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kz(livetune)が考える、VTuber文化ならではの魅力「僕らが10年かけたことを、わずか2年でやってる」

2019年12月08日 12:12  リアルサウンド

リアルサウンド

撮影=はぎひさこ

 2017年12月にある種のブレイクポイントを迎え、以降急速に発展してきたバーチャルYouTuber(VTuber)シーン。勢力図が次々に変化し、企業が積極的に介入するなど、何かと騒がしいこの界隈を、リアルサウンドテックでは様々な方向から取り上げてきた。


 活動の場もYouTubeのみならず、さまざまなプラットフォームへと変化し、もはや“バーチャルタレント”と呼ぶべき存在となった。そんな彼ら彼女らについて、もう少し違った角度から掘り下げてみるべく、シーンを外側から見ているクリエイター・文化人に話を聞く連載『Talk About Virtual Talent』がスタート。第一回は、J-POP・アニメシーンで幅広く活躍しつつ、キズナアイやYuNi、にじさんじなどに楽曲提供も行っている音楽家・kz(livetune)が登場。Twitterで溢れんばかりの“にじさんじ愛”を炸裂させている彼に、VTuberにハマったきっかけやボーカロイドシーンとの共通点、印象に残っている動画などについて、じっくりと話を聞いた(編集部)。


(参考:いま「VTuberに音楽を作ること」の意義は? Yunomi×Avec Avec×Norが語り合うキズナアイ楽曲制作秘話


・「動画勢は日常アニメ、ライブ配信勢は長編アニメ」
――kzさんがVTuberの文化に触れた最初のきっかけはどんなものだったんですか?


kz:以前からキズナアイさんをはじめ、存在は知っていたんですけど、最初に動画をちゃんと見たのは、2017年末にマネージャーから紹介してもらった電脳少女シロさんで。動画を観て、「これは面白いな」と思ったのがきっかけでした。


――当時はまだ、ライブ配信というより動画を撮影/編集して投稿するクリエイターが中心だった時期ですね。


kz:そうですね。僕はもともと、YouTuberの方々の動画をあまり観るタイプではなかったので、動画投稿/配信カルチャーの魅力を実感したこと自体が、その頃だったような気もします。というのも、僕は人と目線を合わせるのが得意じゃないので、YouTuberの方々のように、生身の人がこっちをずっと見て喋っているのはちょっと苦手で……(笑)。


 また、VTuberの方々は話題の軸がインターネットミームやマンガ、アニメのような、自分が身近に感じる題材が多いこともあって、より僕自身の好みに近い、よりインターネット感が強い印象を受けました。当時はシロちゃんの『DOOM』や『PUBG』のゲーム実況動画を観て、「キャラクター」と「魂」の微妙な剥離具合が面白いな、と思っていました。VTuberには色んな立ち位置で活動している方がいますけど、僕はロールプレイをがっちりする人よりも、そういう人たちが面白いと思うタイプなので、その後、にじさんじにも魅力を感じるようになりました。


――kzさんは、にじさんじをよく見てる印象があります。にじさんじのみなさんは「ライバー」としてリアルタイムでリスナーとやりとりするライブ配信に特化した活動をしています。


kz:僕の中では、動画勢は日常アニメ的だと思っていて、ライブ配信勢はストーリーものの長編アニメ的だと思っているんです。動画はきっといつ観ても面白いし、10年後も同じように観られると思うんですけど、一方でライブ配信の場合は、その瞬間に共有するリアルタイムでのストーリー性が面白くて、その中でみなさんすごい失敗も色々としていて(笑)。でも、その失敗も含めて、その人たちに魅力を感じます。僕はもともと長編のストーリーもののアニメが好きな人間ですし、特ににじさんじの場合、色々なハプニングを乗り越えてきた人たちだと思うので、そういう意味でも魅力を感じたんだと思います。


――では、kzさんが特ににじさんじに魅力を感じたきっかけというと?


