「俺の名はルパン三世。かの名高き怪盗ルパンの孫だ。世界中の警察が俺に血眼。ところが、コレが捕まらないんだなァ。マ、自分で言うのもなんだけど、狙った獲物は必ず奪う神出鬼没の大泥棒。それがこの俺、ルパン三世だ」――。
遡ること48年前の1971年10月21日、ブラウン管に颯爽登場し、昭和~平成を経て令和まで続く人気アニメ『ルパン三世』のファーストシリーズは、ルパンの、こんな粋な口上で始まった。
ルパンをはじめ次元、五ェ門、不二子、銭形といった完璧なキャラクター。1950年代に始まったフランス映画の潮流である「ヌーベルヴァーグ」を意識した斬新な演出に、洒落たセリフ回し。車や銃器、時計やライターに至る小物の細密な描写。ラテンジャズを基調としたエッジの利いた楽曲群……。演出と作画監督をそれぞれ担当した大隅(現:おおすみ)正秋、大塚康生が目指したコンセプトは「日本初の大人向けアニメ」。実際、すべてが新しく、リアリティーに溢れていた。
■『ルパン三世』冬の時代。当時としては異例の打ち切りも経験。再起の裏には宮崎駿、高畑勲の活躍があった
しかし、当時の「ルパン三世」に、時代は追いついていなかった。アダルトな空気漂うファーストシリーズは一家団らんでテレビを見ていた当時のお茶の間に受け入れられず、1作品を1年間放送していた時代に、わずか23話で打ち切りとなるのだ。それからしばらく。全国各地で頻繁に再放送されたことでじわじわと人気に火が付き、これを受けて制作されたセカンドシリーズがヒットするや、映画『ルパン三世 ルパンVS複製人間』(1978年)、『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)、『ルパン三世PARTIII』(1984年)などの新作が次々と。1989年の『ルパン三世 バイバイ・リバティー・危機一発!』より、今に続くテレビスペシャルがスタートすることになる。
この復活は、高畑勲と宮崎駿という後にスタジオジブリで日本アニメ界を席巻する2人によるところが大きい。ファーストシリーズが最低視聴率3%をたたき出すという窮地のなか、新たに投入された高畑と宮崎が行った路線変更やキャラクター設定の見直しが功を奏した。ハードボイルドとコミカルの融合により手に入れたふり幅の大きさ。つまり、時代による変化を可能する柔軟性と、どんな世代にも受け入れられる多様性は、そうした2つのルパンのせめぎ合いから生まれたと言える。無論そこには、漫画原作より完成された唯一無二のキャラクターの存在が欠かせないのだが。
ルパンの生みの親は、この4月、惜しまれつつ急逝されたご存じモンキー・パンチ先生。1967年7月25日に創刊された日本初の週刊青年漫画誌『週刊漫画アクション』において、先生初の本格連載として巻頭を飾ったのが、漫画『ルパン三世』だった。では、どんなふうに、かの神出鬼没の大泥棒は生まれたのか。
■「ルパン三世」誕生秘話。原作者モンキー・パンチが語った、キャラクターの原点
2013年の晩秋のこと。11月22日に日本テレビ『金曜ロードSHOW!』(毎週金曜21:00~)にて放送される『ルパン三世VS名探偵コナン THE MOVIE』公開のタイミングで、千葉県佐倉市にあるご自宅兼仕事場にお邪魔した際、お聞きしたモンキー・パンチ先生の言葉を再録すると――。
「大人の遊び精神と盗みにおけるゲーム感覚、ユーモアのある“毒”。これらをミックスさせたら新しい漫画が生まれるんじゃないかなあと」(以降のコメントは、すべて『TVガイドPERSON Vol.14』)
『ルパン三世』誕生前夜。東京は神田の古書店で偶然、見つけたアメリカの雑誌『MAD』。風刺漫画家のモート・ドラッカーが描いていたクリント・イーストウッドら俳優の絵に衝撃を受けた先生は、彼が描く『007』シリーズのジェームズ・ボンドと、昔から好きだったモーリス・ルブランの怪盗ルパンをミックスしたらどうなるのか。ここに日本の漫画家で衝撃を受けた『忍者武芸帳』の白土三平のような大人の劇画テイストや、忍者が使う古典的な武器を近代的な秘密兵器に変ぼうさせた『007』のテイストを取り入れたら……と考えを巡らせて『ルパン三世』が生まれたそうだ。
ちなみに、全身が細長く、手足の大きなルパンらのフォルムも『MAD』の、ドラッカーの影響。タイトルは当時「アルセーヌ・ルパンが生まれて3代目くらいかな…と思って。“(連載は)とりあえず3ヶ月”と言われていたから、わりと気楽に決めて」。赤と黒の2色刷りがある漫画雑誌では「ルパンは主人公だから赤だろう」と、トレードマークの赤いジャケットに。アニメ化の際は「監督をされた大隅さんが“泥棒なのに目立って仕方ないだろう”と言うので、緑色になった(笑)」のだとか。
ルパンの顔が刻印されたZippoでタバコをくゆらせながら、丁寧に答えてくださった先生の笑顔が今も浮かぶが、単純明快なキャラクターを主人公とした勧善懲悪ものが主流だった当時、なんという先見の明かと、今更ながらに思う。また重要なタイトルを「気楽に」決め、ジャケットの色が変わることも笑って受け入れる寛容さ。「ルパンの顔もね、変装の名人だし、描いていくうちに画も変わるだろうから厳密には決めていませんでした」という柔軟さも、作品の世界観、キャラクター造形に影響しているはず。
