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前人未到の大河ドラマ『いだてん』はいかにして作られたのか 取材担当者が明かす、完成までの過程

2019年11月24日 08:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『いだてん』写真提供=NHK

 いよいよ最終局面に入った大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』(NHK総合)。オリンピックに関わった日本人の姿を描いた本作は、明治・大正・昭和という近代日本を舞台にした歴史群像劇だ。劇中には実在した人々が登場し、一見荒唐無稽に見えながらも、ほぼ史実どおりに展開していくのだが、その背後では、気が遠くなるような膨大な量の取材が行われていた。


 今回、リアルサウンド映画部では『いだてん』の「取材」を担当した渡辺直樹に、関係者遺族への許可取りも含めた取材現場の内幕について話を訊いた。渡辺が担った「取材」とは、宮藤官九郎の脚本作り、その前段階の企画制作のための膨大な資料集め、および史実関係の事実確認など。前人未到の挑戦となったオリンピック大河はいかにして作られたのか?(成馬零一)


●誰を主人公にするかも決まっていなかった


―― 渡辺さんが『いだてん』でもチーフ演出を務める井上剛さんの作品に参加したのは『あまちゃん』(NHK総合)からですか? 


渡辺直樹(以下、渡辺):井上さんがNHK大阪局に在籍していた2009年に、森山未來さんが出演を務めたドキュメンタリー×ドラマ『未来は今 10 years old,14 years after』に参加しました。それが最初の井上さんとの仕事ですね。


――元々、河瀬直美さんの映画スタッフだったそうで。


渡辺:当時は河瀬組に携わって奈良で暮らしていて、同じ関西が本拠地だということもあって、プロデューサーを介して井上さんから助監督をやってほしいと頼まれました。でも、その時は短い作品だったので、そんなに長く付き合ったわけではなかったです。


 その後、2011年になり、東日本大震災が起きた影響で僕が関わっていた作品が中止になったり延期になったりして仕事がぽっかりと空きました。それで今までの作品で縁があった場所などの状況が気になるし、震災の10日後くらいから東北に入り、ボランティアをしながら被災地を回っていたんです。そうしたら、東京に戻ったら、僕が被災地を回っていたことを知ってだと思うのですが、井上さんから突然連絡が来て「福島で短編を撮ろうと思うんだけど、一緒にやらない?」と誘われました。


 当時、3分11秒の短編映画を作るという企画(311仙台短篇映画祭制作プロジェクト『明日』)がありまして、『いだてん』の音楽も担当されている福島出身のミュージシャン・大友良英さんが震災直後から福島で活動されていたので、この2011年の夏に、井上さんと少人数のスタッフで大友さんを主人公にした短編映画を作りました。ところがその制作が一段落した時に、今度は「実は、今の東北で朝ドラを作ろうと思っていて、脚本は宮藤官九郎さんなんだ。だけどドラマの中身は全く決まってない。だから、一緒に何をやるか探さない?」と。


―― すごい誘い文句ですね。


渡辺:『いだてん』も近い感じはあります。企画がまだ正式な形になる前、2015年の1月に声をかけてもらいました。最初はチーフ演出の井上さん、プロデューサーの訓覇圭さん、脚本の宮藤さんという『あまちゃん』のチームで大河ドラマを、という話でしたが、誰を主人公にするかはもちろん、どの時代を描くのかも決まっていませんでした。


●宮藤官九郎という“変換装置”を生かすために


――当初は落語の話だったそうですね。


渡辺:「落語とオリンピック」で何かできないかというのが発端でした。ただ、絶対にオリンピックをやるとは決まっていませんでした。あとは大河ドラマで近現代を描きたいということ。「古今亭志ん生(ビートたけし/森山未來)、近現代、スポーツ」という三題噺のようなものでしたね。ですので、まずは明治時代からの概略や、「その時代の人たちは何に興味を持っていたのか?」「日本のスポーツの始まりとは?」などということ調べることから始まりました。


――『いだてん』の主人公となる 金栗四三(中村勘九郎)さんに辿りついたのは、いつ頃ですか?