kz:「ここからずっと観よう」と思った配信が2つあるんですけど、ひとつは委員長(月ノ美兎)が2018年の4月に初めてニコ生でやった3D配信の、感想回ですね。そこで委員長が、「インターネットの歴史の一部になれてうれしい」という話をしていたと思うんですけど、僕自身もインターネットに育てられたという意識が強い人間なので、自分自身が活動をはじめた頃を思い出してすごく共感しました。あの配信は、全体的にインターネットに対する感謝が伝わってくるような内容だったんですよね。


 もうひとつは、同じ月の4月29日、その日『ニコニコ超会議』があって、そこに出演した樋口楓さんが終了後にやっていたMirrativでの配信です。僕はちょうどClariSのツアーに同行していて、ホテルでその配信を見ていたんですけど、その日の樋口さんは、イベント後の放心状態というか、めちゃめちゃ疲れているように見えて。僕らも10年前、インターネットでたまたま見つけられて、わけがわからないうちにでかい会場でライブをするようになったので、「自分もこういう感じだったな」って、10年前を思い出しました。そのときに、「この人たちのこれからの活動をずっと見続けていくのは、絶対に面白いはずだ」と思ったんです。


――新しいカルチャーが盛り上がっていく瞬間のとてつもないパワーと言いますか、頑張ったものに対して想定した以上の反応が返ってきて、より大きな波に飲み込まれていく感覚というのは、まさにkzさん自身が体験したものでもあるということですね。


kz:そういう状況にすごいスピード感で巻き込まれると、自分たち自身も戸惑うんですよ。それは僕も『Re:Package』(2008年/livetune feat.初音ミク名義)でいきなりオリコンアルバムチャートの2位になった頃に感じたことでした。あと、VTuberのカルチャーは僕らが世に出るきっかけになったニコニコ動画の文化とも密接で、インターネット上で色んなMADがつくられたりする雰囲気も、僕らがインターネットでよくやる悪ふざけの感覚に近いと思いました。僕も自分の曲に勝手にPVをつくってくれたり、歌ってくれたり、踊ってくれたり、そういう二次創作に支えてもらってきたので、その部分にも親近感を覚えたんだと思います。


・ 「笑い男」とVTuberの共通点
――それ以降、kzさんが観てきた動画/配信の中で、特に好きなものを教えてください。


kz:委員長と本間ひまわりさんの「百物語配信(百個怖い話言うまで帰れない放送2019)」ですね。これを薦める時点で「アーカイブを12時間観てほしい」ということになってしまいますけど……。でも、ひとつひとつの怖い話のクオリティが高く、各所に挟まれる伏線も含めて全編面白い配信でした。去年の委員長の「百個怖い話言うまで帰れない放送」も面白かったですけど、今年の「百個怖い話言うまで帰れない放送2019」は構造がすごいことになっていて。その配信が、9月5日の体を取り戻す配信(「【癒し】私と一緒にお話しましょう♪【雑談】」)に繋がっていく一連の流れもものすごいと思いました。


――「VTuberをVTuberたらしめているのは、魂なのか、ガワなのか、それともまた別の何かなのか……」という、VTuberという枠組み自体を遊ぶような実験的な企画でした。


kz:たまごまごさんのブログ(http://makaronisan.hatenablog.com/)でも説明されていましたが、「Vって一体なんだ」という話になったとき、やっぱり笑い男(『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』に登場するハッカー)の存在がすごく近いと思うんです。『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』の9話で、未来の2chのようなチャットの回がありましたけど、いわばミームの集合体のように、「僕ら視聴者や周囲の人々の勝手なイメージ」と「魂/個人の自意識」と「ガワ」の3つが混ざったものがVTuberだと思っていて。よく「Vにとっては魂が一番重要だ」という話になりますけど、あの配信を観た人たちは、「それだけでもないんだな」って気づいたと思うんですよ。本当の笑い男がどんな人物かは分からないけれど、周囲の人たちが勝手に「笑い男はクールだからこんなことはしないだろう」「でも泥臭い部分がある」とイメージすることで設定が加わっていくように、見られる側の勝手な妄想/イメージも含めて人間、そしてそれを自分でも気づかないうちに演じているのかもしれないということを改めて考えさせられたというか。そういう意味でも、僕は「百物語配信」が断トツで面白かったです。