■自由を束縛するものに敢然と立ち向かうルパン三世。そのイメージは、モンキー・パンチそのもの
『金曜ロードSHOW!』で2週にわたり放送される「ルパン祭り2019」では、11月29日に完全オリジナル新作テレビスペシャル『ルパン三世 プリズン・オブ・ザ・パスト』も登場。本作でテレビスペシャルのスタートから30年、26作目を数える。
なぜルパンが国民的人気キャラクターになりえたのか、ファーストシリーズ開始から半世紀近く経った今も愛される理由は何か……あまたの媒体で考察されているが、先のインタビューでお聞きしたモンキー・パンチ先生によると、「(自分自身でも)よくわからないのですが、自由なところじゃないですか」とのこと。そうなのだ。ルパンは何よりも自由を好み、自由を束縛するものには敢然と立ち向かう。
「物事をあまり深く考えないし、盗みを働いて巨万の富を得てもすぐに使っちゃうし。傍から見れば何の価値のないものでも、盗みたければ盗む。あと何より、義賊じゃない。誰にでもできそうで実は難しい、自由奔放に生きること。そんな姿に憧れるんじゃないでしょうか」
そういえば、取材の雑談の折り「どうして東京ではなく千葉にご自宅を?」と尋ねた際、「自宅前を通るバス1本で成田空港まで行けるから。思い立つとすぐに行きたくなって」とおっしゃっていたが、今思えば先生もまた、自由に世界を飛び回るルパンに憧れていたのではないか。それとも先生自身がルパンだったのか……。
■枠にはまらず、時代の変化を全て受け入れる寛容さ。ルパン一味も「とっつあん」も、変化し続ける
ほかにも「ルパンの国籍を限定しなかった」こと。先生が一番お好きだとおっしゃっていた銭形警部に代表される「クールにも描けるし、コメディにも転調できるふり幅のあるキャラクター」であること。漫画『ルパン三世』で目指したという「変に枠に収まらない。アクションもあれば、ハードボイルドもコメディもナンセンスもスラップスティックも何でもできる」世界観もしかり。こうして書き連ねつつも、改めてキャラクターが持つ求心力の大きさ、作品が持つ普遍性に感服するばかりだ。
実際、2015年には30年ぶりのテレビシリーズ『ルパン三世 PART4』、続く2018年には『ルパン三世 PART5』(2018年)が放送。2014、2015、2019年には、次元大介、石川五ェ門、峰不二子を主人公としたアダルトな作品が続々と生み出され、半世紀近く続く人気シリーズゆえの懐の深さを示したのは記憶に新しいところ。先生がさまざまなルパンを受け入れ、ルパンを自由奔放に生かしてきたからこそ、作り手が変わろうと声優陣が変わろうとルパンの顔が変わろうと(そう考えるとジャケットの違いなんて些末なこと!)ルパンはルパンであり続ける。ルパン一味も「とっつあん」も。
■初の3DCG版となる映画『ルパン三世 THE FIRST』が12月6日から公開。まだ見ぬ新しいルパン三世の雄姿をモンキー・パンチは心待ちにしていた
そうしたなか『ルパン三世』の長編アニメとしては23年ぶりの公開作となる映画『ルパン三世 THE FIRST』が、12月6日金曜より全国公開される。
本作は、ルパン史上初となる全編3DCGアニメーションによる映画化。VFXの名手として知られる山崎貴監督が、ルパンの祖父であるルパン一世ことアルセーヌ・ルパンですら盗み出すことに失敗した因縁の宝ブレッソン・ダイアリーに挑むルパン一味の活躍を描く。
モンキー・パンチ先生は、亡くなる半年ほど前の昨年10月、キャラクターの設定資料を見て「新しい感覚がいっぱいつまったルパンになりそうで、どんな作品になるか想像するだけで今からワクワクしています」とコメントされ、完成を心待ちにしていたという。
広く知られるところだが、先生は漫画執筆に早くからデジタル環境を取り入れた先駆者。PCのキャリアは1978年発表のアップルIIからというから驚く。先述した取材では「(アップルIIは)アメリカで買ったんだけど、その当時は税関の人も知らないからタイプライターだと申告したんだ(笑)」と、ルパンさながらのいたずらな笑みでエピソードを披露してくれたものだ。
ルパンが3DCGに――こうした新しい試みがなされる際は、得てして不安の声や反発があるもの。1971年に放送された際のファーストシリーズがそうであったように、だ。とはいえ、「漫画ではアニメーションでは絶対にできない構図やカット割りを意識して描いてきたので(アニメ化される時は)不安もあったんですけど、大隅さんや大塚さん、宮崎さん、高畑さんが素晴らしかった。その後のシリーズも、それぞれの時代ごとの若い人たちのアイデアで変化していって。そこが『ルパン三世』が支持された理由のひとつのなんじゃないでしょうか」とは、どんな変化も楽しんで受け入れてきた先生の弁。きっとルパンも「粋にやろうゼ、粋に」と言うだろう。野暮なことは言いっこなしで、まだ見ぬ新しいルパンの雄姿を待つとしようじゃないか。何より、こうして毎年のようにいろんな『ルパン三世』が見られることが、我々ファンにとって何よりも幸せなことなのだから。(テキスト:橋本達典)