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『G線上のあなたと私』しがらみに囚われていた桜井ユキ 人はいつから“大人“になるのか

2019年11月27日 12:51  リアルサウンド

リアルサウンド

『G線上のあなたと私』(c)TBS

 「今、溺れて息ができなくなってるのは眞於先生だよ。助けてあげてほしい」


参考:鈴木伸之が語る、いくえみ綾作品の魅力と役を通して得た学び 「クズ男役は勉強になります」


 火曜ドラマ『G線上のあなたと私』(TBS系)第7話では、安穏として見えた日常に、少しずつ訪れていた変化が一気に表面化する。也映子(波瑠)の無職生活は終わりを迎え、慣れない仕事に奔走。理人(中川大志)は大学での実習が始まり、幸恵(松下由樹)は姑の介護に加えて娘の受験が重なる。徐々に、そして着実にバイオリンから遠ざかる3人。


 しかし、遠のくほどにバイオリンを通じて出会った3人の想いは強くなる。“ない“を意識するほど、“あった“ときが恋しくなる。鳴らない玄関のチャイム、オーダーしそこねた唐揚げ……理人と也映子はお互いへの想いに気づき始め、不器用な2人を温かく見守る幸恵。そんな中、3人の先生である眞於(桜井ユキ)は手の病気によって、バイオリン教室から姿を消すのだった。


 第7話のサブタイトルは「大人になるとき」。人はいつから“大人“になるのだろうか。きっと、そのラインなんてものはないのではないか。幸恵の娘・多実(矢崎由紗)が反抗期を迎えたように、子どもだと思っていても、周囲を気遣うこともある。


 私たちは大人になったり、子どもに戻ったりを繰り返して生きているのかもしれない。「3コン延期しようか」と提案した大人の也映子も、「3人でバイオリンやろうよ」と泣きじゃくっていた子どもな也映子も共存している。


 人生には、浮き沈みがある。誰かが沈んでいたら、自分が大人になって手を差し伸べる。自分が沈みかけたときには、「助けて」と子どものように大人の誰かに叫ばないと、溺れてしまう。人は、きっとそうやって救ったり、救われたりしながら、人生をなんとか泳ぎ抜いているのだ。


 だが、“普通“の人は、大人と呼ばれる年齢になると、つい子どもな自分を見せられないと身構える。よく言えば平気そうに見える、悪く言えば気にかけなくていい人に思われがちだ。一方で手を差し伸べれば違う意味が生まれたり、「ほっとかれたくない」と叫べば「こじらせてる」と囁かれ、現代の大人は何かと自分の思いを発信しにくい。


 だからこそ、弱っている自分を素直に受け止めてくれる人、「苦しい」「息ができない」と涙ながらに訴えられる相手がどれほど貴重な存在か。このドラマを見ていると、改めて人生に必要なものを認識させられる。


 「意味がない」と言われる時間、「くだらない」と言われるやりとり……そんな人生の“ムダ“とも思えるもので繋がった「名前のない」関係性だからこそ、也映子、理人、幸恵は素直になれた。同じ場所にいても、「先生」であり「兄の元婚約者」というしがらみが最初にあった眞於には、その関係性が羨ましかったことだろう。


 「ぜんぶ人間愛だよ。恋とか愛とかばっかりじゃないよ。わたしたちの間にあるものは。わたしたちって、この3人だけじゃない。眞於先生も含めてだよ」。だが也映子は、苦しむ眞於のことを「ほっておけない」と、理人を向かわせる。それが、どれほど自分の心をえぐることかも自覚する間もなく。溺れている人を目の前に必死に助けを呼ぶ人のように。


 大人になるとは、誰かを注意深く見てあげること。そして自分のできる限りを尽くして、相手をいたわり、守ること。そのために、自分が多少傷ついたり、苦しい思いをしたとしても、それを受け入れる器があるということのように思えてくる。子どものように「見ていて」「ほっとかないで」と言われたときには手をつなぎ、抱きしめる。そしてときには、相手の言動を信じて手を離し、適切な距離から見守ることも。


 もしかしたら、子どもに戻れる安心感があるから、大人になれるのかもしれない。也映子の涙を受け止める幸恵の温かさ。理人なら帰ってきてくれると信じる気持ち。也映子を大人にしているのは、そんな居心地のいい場所にほかならない。


(文=佐藤結衣)