 しかも、委員長が「そういうことを考えている」ということも、僕らの想像でしかないんですよね。そういえば、同じようなことを、樋口さんが言っていることがありました。樋口さんが(2019年1月に行なわれた1stライブ)『KANA-DERO』のMCで「みんな考察好きだよね」と言っていて。それってつまり、僕らが考える樋口楓像のようなものを、本人も意識しているのかもしれないし、それが自分に混ざっているのかもしれないし、でも本当の樋口さんがどうなのかは僕らにはわからないし――。その曖昧さが面白いな、と思います。


――ライバーとして活動している方々の場合、リスナーと日常的にコミュニケーションを取っているからこそ、よりそう感じる部分があるのかもしれません。


kz:日頃からコメントを通して交流しているからこそ、そこから何か影響が生まれているのかもしれないな、と思います。あと、僕はVTuberにとって興味深いのは死生観の話だと思っていて。去年『ユリイカ』の「バーチャルYouTuber」特集で(届木)ウカ様と委員長が対談したときに、コーナーの扉を確かウカ様が描いていたと思うんですけど、そこで2人が掲げているのが「memento mori(死を思え/死を忘れるな)」でした。VTuberの方々であっても、どこかでいつかは終わることを考えていたり、終わりについての話をしたりする人がいる。それはつまり、バーチャルではあるけれども、「永遠じゃないからこそ輝ける今がある」ということでもあるんだと思います。


――他に、バーチャルな人たちならではの魅力を感じた瞬間はありますか?


kz:あとは……椎名唯華さんや鷹宮リオンさんのように、「どうやって今まで実社会で暮らしてたんだろう……」みたいな人たちが面白さを発揮できるところですかね……。


――(笑)。椎名さんや鷹宮さんは、本能に正直な雰囲気がとても魅力的な人たちですね。


kz:そんなふうに、「もしかしたら、Vじゃなかったら許されないんじゃないかな?」と思う瞬間ってあると思うんです。同じテンションで同じことを言っていても、実写だと現実感を伴うものが、Vというクッションを挟むことによって、ハチャメチャなアニメキャラのようになるというか。僕らがそんなふうに錯覚しつつ、ご本人のメチャクチャさが合致して面白いバラエティになるというのは、人間性があるようでない、それが浮遊しているバーチャルな存在ならではなんだと思います。


・「Virtual to LIVE」の〈どうしようもなく/今を生きてる〉に込めた思い
――kzさんはVTuberのみなさんに作家として楽曲提供をしています。VTuberの音楽活動の魅力についてはどんなふうに感じていますか?


kz:やっぱり、言葉ではなく歌詞にすると、何かしらの凝縮が生まれて言いたいことが伝わりやすくなる部分があると思うので、その魅力を一般の人たちにも広く伝える方法のひとつとして、音楽があるのかな、と思います。厳密にどうこうと言うわけではないんですけど、僕はVの音楽にもいくつか種類があると思っていて、完全な「キャラソン」と、それとは似て非なる「イメージソング」と、本人が好きな音楽やアニメを意識したものと、クリエイター自体がVであるもの……というふうに、いくつかのタイプに分かれていると思うんです。


 中でも、「キャラソン」はキャラクターと乖離しないので、動画勢の人たちに合っていますよね。ヒゲさん(ヒゲドライバー)が作詞作曲したシロちゃんの「叩ケ 叩ケ 手ェ叩ケ」のような楽曲は、名言集やその人が言いそうなことをまとめたキャラソンの構造だと思いますし、田中秀和くんや畑亜貴さんたちがかかわったアズリム(アズマリム)さんの「人類みなセンパイ!」もそうですよね。


