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プロデューサー・今井了介が国内外にスタジオを展開する理由 「時代はもう一度立ち戻っている」

2019年12月22日 16:52  リアルサウンド

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 音楽家の経歴やターニングポイントなどを使用機材や制作した楽曲とともに振り返る連載「音楽機材とテクノロジー」。第三回には、安室奈美恵、DOUBLE、Folder、w-inds.、三浦大知、TEE、Little Glee Monsterなどのアーティストに楽曲提供・プロデュースを手がけるほか、東京に3つ、シンガポールとアメリカにもスタジオをそれぞれ構えるプロデューサー・今井了介が登場。著書『さよなら、ヒット曲』の話を起点にしたスタジオ論や、ベテランプロデューサーとしては意外ともいえる“モバイルセットの削ぎ落とし”を追求する理由、国内外のスタジオに持たせた役割などについて、じっくりと話を聞いた。(編集部)


(参考:ASIAN KUNG-FU GENERATION 後藤正文に聞く ロックバンドは“低域”とどう向き合うべきか?


「Macのスペック以外は、そこいらの学生がひと夏アルバイトして揃う機材」


ーー今井さんの著書『さよなら、ヒット曲』は、音楽的な話もしつつ、ビジネス論でもありながら、かなり読みやすい本ですね。改めて、これまでのキャリアを本にしようと思ったきっかけは?


今井:僕自身、最初の10年くらいはスケジュール調整やギャラ、権利関係の交渉をずっと1人でやってきて。途中からアシスタントやマネージャーも入ってきたんですけど、2004年にスタジオを作ってから15年が経って、後に続く人たちに何かを残したいと思ったのが大きいです。


ーーそれはスタジオ設立以降、ずっと考えていたことだったりするんですか?


今井:徐々に考えるようになりましたね。外のスタジオだと1日20万くらいかけて、制限時間もある状況ですが、自分のスタジオだとアイドルタイム(空き時間)もできるので、若手プロデューサーにプロレベルの環境を与えて、成長を手助けしたり、自分自身も新しい感性を受け取れるんです。書籍にも出てきた第ー号契約作家・UTAなどには、そうやって自分が直接ノウハウを教える機会も多かったですが、「もっと若い子たちには何ができるんだろう?」と考えたり。10~20代って、大いなる勘違いや熱意の元に、色んなものを否定ーー「自分の方が正しいはず」と強く自身を鼓舞しながら突き進んでるはずなんですよ。


ーー今井さんもそういう人だったと。


今井:僕の場合は、「この人みたいになりたい」みたいなメンターもいませんでしたし、世の中に流れている売れ線の音楽のほとんどが格好悪いと思いながら、「自分にはもうちょっと何か違うものが作れるんじゃないか?」と突き進んできましたね。10代~20代前半で、燻っているときって「自分がやりたい音楽を曲げてでも、仕事を取ってくるべきなのか?」と悩んだりするじゃないですか。そういう子たちに、いま売れてるマーケットに歩み寄ってくのも良いと思うけど、僕のように曲げずに突き進むのもありなんだということを伝えられる内容になっていると思います。逆に、いまの子たちのほうが機材も詳しいし、SNSでの自己発信能力にも長けていて、トップラインや詞の情緒観みたいな年齢や人生経験に比例して熟成していくようなポイントはアドバイスできるかもしれませんが、テクニック的な部分で教えられることは少ないですよ。かつての僕みたいに、「俺の方がやっぱイケてる!」と信じた人には突き進んでいってほしいですから。


ーーそういう人のほうが、作っているものの純度が上がったりする。


今井:そうです。音楽を通して伝えるのもアリなんですけど、文字にすると同じ内容をー気にいろんな人へ伝えられるな、と思ったんです。


ーーこうやってお話を伺っていても、多くの実績のあるプロデューサーでありながら、時代観のアップデートを欠かさない方だなと感じました。


今井:基本的に、ガジェットやアプリ、IT・Webサービスなど、新しいものが好きなんですよ。本国のUberやAirbnbににも、誰よりも早く手を出して、使ってみたと思いますし、全般的に新しい生き方、新しいライフスタイル、新しい音楽と生活の在り方には常に興味を持っているんです。あと、音楽的にもはじめから洋楽が好きで、J-POP~歌謡曲的なものにあまり触れる機会が無かったからこそ、日本のマーケットだけを見るという考えにはなりませんでした。せっかく音楽なんだから、いっぱい聴いたり聴かれたりするポテンシャルのものを常に生み出せてた方が楽しいだろうな、という感覚だったというか。


