っ払って記憶がなかったり、特定の場面や時間の記憶が抜け落ちる「健忘」により、記憶が途切れ途切れであったりする被害者も多い。目撃者も物的証拠もない中で、被害届提出の段階で警察官を納得させられるだけの証拠を求められ、被害者は立件の壁に突き当たっている。
上谷弁護士は「残念ながら、この事件が懲役5年の判決となったからといって、顔見知り同士のケースが立件されやすくなるということはないと思う」と話した。