 そういう意味でいうと、特殊なのはにじさんじだと思っていて。にじさんじの場合、ファンの方々がつくったイメージソングを公式が取り入れる構造がありますけど、あれって「僕らが考える笑い男」の具現化で、Vにしかないカルチャーだと思うんです。イメージソングは、その人たちが活動してきた中での時間の切り取りや配信で言った思想のような細かいディテールをさらに掘り下げていくもので、本来シンガーソングライターがやるようなことを、本人とは違う他者がやるという構造がすごく独特だと思います。僕の中では、それに類するものがなかなか他に見当たらない。


――なるほど。いわゆるファンアート的な形で、そういう音楽が生まれてくる、と。


kz:それこそ樋口さんの曲にはそういうものが多いですけど、僕らが考える樋口さん像って、きっと何となく一致していますよね。でも、それが本当にご本人と一致しているのかどうかは、僕らには分からない。しかも、それを樋口さん本人が自分の曲として歌うという謎の揺らぎが生まれていて、「樋口さんってこうだよな」という通奏低音が、一連のイメージソングからも生まれた部分はとても大きいと思うんです。その不思議な感覚って、Vの音楽ならではの独特なものだと思います。


――実際にkzさんがVTuberの方々に楽曲提供する中では、どんなことを感じていますか。


kz:僕がこれまでVTuberの方に楽曲提供したのは4曲ですけど、キズナアイさんの「Precious Piece」(『LAIDBACKERS-レイドバッカーズ-』主題歌)とYuNiさんの「Destination」(『LAIDBACKERS-レイドバッカーズ-』挿入歌)の2曲は作品とのタイアップで生まれた曲なので、Vの世界観を保ちつつも、作品とクロスオーバーする部分はどこだろうと探っていく作業で、純然たるV曲とは違うと思っていて。


 YuNiさんの「Write My Voice」に関しても、YUC’eが最初につくった「透明声彩」をもとに、アルバム『clear / CoLoR』のタイミングで時間を経てどう変わったのかを表現した楽曲なので、僕の中ではどちらかというと「透明声彩」の二次創作に近いものでした。そう考えると、僕がゼロからつくったVの曲は、今のところ、にじさんじの一周年記念曲「Virtual to LIVE」だけなんです。この曲でバーチャルっぽさを出していないのは、今までの話にもあった通り、僕が「VTuberって何なんだろう?」と考えると、結局は「人間ってどこまでも人間だな」という感想に行きつくからで。それをどう表現しようかと考えた結果、「Virtual to LIVE」という曲ができました。


――この曲をつくっていったときのことを、詳しく思い出してもらえますか。


kz:最初に歌い出しの〈どうしようもなく/今を生きてる〉というフレーズが出てきました。むしろこの曲は、その言葉がありきで生まれた曲で、「(ライバーとして)今を生きている」「じゃあ、どんなふうに今を生きているのか?」と考えると、色んな動きの制限や制約がありつつも、でも「どうしようもなく今を生きてる」んじゃないかな、と思いました。この曲は僕なりのにじさんじへのファンアートなので、歌詞で書かれていることも僕の勝手な押し付けというか、「こうあってほしい」という願望なんです。僕がにじさんじを見はじめたのは2018年の3月頃ですけど、最初の頃のにじさんじって、今とは違う泥臭さがあったというか。それが、今では幕張メッセや両国国技館でライブをするようになっていて。だからこそ、初期から見続けていた人ならきっと分かってくれることを書いた、公式でやらせていただいた僕なりのファンアートでした。