ーー先進的でありながら大衆的、という表現のベースはその感覚にあるんでしょうね。機材の話を聞いていきたいのですが、かなり少なくなっていっているそうで。


今井:本気でスタジオを作るのって、家ー軒建つぐらいのお金を使いますし、誰しも音楽家にとっては ーつの夢なんですよ。でも、そこに居続けるだけじゃなくて、様々な場所でインスピレーションを自由に得られることも大事だなと思っていて。とはいえ“とりあえず”のモバイルセットを持って行って、スタジオに戻ってからデータをバウンスして……と作業するのも嫌だし、荷物が重いのも辛いんです。そうなってくると、最大限削ぎ落としたフルセットを持ち運びたいなと。


ーーあからさまなモバイルセットで環境が違うくらいなら、やらない方がいいという。


今井:クラウドに依存するのも嫌で、国や場所によってはネット環境が不安定なところも多いので、頑丈かつ省電力の外付けハードディスクを買ってきて、4TB×2のSSDに換装して使っています。電力的に色々制約があるのも嫌なので、機材もMacの電源ー個で賄えるようにしているんです。海外にコンセント分の変圧器を持っていくのも嫌ですし、Macは220Vでも100Vでも使えるので、コンセントー個あれば全部立ち上がる環境が理想だということで。マイクもオーディオテクニカのUSBマイクを使っているんです。インターフェース代わりにもなって、歌う人用にマイク本体にダイレクトアウトも付いていますし、ゼロレーテンシーで歌えるので。だから、ー番お金を掛けるのはMac本体とプラグインでしかないという(笑)。


ーーバスパワーで動くもの、電力を食わないもの前提のチョイスでもある、というのは面白いですし、今井さんの口からそういう話が出てくるとは思いませんでした。


今井:Macのスペック以外は、そこいらの学生がひと夏アルバイトして揃う機材か、それ以下ですからね。それでヒット曲を出すというのもまあ痛快じゃないですか。それに、しっかりしたスタジオもあることで、最終的な音の調整やエンジニアリングはしっかりできるので、品質面での不安はまったくありませんから。


「自分で弾くよりも、オーディオを弄ってるのが好き」


ーーどういうきっかけがあって、そこまでストイックにコンパクト化していったのでしょうか。


今井:2004年に表参道のスタジオができて、当時は僕以外ほとんどスタジオを使わなかったから、家の機材がどんどん減っていったんです。その当時はMacが『PowerBook G4』の時代で、CPU的にはかなりWindowsよりも非力な時期で……。とはいえ、WindowsのノートブックにインストールしたPro ToolsのMIDIもあまり使えたものじゃなくて。スタジオにMacを持ち込んで、「せっかくこれだけ音が良い環境で聴けるなら、自分がジャッジできさえすれば、ソフトシンセのみで、Mac内打ち込みだけでも全く問題ないだろう」と考え、余分な機材を全て使わないようにしてみたんです。それがうまくいって、今の環境に移行し始めたんですよ。当時、プロジェクトごとにシンセを全部パラアウトして、自分の家のコンソールにMIDIも立ち上げていて、1日に70~80本のケーブルを抜き差しして、という生活にも疲れ果てていたので(笑)。


ーー人によってはそれをロマンと感じる人もいますが……。


今井:10年近くやったんで、ロマンもなくなってきましたよ。あと、真面目な話をすると、抜き差しが多くなることでプラグが劣化したり、端子が埋もれたりというトラブルも尽きないですし、何かあったときの原因探しも大変なんです。


ーー当時のことを考えると、ラップトップー台への移行を進めるというのは、かなり早かったんじゃないですか?


今井:商用スタジオにもまだPro Toolsが導入されていない頃から個人でProToolsを導入していたこともあり、アシスタントさんにサビ全パートのコピペをお願いすると、昼食を食べて歓談して「終わった?」と聞いても「あと3分の1ぐらいです!」という受け答えをするくらい、コピペが大変な時代だったわけです。そんなときに「僕の方のPro Toolsに流し込んでください」と言って、タイムコードでSyncして、録った1番を2番と3番に貼って、5秒くらいでコピペが終わるのを見て、「何が起きたんですか今!?」と驚かれることもありました(笑)。ピッチ直しも、世界の中でかなり早めから取り入れていた方だと思いますし。当時はAuto-Tuneがなかったので、PurePitchというソフトを使って、自分でグラフィカルに書き込んでいましたね。


ーー知らない人からすれば、魔法みたいなものですよね。


今井:そうですね(笑)。こうやって遡っていくと、テクノロジーの部分にすごく助けられたキャリアだし、それを面白がってもらえる先輩方や仕事相手に恵まれたんだなと思います。


ーー「スタジオがあることで、最終的な音の調整やエンジニアリングはしっかりできる」とお話しいただきましたが、モニター環境についてはどのように変化しましたか?