渡辺:金栗さんにたどり着いたのは早かったと思います。明治の末年、明治天皇が崩御される数日前にストックホルム五輪が開催された。調べてみると、金栗四三と三島弥彦(生田斗真)の2名が参加している。箱根駅伝の最優秀選手に「金栗四三杯」が贈呈されるので、金栗さんという人が箱根駅伝の創設者だということは知っていました。でも、その金栗さんが日本人最初のオリンピック出場選手だということは、この時初めて知りました。そこでこの2人をきっかけに何か作れるのではないかというイメージができてきました。


――宮藤さんはどんな形で脚本作りを?


渡辺:井上さんや訓覇プロデューサーと最初は1カ月に一度ぐらいの頻度で、見つけた資料を報告し合う会を重ねていきました。僕たちが集めた情報やアイデアを、宮藤さん自身が本を読んで調べながら、想像もつかない面白いものに変換するという流れですね。


――史実に忠実だからこそ、制約の多い仕事だったと思うのですが、出来上がったものは、とても自由なのが不思議です。


渡辺:脚本の仕上がりに一番驚いているのは僕たちかもしれないですね。宮藤さんは調べたことをそのまま書くのではなく、必ず“フックとジャンプ”を入れてくる。こう書くとは思わなかったという衝撃の連続でした。


――テーマ的な部分についても宮藤さんとは話し合いを?


渡辺:宮藤さんの作品の特性であると同時に本人の資質だと思うのですが、あんまり真面目に思い詰めたような話はしなかったですね。馬鹿話の合間にふっと大事な話が入ってくるという感じです。だからいつも笑いがあふれる中で打ち合わせが進んでいきました。


清水拓哉(同席した番組制作統括。以下、清水):宮藤さんと各話の監督陣と取材を担当した(渡辺)直樹さんと橋本万葉ディレクターとプロデューサー陣が集まり、この回は事実としてどういうことがあるのか、それを確認しながら、その中で何ができるか話し合っていきました。


―― ピクサーのアニメ映画が、複数のスタッフが意見を出し合うブレスト(ブレーンストーミング)でシナリオを練り上げていくと聞きますが、『いだてん』の場合は最終的な判断は宮藤さんがするということでしょうか。


渡辺:そこが多人数の作家たちが集まって執筆する体勢と違うところですね。僕たちは「宮藤官九郎という変換装置」を最大の武器だと思っているので。最終的には宮藤さんに預けられる状態にするための打ち合わせです。


清水:「あの話、どうだっけ」という時に、みんなが直樹さんの顔を見るわけですよ。一番網羅的に調べている人間データベースみたいな人なので、その時代にこういうことがあったという事実関係や歴史的な出来事を改めて整理してもらいます。これは時代考証の先生がその場にいたらできるかと言ったら、そういうことでもないんです。直樹さんは映像での長いキャリアがあるので、ドラマ化するに当たって面白いかどうか、実現可能かどうかを判断することや、ストーリーとして掘っていく必要があるかという判断ができる。そういった目線がない人にはできなかった仕事だと思います。


●史実と脚本が重なることも


――過去に遡るほど、人間関係はわからないことが多そうですね。


渡辺:このドラマの登場人物は著名な人間ではないので、伝記のような第三者が書いた資料は少ないのです。ただその代わりというか本人たちが書いた日記がかなり残されていました。劇中でも金栗さんが日記を書いていましたが、あれも実物があります。熊本の古文書研究会の方にお願いして読んでもらい、ほぼ全部書き起こしました。20年分ぐらいの膨大な日記でしたけど。


――エピソードで言うとどの辺りですか。


渡辺:金栗さんが東京高師(東京高等師範学校)に入学するところからです。美川秀信(勝地涼)さんと上京したというのは事実で、それも日記に書かれていたことです。他にも「美川が家にあがりこんできた」とか「美川が毎晩うるさい」といったことも日記に書かれていたことで。だから、勝地さんが演じてくれた愉快な美川くんも、あながちフィクションではないんです(笑)。実際の会話が残っていないにしても、ご自身の言葉で書かれているので、きっと金栗さんは美川さんに対してはこういう態度だよな、嘉納治五郎(役所広司)さんのことはこれほど敬愛しているからこんな風に振る舞うだろうなと想像できて。それを宮藤さんが読んで脚本にしていく。だから、劇中の会話も実際にありえたかもしれない会話だと思っています。


――他の登場人物にも日記が?