――月ノ美兎さんのイメージソング「Moon!!」のメロディが、最後のコーラス部分に引用されていて、最初にこの部分を聴いたとき、感極まってしまった人は多かったと思います。


kz:もともと、にじさんじのイメージソングというカルチャーが生まれたきっかけがiruさんの「Moon!!」だったと思うので、曲をつくっているときに、「これが最後にあったら、自分自身も一番嬉しいな」と思ったんです。それで、iruさんも含むイメージソングをつくっている人たちに「曲の終わりに『Moon!!』を引用するのって、どう思いますか?」と聞いてみたら、iruさんも「それは最高!」と言ってくれて。「Moon!!」自体は、構造としてはキャラクターソングに近い楽曲でしたけど、あの曲が第一歩を踏み出してくれたことで、にじさんじの「ファンアートとしての音楽」が広がっていきました。アマチュアの人たちがファンアートとしてつくった曲で大会場でライブをする人たちというのは、他にはなかなか存在しないと思うので、僕としては、当時、それを見ていてすごく嬉しかったんです。僕自身がアマチュアからインターネットを通して出てきた人間なので、ウェルメイドなものよりも、どことなく手作り感があるものに惹かれるところもあるんだと思います。


――プロの方々にしかできないことがある一方で、ファンアートとしての音楽にも、熱意の塊を思いきり詰め込んでいくような、その形でしか生まれない魅力がありますよね。


kz:そうなんですよね。僕らもプロフェッショナルとして、お仕事としてオファーいただいたものにはもちろん全力で向き合っているんですけど、だからといって「全力でやる」ことと、「感情を乗せる」ことって、実はちょっと違うと思うんです。僕らはプロとしてクオリティは担保できるけれども、それとはまた違う「何だかよくわからないけれどすごいもの」って、結局は強い感情が詰まったものでないと、実現することは難しいんじゃないかと思っていて。イメージソングをつくっている人たちは、本当に熱量が異次元に高いので……!


――(笑)。「Virtual to LIVE」は、ろくんしさんが手掛けた、ファンの方々による膨大なファンアートをちりばめたMVも感動的でした。


kz:あれを観て泣いた方は多いんじゃないかと思います(笑)。MVの企画自体は、楽曲の打ち合わせをしているときに、「せっかくなので、ファンアートを募集するのはどうでしょう?」と(にじさんじを運営する)いちからさんが提案してくださったのがはじまりでした。やっぱり、にじさんじの物語というのは、ライバーご本人はもちろんのこと、リスナーの人たちも含めたみんなでつくってきたものでもあると思うので、それがMVでも可能なら、僕としても「すごく嬉しいな」と。


 僕の中では、「Virtual to LIVE」の歌詞に出てくる〈君〉と〈僕〉は、ライバー同士のことであると同時に、ライバーと視聴者の関係性でもあると思っていて。僕がリスナーとライバーの相互作用という意味で一番面白さを感じたのがにじさんじだったので、楽曲ではそんな人たちならではの魅力を表現したいと思っていましたし、MVでもそれを視覚的に表現してもらえたのは、とても嬉しいことでした。


――にじさんじの一周年を記念した楽曲だからこそ、ライバーのみなさんとファンのみなさんが手を取り合う形になっていることは、とても大切なことだったんですね。


kz:しかも、それを上手く扱えるのは、やはりプロとして活動している方というよりも、技術を補ってあまりある文脈の理解度を持った「にじさんじが好きな人」だと思うんです。そういう意味でも、あの映像をつくれるのは、専門学校生だろうとろくんしさんしかいなかった。1番のサビで、今はもう活動をしていない名伽尾アズマさんの絵を合わせてくれるのはろくんしさんならではですし、海夜叉神さんや名伽尾アズマさん、闇夜乃モルルさんといった引退されてしまった方々や(配信頻度が極端に少ない)語部紡さんをスポットが当たりやすい場所に配置しているのって、きっと意図的なことだと思うんです。


