僕は子どもの頃からスーパーファミコン、プレイステーション辺りで遊んできた世代だ。当時は今のようにネットもないので攻略情報は書籍頼り。でも、基本的にみんな、攻略本を参考にすることはなく、手探り状態で遊んでいた。
例えば、ダンジョン探索型RPG『ウィザードリィ』シリーズでは、今のようにオートマッピング機能がない。だから、自分で方眼紙に攻略しているダンジョンの見取り図を描いていたものだけど、この作業がなんとも面白かった。(文:松本ミゾレ)
「強いキャラで勝っても意味あるのかな」とスレ主
先日、5ちゃんねるに「強キャラ使わない方がゲーム楽しめるよな」というスレッドが立った。スレ主は、その理由について「強いキャラで当然のように勝っても、これなんか意味あるのかなって思っちゃうよな」と話す。考え方としては僕も似ているのかもしれない。
『信長の野望』ではあえて僻地の武将で天下統一を狙ってぼこぼこにされて敗走したり、『鉄拳』辺りの格闘ゲームでも、いわゆる強キャラは使わないことが多かった。ゲームに対しては、ある程度普通に遊ぶよりも厳しいハンディを抱えるべきだと考えていたからだ。
その理由は、ウチがちょっとした貧乏で、なかなか新しいゲームを買ってもらえなかったことに起因する。さっさと強いキャラ、強い武器を手に入れてクリアしてしまうのが惜しかったのだ。今思うと、そのおかげで少ない本数のゲームを遊び尽くせたように感じられる。
「オルランドゥ抜きでやってたわ」「レースゲームでは遅い車選択してる」
このスレッドには、賛否さまざまな声が寄せられているんだけど、まずはスレ主に対して賛同している意見から紹介していきたい。
「弱キャラが強キャラ対策の対策をして詰ませるのが楽しい。詰将棋みたいな」
「俺もオルランドゥ抜きでやってたわ」
「レースゲームでは遅い車選択してるな」
「オルランドゥ」は、1997年発売のシミュレーションRPG『ファイナルファンタジータクティクス』に登場する強力な味方ユニットだ。終盤に加入することもあってステータスも装備品も一級品。無双稲妻突きのなんと利便性の高かったことか。彼一人いれば全クリも不可能ではないレベルのユニットゆえ「あえて使わない」「加入させない」という選択をするユーザーも多かった。
一方、今度は強キャラをあえて使わないという考えが理解できないという面々の声も紹介する。どちらかと言えば、意見としてはこちらの方が多数派である。
「無双して『俺、なんかやっちゃいました?』ってやるのが楽しい」
「理解できない。前提として勝たないと面白くないだろ。弱キャラ使って負け続けたらイライラしてストレス溜まるだけ。まず勝つことが大事なんだよ」
「圧倒的なパワーで一方的な暴力を行使することはとても気持ちが良い」
このように、勝ってナンボ論は結構浸透していた。そうだよね~。最近はオンラインでチーム戦をするゲームも多いし、弱キャラ入れちゃうとそれだけでチームに迷惑かけちゃうもんね……。
「遊ぶことが好き」VS「勝つことが好き」
まあ、こうやって双方の意見を見てみると「どちらにも筋の通った考えがある」ということは分かる。大前提としてゲームは娯楽であって真剣勝負の舞台としては機能しにくい。遊びの要素を考えると、自分に不利な条件を課して楽しむのは最高だし、逆に勝つことを主軸に置くのもまた楽しいものだ。
いろんな足かせをあえて用意して「これでクリアできたら、自己満足だけど俺は嬉しい」と考えながら遊ぶゲームは、やっぱり僕にとってはしっくりくる。一方で『ダイの大冒険』のフレイザードよろしく「勝つのが好きなんだよ!」を地で行くプレイスタイルにも価値があるだろう。
ん~でもなあ~。個人的には『Fallout』シリーズみたいな、序盤は本当にちょっとしたことで死ぬし、ビルド次第ではレベルが100以上あってもその辺の虫に殺されるみたいなゲームのほうが面白いんだよなぁ。いきなり攻略wikiとか見て、最適解の装備とか揃えるユーザーは最近本当に多いけど、あれってやっぱりすぐにゲームがつまらなく感じちゃうようにしか思えないんだよなぁ。
でも僕としても、自分のこの考えが通用しないことは分かっている。やっぱり、今はPVP、チーム戦主流のゲーム人気が多い。チームの勝率を考えると、自然とみんな強キャラを使うし、強い武器を持ち込むしかないのだ。
同じビルド、同じキャラ、同じ戦術。PVPゲームの世界にあっては、図らずも軍隊のような統制が求められている。これはこれで興味深くはある。