今井:スタジオを作るにあたって最初に導入を決めたのは、D.O.Iさんから勧められた、ムジーク(musikelectronic geithain)のモニタースピーカー『RL901K』でした。色々聴いたんですけど、同軸でー番位相が良くて。ただ、モニター環境に関しては移動時がー番困るんです。


ーー基本的にはコンパクトなスピーカーか、ヘッドフォンチェックになりますよね。


今井:色々試してみたんですけど、最終的にはヘッドフォンではなく、イヤモニにたどり着いたんですよ。「今すぐミックスチェックをお願いします」みたいな時も多いですし、その場所がフェスやイベント会場だったりすると、周りがうるさくてチェックできないわけです。とはいえノイズキャンセリングヘッドホンを使っても、それなりに癖が強いですし、音の出る・出ない帯域を考えると難しいんです。なので、自分の耳の肩に合わせてしっかり作ってくれる、須山補聴器さん(FitEar)のオーダーメイドのイヤモニになりました。


ーーまたしても驚きました。


今井:もちろん、いつも着けているわけではなく、家にはスピーカーがないので、SHUREの『SRH1540』で聴いているんです。あと、ラジカセチェック的な聴き方をするときは、Appleの純正ヘッドホンやMacBookのスピーカーでチェックします。


ーーコンパクトに研ぎ澄まされていった制作環境のなかで、今井さんにとって欠かせないものとは?


今井:難しいところですね(笑)。ソフトでもないのですが、Splice(月額制のサンプル音源サービス)の音源を、いかにSpliceっぽくなくするか、ということを日々やっているんですよ。


ーー詳しく聞かせてください。


今井:僕自身、HIP-HOPのトラックが好きで打ち込みを始めた人なので、自分で弾くよりも、オーディオを弄ってるのが好きなんです。とはいえ、他人の著作権を侵害してはいけないので、申請すべきものは申請しつつ、Spliceのようなサービスを使って、フィーリングで音源を決めて、それを切り刻んだり自由に弄ってみて、作曲・編曲のアイデアを思いつくことが多いんです。


ーーコンポーズというより、トラックメイク・アレンジメントの領域における実験を、Spliceの音源で日々行っていると。


今井:SP1200などを使ってた頃って、古いレコードやCDをずっと回して「キックあったかも!」と録ってみたり、そこにボーカルリバーブが少しでも乗っかっていると使えなかったりして、丸ー日スタジオに入って20万円使って、「キック見つかんなかったね……」なんてことがザラだったわけです(笑)。でも、そうやって作り上げた絶妙なレイヤーが自分のなかにはあるわけで。DOUBLEさんの「SHAKE」も、リズムマシンやリズムボックスのような音源をー切使っていなくて、キック・スネア・ハイハットなどを、全部別々のレコードやブレイクビーツから、ワンショットごとに集めてきて作った“自分だけのドラムキット”なんですよ。


ーーそんな裏話が……。


今井:僕はHIPHOPトラックの制作手法が好きなんですが、DJ Premierみたいな技巧的なものは別として、当時の「サンプラーやターンテーブルの限界でキーは合わないけど、テンポが合えば乗っけちゃえ」という不協和音をそのまま使ったトラックは、時には格好良いと思いつつ、気持ち良いとは感じない曲も多かった。だから、自分で作るトラックは、音楽的な整合性があるものになるんです。そういうサンプルベースの打ち込みだったから、インストから歌モノに移行していけたとも思いますし。実質、Spliceは巨大サンプラーがオンラインにあるようなものじゃないですか。それをKONTAKTで鍵盤に当て嵌めることもありますし、画面上でピッチを弄ったり切り刻み倒したりして。ある種、ハワイみたいなものかもしれないですね。