渡辺:田畑さんは日記を書かない人でしたが、金栗さんの他にも、三島さん、嘉納さん、都知事の東龍太郎(松重豊)さん、前畑秀子(上白石萌歌)さんなど、日記を残されている方は多かったです。できる限り読むようにしました。日記は一番本人の性格の温度があるので会話を起こす際のヒントになるものだったと思います。また登場人物ではない方の日記も資料として有効なことも。たまたま見つかった関係者の日記に書かれている金栗さんの姿から雰囲気を掴んだこともありました。個人の日記を解読するというのは本当に気の遠くなるような作業でしたが……。あと日記のほかに参考になったのが「文集」と「論文」です。スポーツ関係者は亡くなった時や、学校をやめるタイミングで教え子たちが記念文集を作ることが多いんです。金栗さんをはじめ、劇中の人物には教師も多いので、論文も多く遺されていました。いずれにせよどれも大河ドラマの資料としてはとても特殊な気がします。


――本当に断片的な情報を集めていったんですね。


渡辺:誰も知らない、誰も読んでないものの中から掘り起こしていく作業ですね。日本女子体育大学の創設者である二階堂トクヨ(寺島しのぶ)さんのキャラクター像も、彼女が生徒たちに配布していた冊子がとても参考になりました。


――無理があるように見えた物語が、史実と照らしあわせてみた結果、成立したということはありましたか?


渡辺:それが面白くて。「史実ではどうだったのか?」と調べてみると宮藤さんが構想していたことと、ほとんど同じことが書かれている資料が見つかることが、何度もありました。例えば、最初は金栗さんと田畑政治(阿部サダヲ)さんには接点がないと思っていました。活躍した時代も違うのでこの2人は出会いようがないけれど、スポーツ界においてはお互い有名人だから、知り合いのはずだと判断して進めていたんです。ところが、取材の過程で2人が一緒に映っている記念写真が発見されました。これは随分書き進めてから見つかったものだったので衝撃でした。


 また田畑政治と古今亭志ん生も、当然関り合いはないと思っていたんです。ところが、浜松のローカルのタウン誌をさらっていたら、40年ほど前に載っていた志ん生のインタビューがあり、そこに「浜松では造り酒屋の田畑さんの家にお世話になった」という文章を発見してしまった。


 年代から考えても、確実にその時に田畑政治は家にいただろうし、2人は実際に知り合いだったんだ…、という驚愕の事実でした。


――それだけたくさんの情報を集めると、関係者への連絡も大変だったかと思います


清水:実名で登場する方のご家族とお会いしていくのですが、まず、遺族の方を探し当てるのが大変でしたね。


渡辺:『ファミリーヒストリー』(NHK総合)の世界ですね。どうやって遺族をたどっていくか、番組スタッフの方にノウハウを教えてもらいました。でも、ようやく遺族の方々にたどり着いても、ご記憶が定かでないということなども多々ありまして……。「実はこの本に書かれていたのですが、こういうことをされたことがありまして」と、こちらから説明させていただくこともありました。


――天狗倶楽部も実在していたと知ったときはびっくりしました。


渡辺:天狗倶楽部については、むしろ劇中ではちょっと抑えたぐらいで。彼らの逸話はもっと使えると思ってかなり調べたのですが、ドラマ化できないものばかりでした(笑)。


●一次資料を掘り起こすところからはじまったドラマ


―― 清水さんの参加はいつ頃ですか?


清水:直樹さんたちが2年以上調べてくれたところから参加しました。レールが敷かれているところにサポートで入った感じです。たとえば、日記が昔のハンドライティングだから読めないという時に、僕がかつて大河ドラマでお付き合いしたことがある先生に、昔の崩し字を読める人を紹介してくれないかと。


―― 『いだてん』の作り方をどう思われましたか?


