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三浦大知「COLORLESS」は何が凄いのか “無色透明”であることを強く肯定する頼もしさ

2019年12月19日 15:52  リアルサウンド

リアルサウンド

三浦大知「COLORLESS」

 12月4日と11日の2夜に渡って放送された『2019 FNS歌謡祭』(フジテレビ系)。年末の風物詩として人気を博す同番組の第1夜終盤、登場した三浦大知のステージがあまりにパワフルで思わず息を呑んだ。ダンサーとの一糸乱れぬモーションに、水を得た魚のように溌剌と猛威を振るうボーカル。それらが絶妙な呼応によって緊張感を生み出し、3分足らずのショーを究極なまでにクールな時間へと押し上げていた。案の定、直後のSNSには大知のパフォーマンスを絶賛する声が続出。だが筆者が思うに、多くの視聴者が衝撃に震えたのは、肝心の歌唱曲が得体の知れない強烈さを放っていたからに他ならない。テレビ初披露となった最新曲、名前は「COLORLESS」。国民的音楽番組にはおよそミスマッチな先鋭すぎるクオリティは、あの日、三浦大知の一挙手一投足をも間違いなく支配していた。


(関連:三浦大知のボーカル表現を徹底分析 新作『片隅 / Corner』に見る、発声の繊細さとグルーヴの鋭さ


 2020年半ばまで続く長規模ツアー『DAICHI MIURA LIVE TOUR 2019-2020 COLORLESS』のタイトルに堂々起用され、その初日からファンの前で披露されてきた「COLORLESS」。12月4日に待望の配信リリースを迎えたばかりだが、三浦大知の新たなマイルストーンになりそうな風格が早くも漂っている。トロピカルハウスからの影響が見て取れるリバーブの効いたシンセで、同曲はスタート。もっとも、トロピカルハウス特有の透明感や能天気な要素はゼロに等しく、妙に閉塞感を帯びた幕開け。それもそのはず。Aメロに入るやいなや、静かなる低音ボイスが張り詰めた空気を一気に呼び寄せ、我々はこの楽曲が、いかにシリアスな志向であるかをつくづく思い知るのだ。


 続くBメロでは、歌唱のタッチが力強さ重視へと劇的にシフトし、押韻旺盛な歌詞を一段とグルーヴィーに盛り上げていく。『FNS歌謡祭』のステージでも感じたことだが、このパートでの開放感抜群の歌いっぷりがとにかく素晴らしい。過剰なまでのエコーが施されたボーカルしかり、渾身とも言える叫びの表現がみずみずしく強調されている。


 その勢いを提げたまま、ついに訪れるサビ。「COLORLESS」はここに来て、3連のリズムを多用した怒涛の変革タイムへと突入する。風を切るジェット機のごとくファルセットが俊敏にテンポを刻み、かと思えば〈I am colorless〉と訴える鋭いボーカルが軽妙にスイッチング。まるで左右に頭を振られているかのようなサイケデリックこの上ない感覚が、他のダンストラックにはない深い快感をもたらしてくれる。おそらく初めてこの楽曲を耳にしたリスナーが、もっとも刺激的に感じるポイントでもあるだろう。2コーラス目のサビに至っては、大知によるフェイクが縦横無尽に炸裂することで、スピード感、スリルともに最高品質のレベルに達している。


 勘のいい人ならすでにお気付きだろうが、今回「COLORLESS」のサウンドプロデュースを手がけているのは、BTS、DEAN FUJIOKA、三代目 J SOUL BROTHERSの登坂広臣といったトップアーティストを手がけるUTAその人である。カッティングエッジなサウンドと無音ダンスで話題をさらった「Cry & Fight」や、同じメロディのバラード(シングル両A面曲の「片隅」)が存在しているとは思えないほど手の込んだ意匠を発揮するハウスチューン「Corner」など、大知のエクスペリメンタルな領域を拡張し続けてきた彼だけに、「COLORLESS」での想像を超えるコンビネーションはもはや必然。全編Nao’ymtプロデュースによる傑作『球体』にも通じる高い独創性を見い出すことが出来たのは、個人的にとても大きな収穫だった。


 三浦大知といえばエンターテイナーという性質上、サウンドやダンスの技巧に焦点があたりやすい傾向にあるが、「COLORLESS」は三浦大知自身が綴った歌詞にもかつてないほどの注目が集まっている。カラーレス=無色透明。器用貧乏という言葉があるように、往々にしてオールラウンダーは“一つの物事を極められない半端者”というもどかしいレッテルを貼られてしまいがち。しかし大知は、その歪んだ意識に真っ向から異を唱えるかのように、何色にでも染まれる、挑んでいける柔軟な姿勢こそが紛れもない特性なのだと高らかに歌う。それも、〈やりたいことが正解〉〈このmy mind 譲らない〉といった至極迷いのないタッチで。事実、先にも述べたように大知は、自らをまだ見ぬ分野へと走らせ続け、そのたびに大きな成功を勝ち取ってきた。キャリアの大半をそうした努力によって切り開いてきた人物が、何に対しても器用に立ち回れる性質を精一杯誇る。これほどまでに屈託のない自己肯定を浴びせられ、頼もしいと感じない人が果たしているだろうか。


 また、今回の歌詞には三浦大知の周辺、すなわち昨今の音楽業界に対するアンチテーゼも潜ませてあると筆者は推察する。特に〈カテゴライズって一体?〉から始まる1コーラス目のAメロ。世間の声や流行に翻弄された末、スタイルが停滞してしまったアーティスト、もしくはそうしたケースが生まれてしまうJ-POPシーンへの嘆きのようには聞こえないだろうか。それを踏まえると、アーティストが時に観客側へと回る『FNS歌謡祭』でこの楽曲を歌唱した事実も俄然、含みを持ち始めてくる。とはいえ、決してマイナスを匂わせたままでは終わらないのが大知の音楽。楽曲は、たとえ逆風が吹こうと、信念のもと行動していくことで鎖は断ち切れるのだという、大知自身の経験を投影した勇猛なメッセージへと帰結していく。有言実行を体現する彼の威厳と余裕に裏打ちされた、じつにウィットに富んだ歌詞だと思う。


 ステージ上での華麗なるダンスパフォーマンスはいつ観ても筆舌に尽くし難いものがあるが、商業音楽の真っ只中に立ちながら、「COLORLESS」のように制御をかけることなく品質を突き詰めていく大知の音楽性がやっぱり好きだ。ちなみに「COLORLESS」は、2020年1月に発売される三浦大知のニューシングルに収録されることが決定している。これはつまり、他の楽曲がまだ先に控えているという嬉しい暗示でもある。特定の色を持たざる男、三浦大知の次なる変化(へんげ)は果たして何者か、心して待ちたい。(白原ケンイチ)