 他にも、たとえばド葛本社(ドーラ、葛葉、本間ひまわり、社築)とド葛本社オルタ(鷹宮リオン、緑仙、名伽尾アズマ、ジョー・力一、でびでび・でびる、花畑チャイカ)のファンアートが並んでいたりと、ファンであればあるほど楽しめるものになっていて。元一期生の初ツイートを裏返しにして忍ばせる演出も、ほんとうに見てる人じゃないと作れない作品だったと思います。


――まさに公式の形を借りたファンアートならではの熱量ですよね。ろくんしさんのにじさんじへの思いが形になっていると言いますか。


kz:そうですよね。それに対して、委員長をはじめとするライバーの方々も喜んでくれていたと思うので、それも含めて「よかったな」という感覚でした。


・『VTuber』という言葉は『ボカロ』という音楽タグに似てる
――ちなみに、VTuberの音楽にかかわる若手アーティストの方で、kzさんが注目しているのは?


kz:みんな口を揃えて言うと思いますけど、TEMPLIMEですかね。


――星宮ととさんとのコラボレーションなどで知られているユニットですね。


kz:ああいう音楽って、基本的にはフューチャーベース的なものになりがちだと思うんですけど、TEMPLIMEは曲をつくっているカボスニッキくんが多分もともとバンド畑の人間だと思うんですけど、だからなのかどうしてもそこにストレートに行かないというか。ダンス・ミュージックをベースにしてはいますけど、やりたいことは「ポップス」だと思うんです。それは、ひょっとしたら僕とも近い感覚なのかもしれない。あとは、コーサカくん(MonsterZ MATE)もシンプルにMCの力がすごいですし、YACAさん(ワニのヤカ/YACA IN DA HOUSE)もそうで、Vの音楽はヒップホップ系の人も多いですよね。時代もあると思いますが。


――文化系ヒップホップの新しい才能がこのシーンから出てきそうな期待感もあります。


kz:KMNZをはじめとするFictyの人たちはそういう感覚ですよね。同時に歌い手のようなカルチャーに近い人たちもいて、「みんなちがってみんないい」という雰囲気で。


――そのごった煮感は、やはりボカロカルチャーの黎明期と似ているのかもしれません。


kz:「VTuber」という言葉って、僕は「ボーカロイド」というCD店の音楽タグに似ているような気がしているんです。「ボーカロイドって別に音楽ジャンルではないでしょ?」という話と同じで、VTuberと言われても、動画勢なのか配信勢なのかで活動内容は全然違いますし、配信勢の中にも、YouTubeだけではなく、SHOWROOMを筆頭にした様々な配信サービスを拠点にしている様々な別の世界線があります。それに、最近はライブ配信重視の人たちが増えていることもあって、それぞれが積み重ねる時間が膨大になってきて、昔から活動している人たちの配信を今から全部追えるかというと、なかなか難しくもなってきていて。でも、それも含めて、このカルチャーならではの魅力なんだろうな、と感じます。


――最近ではVTuberの方々が大きなイベントに出演することも増えていますが、kzさんからすると、VTuberのカルチャーを見はじめた頃と比べてどんな変化を感じますか?


kz:VTuberの方たちは、僕らが10年かけてやってきたことを、わずか2年程度でやっていると思うんです。なので、僕としては、スピードが速すぎてついていけていない気もしています(笑)。でも、いち視聴者として観ていて、「すごくいいな」と思うのは、今年の秋ごろから、それぞれの単独のイベントが次々に立ち上がっていることで。もちろん、様々な方々を集めたフェスみたいなイベントも楽しいですけど、それぞれの良さを殺しかねない側面もありますし、「ずっと濃い/面白いことをやり続けてほしい」と思うので。そういう意味でも、それぞれが頑張っている今の雰囲気は、見ていても楽しいです。まだまだVTuberという存在はメジャーなものというよりも、サブカルチャーのひとつだと思うので、これからより広がっていくとしても、今のように面白いままで、その魅力が広がっていってくれたら嬉しいな、と思っています。


(杉山仁)