清水:作り手が直接、同時代や当事者に書かれた一次資料や日記にまで当たるというところまでやっている大河は、ほとんど例がないと思います。大河ドラマにずっと関わってきたのですが、戦国時代や幕末を題材にした作品の場合は、研究者が調べてまとめた論文や書籍などの二次資料を元にやっていくというのが、今までやってきた作り方です。もちろん、『いだてん』は近代が舞台だから可能だったということはありますが、取材チームは資料がないから諦めることはなるべくせずに国会図書館などにコツコツ通って徹底的に調べた。もちろん知識がなければ日記の価値はわからないので、二次資料、三次資料にも当たっていく。その知識があるから一次資料も読めるようになっていくと。だから調べると同時に、常に勉強も必要でした。


――一次資料に当たるということは最初から考えていたのですか?


渡辺:それしか方法がなかったんです(笑)。金栗さんに関しては先日亡くなられた長谷川孝道さんが書かれた『走れ二十五万キロ マラソンの父 金栗四三伝』(熊本日日新聞社)という伝記の他にはほとんど資料がありませんでした。人となりをもっと知りたい、ここで書かれたことの裏を知りたいという時に、日記が地元の熊本の公民館と博物館にあると聞いて。日記がある以上、ここからスタートするしかないと。


清水:本当に歴史作家の仕事ですよね。


――ある意味、 「原作」を自前で作られたわけですよね。二次資料、三次資料を踏まえていないと一次資料は理解できないものでしたか?


渡辺:ものによります。概略をつかんでからじゃないと意味がわからないものはありますが、二次資料や三次資料は著者の解釈が入るので、間違っていることも多いんです。日記や手紙にはその人の手触りがあるので、何も情報を入れずに最初に読んだ方が、空気感が掴めることが多かったですね。個人的には一次資料に一度当たって、そこから二次、三次を読んで、また一次に戻るのがいいと思います。


――時代が現代に近づいてくると、今度は情報の絞り込みが大変だったかと思います。


渡辺:そうなんです。情報量が多すぎても絞り込む時間が膨大にかかってしまう。ロサンゼルスオリンピック(1932年)も大変でした。派遣された選手団の皆さんが書いていた日記がいくつも見つかったんです。何時に起きて、何を食べて、また何時に移動をして……という大会期間中の行動が事細かに分かってしまった。担当した橋本ディレクターが必死でその情報をまとめて、膨大なデイリーシートを全日程1日ごとに作ってくれて、ようやく行動を可視化することができました。、手間をかけた分、選手がお互いのことをどう思ってたとか、大横田勉(林遣都)が日に日に体調を悪化させたことなど、実際にあったエピソードを劇中に盛り込めたと思います。


――資料を渡された宮藤さんはどういう反応でしたか?


渡辺:分厚い資料を持って「わー、マジすかーっ」て(笑)。


清水:そう思うよね(笑)。


――嘘がつけないってことですからね。


渡辺:第31回「トップ・オブ・ワールド」の最後に、ロサンゼルスオリンピックで日本泳法を披露したシーンがありますが、あの話は誰も知らなくて、日本水泳連盟の方にも「あんなフィクションやっていいの?」とも言われました。でも、日本水連が出していた雑誌「月刊 水泳」の古い号に、1ページだけ日本泳法の模範演技をしたという記述があったんです。当時のロサンゼルスの新聞にも当たったら、そこにも書かれていた。視聴者の方々が思っている以上に、『いだてん』で描かれているエピソードは史実通りだと思います。


――たとえば、第36回の「がんばれ前畑」で演出の大根仁さんが、史実では前畑がお守りを呑んだのを、劇中では電報の紙を呑むように変えたと聞きました。


渡辺:史実を変えない範囲で起こっていてもおかしくないこと、例えば、紙のお守りを呑んだのだから手紙(電報)を呑んでいてもおかしくないのでは?など、それぞれのケースで迷いつつ、起きた行為を見ている人間(視聴者)に、よりドラマとして伝わりやすくなるための細かいフィクションを入れています。