ーーハワイ、ですか。


今井:生まれて初めて海外旅行へ行く人にはハワイを勧めますし、世界旅行に行き尽くした人に「どこがいいですか?」と聞いても「やっぱりハワイって良いね」と答えられたりするんです。Spliceも音楽を始めたての初心者にオススメできるツールであり、散々機材弄り倒した人に「何か良いサンプル無いですか?」と聞いても「Splice」と言わせてしまう凄さがあるなと。自分でちゃんとアンサンブル組めたり、アレンジできる人から見た魅力は、また違うところにあるんだなと気づきました。


「『ー万回Zoomするより、ー回飯食え』みたいな(笑)」


ーー現在はスタジオを国内外に構えていますが、それぞれのコンセプトを教えてください。


今井:ー番最初に作ったのは表参道のスタジオなんですが、ここが出来る前は、外のスタジオで「1スタ2スタ3スタ、全部今井さんです」みたいな仕事の仕方をしていたり……。携帯に繋がらなさすぎて、スタジオに「今井さんいますか?」って問い合わせが来たりしていましたね。ー番上のスタジオでミックスをしていて、その下のスタジオでは別の歌録りをしていて、地下のスタジオでは自分が打ち込みをしている、なんてザラでしたから。それだけ色んなスタジオを仕事で使っていると、「煙草臭くて嫌だ」とか「スタジオ自体は良いのに、エアコンがうるさい」とか「単純にインテリアが嫌い」とか、色んな不満が出てくるー方で「こんなスタジオがあればいいのに」という気持ちが強くなってきて、「自分が自分のために作るスタジオ」として、表参道のスタジオを立ち上げたんです。ただ、ここだとインディーズのアーティストや若手作家が曲作りのためにセッションをする、といった使い方はできなくて。幡ヶ谷にプロジェクションスタジオとして『nano Studio』を作りました。


ーーその幡ヶ谷のスタジオが先日、中目黒に移転したんですね。


今井:そうです。ここだと、インディーズや若手のアーティスト・作家がセッションから本チャンを録るところまでできるので、育成やサポートという意味ではかなり大きな拠点になるなと考えたんです。


ーーでは、海外のスタジオについてはどうでしょう。


今井:L.A.のスタジオは、自分たちがこれだけ海外の色んな音楽にインスパイアされてきたなかで、海外でもしっかり自分たちのヒットを生み出したい、という“次の夢”のために作った拠点です。一方、シンガポールにあるスタジオは、アジアのエンタメの核になっていく東南アジアにおいて、タイやマレーシア、ベトナムって、エンタメが盛んなうえに若者の人口分布もすごいので、ユースカルチャー=メインストリームなんですよ。そんななかで、J-POPやK-POPといった音楽を武器に飛びこんていくプロデューサーや作曲家のトレーニングや作曲の拠点として使う場所にしようと考えて作りました。


ーー機材は持ち運びを重視して、どんどんコンパクトに効率化されていくー方で、スタジオを建てるーーその土地に根付くというある種真逆のベクトルへ向かっているのが面白いなと思いました。


今井:いまって、ZoomやSlackといったツールを使えば連絡は簡単に取れますし、ZoomとGoogleドキュメントを同時に立ち上げて、セッションから曲・歌詞のコライトまでリアルタイムにコミュニケーションを取れる時代じゃないですか。打ち合わせもZoomで30分ごとに区切って終わらせて、ガンガンタスクを消化していける。でも、リアルで会って肉声を聞いたり、どんな顔色をしているのか知ったりすることの大事さも同時に感じるようになったんです。


ーー時代はそこに回帰し始めていますよね。


今井:そう、もうー回立ち戻っている感覚になりました。日本では「百聞はー見に如かず」ということわざがありますが、中国にも「百回会うよりー回飯を食え」という言い伝えがあるんです。その2つを掛け合わせて、いま風に言うなら「ー万回Zoomするより、ー回飯食え」みたいな(笑)。それくらい、直接会って食事をして、必要なアジェンダ以外の余計な話をいっぱいするからこそ生まれるものもあると感じることが多いです。


 この本を書く前まで、音楽に対してオリエンテッドな気持ちーーどれだけ音楽のことだけを考えていられるんだろうと思っていたんですが、書籍のプロジェクトがスタートして、音楽業界以外の方とお会いすることが多くなってくると、新しい発見や出会いが非常に楽しいと思えるようになって。改めて、これまでの音楽業界がレコード会社、事務所、アーティストの三者だけで成り立ってしまっていたんだなということも反省しつつ、今の音楽業界だからこそ、色んな人たちと手を組んだり、会ったりすることができるという面白さも感じたので、それを少しでも音楽へ還元できるように頑張ります。


(中村拓海)