トップへ

米エンタメ界で議論を呼ぶ「映画とTV」の関係 クリエイターの流入と所得格差の深刻化

2019年11月16日 10:01  リアルサウンド

リアルサウンド

写真

 2010年代も終わるころ、新作『アイリッシュマン』をリリースする巨匠マーティン・スコセッシが「シネマ」定義の議論に火をつけた。マーベル・シネマティック・ユニバース(以下、MCU)へのネガティブ視も含まれていたため、同ユニバース関係者たちも反応していったわけだが、『アントマン』シリーズの主演・脚本をつとめたポール・ラッドは、擁護のなかで業界事情にも触れている。


「スタジオが中規模予算作品をあまり作らなくなってきているんだ。だから、今、そこで活躍していた多くのライターがTVに流れてる」(2019年10月23日付 The Howard Stern Showより)


 この視点は、スコセッシとも一部重なる。彼がNew York Timesに寄稿したコラムでは、フランチャイズ作品ばかり上映するようになった劇場映画産業、そして「(劇場に代わって)ストリーミングが筆頭デリバリー・システムになった」状況への危機感が綴られている。一方、MCUのボス、ケヴィン・ファイギの姿勢は対極かもしれない。


「MCUは劇場とDisney+で展開させていく計画だ。映画とTVでフル・サイクルになる。私が通っていた学校は、当時“USCスクール・オブ・フィルム・アンド・テレヴィジョン”と呼ばれていた。今は“USCスクール・オブ・シネマティック・アーツ”。シネマティック・アーツとは垣根を超えるものだからだ」(2019年11月10日付 The Hollywood Reporter Awards Chatter podcastより)


 スコセッシ、ラッド、ファイギの共通認識はなにか。ストリーミングや有料ネットワーク含めて拡大しゆく「TVのパワー」だろう。『ブレイキング・バッド』から『ストレンジャー・シングス』まで、TV黄金期を意味する「Peak TV」という言葉は10年以上喧伝されている。当サイトのNetflix記事で紹介したように、DisneyやApple等のストリーミング参入に従い、競争はさらに熾烈になった。一方、TV映画記事で触れたように、劇場映画スタジオはIP重視・リスク回避の傾向を強めたとされる。そうした状況で増えつつある見識こそ、ファイギが掲げるような「映画とTVの境界の融解」である。


「長編小説と短編小説がともに文学とされるように、フィルムとTVは異なるアートフォームではなく同種のサブセットである」「2つのフォームの最大の違いは、クオリティでも予算でもスクリーン・サイズでもない。作品の長さだ」(TIMEより)


 ポール・ラッドの言うとおり、シアターからTVへの人材流入は目立ってきている。頻繁に語られるのは以下のような文句だ。「フランチャイズだらけの劇場映画からの逃避場所としてのTV界」。たとえば、MCUでキャプテン・アメリカを演じたクリス・エヴァンスは「今は劇場映画よりTVに創造精神の自由がある」と示唆しており(Varietyより)、Apple TV+の主演・製作シリーズ『Defending Jacob』リリースを控えている。俳優のみならずアカデミー賞級の監督によるTV作品も今や珍しくない。格好の領域となったのは、『トゥルー・ディテクティブ』や『ビッグ・リトル・ライズ』が代表する、拘束時間が短く創作の指揮もとりやすいミニシリーズだ。それを「映画」として扱う作家も存在する。『ドライヴ』によってカンヌ映画祭監督賞を受けたニコラス・ウィンディング・レフンは、10エピソードからなる『トゥー・オールド・トゥー・ダイ・ヤング』を「TVではなく13時間の映画」だと定義した。2017年には「TVとシネマは同じもの」と考えるデヴィッド・リンチによるshowtime放送『ツイン・ピークス The Return』が数々のメディア、そしてかのジム・ジャームッシュから「年間最高のフィルム」に選出されている。


 フィルムとTVがクロスオーバーするなか、注目を浴びる「新世代ショーランナー」は、既存の境界を飛び越えて活躍するクリエイターたちだ。たとえばエイヴァ・デュヴァーネイ。彼女はこの5年間でオスカー候補フィルムからディズニー劇場大作、Netflix配信のミニシリーズやドキュメンタリーまで幅広く手がけている。おのずと、企業とのディールも越境が流行る。『スター・ウォーズ』シリーズを手がけるJ・J・エイブラムスや『グレイズ・アナトミー』を生んだションダ・ライムズといったトップ・プロデューサーは、ストリーミングやケーブル、劇場をまたぐ複数契約を結んで巨額報酬を得る方向性へシフトしている。なんとも輝かしいキャリア形成だが、彼らが「上位1%」と言われることも留意すべきだろう。その名前自体がIPとして機能し、尚かつ複数プロジェクトを並行させながら結果を出せる人材は当然ながらごく僅かだ。「Peak TV」時代、ハリウッドで働く人々の中間層は薄まり、所得格差の深刻化が報じらている。スター人材流入を容易くしたTVミニシリーズは「一貫した作風」を重視しがちなためエピソード毎の製作時間が長い傾向にあるそうだ。ゆえに、1話ごとに報酬を支払われるライターにとっては、労働時間が増えて所得が減る状況が形成されてしまった旨が2017年時点Voxに報じられている。さらに、ストリーミング・オリジナルの場合、再放送やDVD販売による追加報酬も発生しにくい。同記事によると、TV業界の仕事は激増した一方、2013年~14年間と2015年~16年間を比較するとライターたちの平均賃金は25%低下。そうして、2017年には全米脚本家組合ストライキ危機に至っている。ポール・ラッドの言う通り、劇場映画界で苦戦するライターたちはTVへ流れたかもしれないが、そこは経済面ではユートピアというわけにはいかなかったのである。


 2019年の「フィルムとTVの関係」を表す一つの出来事が、「TV史上初のグローバル・ブロックバスター」と評された『ゲーム・オブ・スローンズ』ショーランナーの動向かもしれない。「上位1%」に位置する彼らは、発表されていた『スター・ウォーズ』新作製作をキャンセルした。ファンからのバッシングを忌避した噂もあるが、表向きの理由は「Netflixプロジェクトとの同時進行は不可能と判断した」ためである。ここで重要なのは、劇場ブロックバスターの象徴である『スター・ウォーズ』よりもストリーミング作品を優先する選択自体はサプライズとして受け止められなかったことではなかろうか。かつては「劇場映画の下位」のように扱われていたTVのパワー拡大を表す事象だ。一方、初期Netflixを代表する長寿シリーズ『ボージャック・ホースマン』クリエイター、ラファエル・ボブ・ワクスバーグの告白も注目に値する。前記事で紹介した『トゥカ&バーティー』打ち切り騒動について、彼はNetflixが「視聴者数を即座に獲得できない新作にチャンスを与えて育てる方針」を捨てた結果だと考えており、その転換を「恥ずべきこと」だと批判したのだ。主要ストリーミング・サービスすらIP/スター偏重にシフトしつつある状況を踏まえて、多種多様な作品を輩出する「Peak TV」時代の終焉を予期する声も挙がっている。(文=辰巳JUNK)