――そうなると、史実における変えるラインと変えないラインがすごく気になります。


清水:史実を全て忠実に描くことに価値があるかというと、必ずしもそうとは限らないですよね。フィクションって、誇張したり、省略するからこそ伝わることもあるだろうし、すべてを伝えたとしても何が言いたいのかわからなくなるということもある。


 ただ、大河ドラマを作ってきた人間として言うと「事実はこうだったけど、こう書き換えちゃった方が面白いよね」という形で作った話と「動かせない事実を枷にして、絞り出すように生み出した話」だと、後者の方がフィクションとして強いということが多いですね。


――現実を超える説得力と面白さが求められるわけですからね。


清水:真相がわからないから、ここは作り事にしようというフィクションと、わからないけど、徹底的に調べてみようと思って書かれたものだと、後者の方が作品として強い。だからこそ宮藤さんは、直樹さんたちが調べてきた史実を尊重されていのだという印象が強いです。


渡辺:「事実を大切にした」という点で言うと、四三の妻となる「スヤ(綾瀬はるか)さんの再婚」の件ですね。あれはどこにも書かれていなかった話なんです。金栗さんが書いたものでも、池部家に養子に入りスヤさんと結婚したという話だけでしたが、宮藤さんと池部家のお墓を見に行った時に、1912年に亡くなっている人がいることに気づいて「この人は誰だろう?」という話になりました。もしかして、池部幾江(大竹しのぶ)には息子(池部重行)がいたのかもと思い、ご家族の方にお会いして伺ったところ、「実は(スヤさんは幾江の息子と結婚していて)再婚らしいです」と教えてくれて。おそらく体を悪くして早くに亡くなられて、スヤさんは後家さんになった。そこに金栗さんが婿入りしたと。ただ非常に話がややこしいじゃないですか。金栗さんとスヤさんは、お見合いだけど恋愛のようだったという関係を想像していたのに、スヤさんは初婚ではなかったわけで。ですが、その時に宮藤さんは「事実だとしたら面白いですね」と言われて。


――「面白さ」を選んだわけですね。


渡辺:当初イメージしていた単純な恋愛結婚にするよりも、そこは史実通りでいきましょうとなりました。ご遺族の方にも「家族としては複雑かもしれませんが、そのまま描かせていただけませんか」とお願いし、ああいう展開となりました。結果、金栗さんとスヤさんの独特な夫婦関係が生まれたのではないかと思っています。


●個人の思いを知ることで時代の見え方も変わる


――最後に『いだてん』に参加した感想を教えてください。長い時間を費やしたわけですけれど。


清水:直樹さんにそれを聞くのは、田畑政治に「あなたにとってオリンピックとは何でしたか?」と聞くのと同じものですよ(笑)。


渡辺:この仕事ができたことはとても感謝しています。一つの家族を描くような“小さな物語”を作ることも大好きですが、“大きな物語”を作ることのできる機会や放送枠は、世界中を見渡してもそんなにたくさんはないので。ある意味、日本という国家の大きな物語ですよね。『いだてん』はオリンピックと落語を切り口に、政治から文化に至るまでの今に繋がっている日本”を横断していくドラマだなと深く感じました。このドラマのために読んだ、日記だったり、手紙だったりから、ささやかな個人の思いを知ることで、僕自身ちょっとだけこの国の見え方や時代の見え方が変化しました。見ている人にとってもそうであったらとても嬉しいなと思います。


――変化したというのは?


渡辺:何を大事にしていったらいいのか?ということですかね。今の時代にも震災が起きて、オリンピックがやってくる。同じように人がどうしたらいいのか悩んでいる時に、シンプルに考えていいんじゃないかと。どんなにいろんなことがあっても、「楽しいことが一番」だと。田畑さんや嘉納さんが言うように。


――「楽しいの? 楽しくないの? オリンピック」に戻るわけですね。清水さんはいかがでしたか? 


清水:このタイミングでオリンピックを切り口に近現代史を振り返るという機会は他になかったと思いますので、『いだてん』は時代が作らせた作品なのだと思います。


(取材・文=成馬零一)