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L’Arc~en~CielのMVを通してより深い“沼”へ 現実離れした世界観や音と映像のリンクなどを紐解く

2019年12月29日 15:02  リアルサウンド

リアルサウンド

L’Arc~en~Ciel『Driver’s high』

 L’Arc~en~Cielの全楽曲サブスク解禁。ラルクの楽曲は聴く度に新たな発見があるぐらい、様々なアイデアやテクニックが盛り込まれている。しかも、楽曲の幅はとてつもなく広く、世界中のどのような風景すらも描写できるのでは、と感じるほどである。そんな全ての楽曲がいつでもどこでも聴けるとなると、より深くその魅力に浸かることができるし、様々なシチュエーションに合わせて楽しむことが可能となる。だが彼らは楽曲の解禁だけに留まらず、「より深く沼に沈め」と言わんばかりに全51本のMVも解禁してきたのだ。聴覚だけでなく、視覚も満たしてくれるMV。ただのプロモーションビデオではない、ラルクミュージックビデオの魅力を様々な角度から紐解いていきたい。


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 まず挙げられるのが、音と映像のリンクである。タイトルや歌詞、音の空気感とMVの世界観が絶妙にマッチしており、楽曲のイメージが頭に残りやすいのだ。例えば、あまりラルクを聴いたことがない人との会話になっても、「あのほら、車のやつ!」と言われれば、「あ、『Driver’s high』ですね!」とわかってしまう。このように楽曲が持つ疾走感や、タイトルが連想させる車のイメージと、MVの世界観が一致しているからこそ、他人とのイメージを共有できるのだ。これこそラルクというロックバンドの音がどんな層にも響く要因の一つと言えるだろう。他にも「HONEY」は思いっきりハチミツをフィーチャーした映像であるし、「NEO UNIVERSE」はタイトル通りに近未来を描いたような映像である。このように音と映像のリンクは、ライトなファン層に対して、楽曲をキャッチーに感じさせるという利点があるが、ディープにハマっているファンの目線から見たときには、楽曲が音だけで表現できる限界を、映像の力も交えて超えていると捉えることができる。一部の楽曲では映像由来の音が入っているMVや、CDで一度完結している楽曲のその先を描いているものもある。「DIVE TO BLUE」の猫がいい例だろう。そういった音源との違いや、楽曲のさらに向こう側にあるストーリー性といったMVならではの部分を知ると、耳で聴くだけではなく、映像も込みで楽しみたくなるものである。


 また、ラルクの映像はどこか現実離れしているものが多い。現実世界と少しずれた不思議かつコミカルで壮大な空気感が、楽曲や歌詞と非常にマッチしている。これに関して何がすごいかというと、その異世界感に溶け込むメンバーと楽曲である。現実感がない映像に入り込んだときに違和感がないということは、言い換えれば実在している人間ではないかのようだ、ということだ。「hydeさんは実在していたのですね…!」とTVアナウンサーがインタビュー時に話していたことがあったが、正にそう思わせるほど現実味がないのだ。加えて、ラルクのMVにはとても綺麗な海外のお姉様方が沢山出演している。あれだけ沢山の美女に囲まれるというのは一見夢の空間のようだが、正直誰でもその真ん中に立った時に絵になるというわけではないと思う。ラルクのメンバーだからこそ様になっているし、非日常を感じさせる。そんなラルクだが、過去のライブでkenが「Blurry Eyes」恒例のダッシュ時に、この上ない大転倒を披露したこともあったし、hydeがライブやテレビ収録で歌詞を間違えるなどというお茶目な一面も覗かせている。まったく手が届かない人物に見えるメンバーのそういったギャップも、ファン心をくすぐる要因の一つだろう。


 いくら私が文字に起こしてもやはり百聞は一見に如かず。ということでこれから実際にMVを視聴する方に向けて、より楽しめる要素をご紹介しようと思う。まずは「花葬」についてだ。オールバックに眉なしでタイトなスーツという異様な出で立ちのhydeだが、このMVのためだけに自身の眉毛を全て剃り落としたのだという。映像の力でより楽曲の魅力が深まるのであれば、己の眉毛など葬るというこだわりの強いhydeならではのエピソードである。他には「Link」の撮影時にkenが足を骨折したことがあったそう。骨折の痛みを我慢しながら撮ったシーンがあるのかも、なんて目線で観てみるのも面白い。また、以前に自身の所有する楽器を紹介する、というコーナーをファンクラブの会報で設けたほど、多数のベースを所有しているtetsuya。MV撮影時にはその時期のメイン機を持つこともあるのだが、映像感に合わせてベースをチョイスしているという面もあるのではないか。例えば「叙情詩」ではバイオリンベースを携えており、絵画をモチーフにした映像に見事溶け込んでいる。こういったところにリーダーならではのこだわりを感じる。さらに、とある時期からtetsuyaは5弦ベースを使用するようになった。過去の作品からずっと追っていくと、どこで5弦に変わったのか気づけるかもしれないし、その時点でどういう風に音が変わったのかわかってくるかもしれない。この辺りに着目し始めると、もうほとんど全身沼に沈んでいると言っていいだろう。そして、yukihiroのドラムセットも時期によって様々な変化を遂げている。加入当初に比べると、現在の方がプレイする彼の姿が正面から見えやすいのだ。これは音の鳴りを追求した結果、タムの角度を地面と平行気味にしたことによる副産物である。その他にも時期によってシンバルの配置なども変わっている。音と映像を照らし合わせつつ、時期による音とドラムセットの組み方の違いを探してみるのも、通の楽しみ方ではないだろうか。


 多彩な楽曲を展開するラルクだが、昔から彼らにとって映像はプロモーションの手法という側面よりも、楽曲の色彩をさらに鮮やかに表現するという役割の方が大きいように感じる。長い歳月の中で常に進化し、表現をし続けてきたラルクのMVは、時代の大きなうねりを利用し、人々のデバイスの中でいつでも楽しめるものになった。サブスク解禁になったことにより、これまで作品を購入し続けてきたファンからは否定的な意見が上がるのも想像に難くない。だが、幼少期からラルクのMVやライブビデオを見続けてきた私は、むしろラルクこそサブスクが向いているバンドだと感じている。仮に、高校生の若者が初めてラルクを聴いてかっこいい! と感じたとしよう。それでもサブスクが解禁されていなければ、少し前の彼らと、これからの彼らしか追えないかもしれない。流行り廃りとは無縁の数々の名曲を味わうことができないかもしれない。だが実際は違う。有名な曲しか知らないライト層も、これからラルクに出会う人も、古くから応援している人も、今回のサブスク解禁により、古くからある楽曲にも届きやすいし、各々の形でラルクの世界を楽しむことができるようになったのだと私は思う。時代が姿を変えていくと同時に、彼らの表現の形も進化し、より多くの人間を魅了していくことだろう。彼らが空にかけた虹の先には、果てしない未来が続いている。(タンタンメン)