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坪田義史監督が映画『だってしょうがないじゃない』に込めた願い 「発達障害の社会的受容に繋げたい」

2019年11月16日 08:01  リアルサウンド

リアルサウンド

坪田義史監督

 坪田義史監督の最新作『だってしょうがないじゃない』が現在公開中だ。


参考:坪田義史監督最新作『だってしょうがないじゃない』予告編 リリー・フランキーらのコメントも


 本作は、発達障害を抱えながら独居生活を送る叔父の日常を、発達障害と診断された坪田監督が3年間撮り続けたドキュメンタリー映画。精神に不調をきたした坪田監督が、発達障害を持ちながら一人暮らしをする親類の叔父(まことさん)がいることを知る。坪田監督はまことさんとの交流を深めていく中で「親亡き後の障害者の自立の困難さ」や「障害者の自己決定や意思決定の尊重」「8050問題にともなう住居課題」などの問題に直面していく。


 前作『シェル・コレクター』から3年半、なぜ今回ドキュメンタリー映画を撮ろうと思ったのか、制作に至る背景から、被写体となったまことさんとの出会いややりとりについて、坪田監督に話を聞いた。


■「精神疾患を創作行為で乗り越えていきたい」
ーー『シェル・コレクター』から3年半が経ちますが、今作を手掛けようと思った経緯を教えてください。


坪田義史(以下、坪田):40歳を過ぎて、前作『シェル・コレクター』が終わってから、発達障害ADHDという診断を受けました。僕は40歳を越えるまではそういった障害名を意識せず、なんとかやってきた自負もあり、どう捉えていいのかわからない混乱や孤独感があって、その診断をなかなか受容できずにいたんですけど、同じ発達障害のグループで広汎性発達障害を抱えながら一人暮らしをしている親戚のおじさんがいると知り、会いに行きました。以降、交流を重ねて、親戚のまことさんに惹かれていく自分がいて、ありのままを記録していく中で、一本の作品にできるのではないかと思って、約3年間が過ぎていきました。


ーーお会いした時に作品にしようと思い立ったのでしょうか。


坪田:最初は、闇雲に交流を重ねていって、同時にカメラもコミュニケーションのツールになっていきました。まことさんが、突発的な僕を受け入れ、撮影行為を対話として楽しんでくれる時間が生まれて、いろいろな場所に行って、僕とまことさんの発達障害は厳密には違うんだけども、その違いが起こす化学反応みたいなものをすくい取りたくなりました。それを積み重ねていく中で関係性が深まり、変化して映画になっていきました。


ーー『シェル・コレクター』を撮った坪田監督の最新作が、ドキュメンタリー作品というところに驚きました。


坪田:僕は大学在学中にセルフドキュメンタリーを撮っていて、フィクションとドキュメンタリーが混在した作品を作っていました。それが起点となっているので、常日頃から撮影という行為はドキュメンタリーとフィクションの境目にあるとは思ってます。


ーードキュメンタリーと劇映画で感覚の違いなどはあるのでしょうか?


坪田:大きな違いは、決められたシナリオが明確にあるかないか、関わるスタッフの人数や体制だったりするかもしれませんね。劇映画の役者さんは撮影現場に“役者”として存在していて、まことさんは“親戚”として、そこに生活がありました。全然違いますよね。ただアニメパートの制作や編集作業、ナレーション、音楽、整音などの過程は、感覚的には劇映画と似ています。


ーー映画を見ていると、坪田監督とまことさんのやりとりがとてもファンタジックに切り取られているように感じました。坪田監督はまことさんのどんなところに惹かれたのでしょうか。


坪田:自由気まま、ありのままに惹かれました。世の中の既成の価値観や概念、ある種の規範、そういうものから自由になれるのがまことさんの魅力だと思います。よく僕ら発達障害を持っていると常々「もっと普通にしろ」と言われます。でもその「普通」ってなんだろうか。この映画には、まことさんは撮影という行為に触発されて、日常のたわいもない会話や、外に出て遊ぶことが社会が作った障壁を乗り越えていく契機を生み出しているんじゃないかなと思います。


ーー本作は3年という長い期間を切り取っていますね。


坪田:僕のモチベーションとしては、精神疾患を創作行為で乗り越えていきたいという気持ちでした。『シェル・コレクター』も、興行的にも難しい部分があったので、その中で次何を作るかというところで、障害の診断を受けたので、それを題材にしていこうと思っていました。そして発達障害というのは定義も曖昧で、見えづらい障害です。だからその見えないものを浮かび上がらせるのが映画監督のエゴとしてあるんですよね。見えづらい自分の障害や、わかってもらえないものを、創作によって発達障害の社会的受容に繋げたい、そこに創作意欲が湧きました。


■まことさんの所作に「スペクトラムな光を浴びました」
ーーまことさんとの3年間はあっという間でしたか?


坪田:あっという間ですね。まことさんの障害ゆえの所作に生き様を感じるんです。まことさんの所作は、映画の中の時間軸だと長いと感じるかもしれませんが、それをありのままに使いたいと思ったんです。歯磨きをしたり、体を洗ったり、服を着替えたりと、それぞれの所作にまことさんの生き様が見えるので、僕はそれを記録していきました。


ーー石鹸をしまう、靴を直すといったまことさんの所作を、愛を持って見守っているように見えました。


坪田:3年という時間をかけて、待てるようになったといった方が正しいかもしれないですね。対話を繰り返し、だんだんと人と人が理解していく時間があって、その中でまことさんの時間が見えていった。人より少し時間がかかるけど、彼の中ではそれがルーティン、当たり前なんです。それに向きあっている様子は、力強くて美しいというのが僕の考えです。


ーーまことさんがお風呂を浴びるシーンは特に美しさを感じました。


坪田:僕もそこにスペクトラムな光を浴びました。先日の上映で、ダンサーの方が見にきてくれたのですが、その所作について、「あの動きはすごい、力の入れどころが違う、ルールや目的を感じる、生活空間でのある種、儀式のようだ」と反応してくれました、そういった新しい視点も生まれてきました。そういった普段身体表現をしている方が見ても感じるところはあるのかもしれないですね。


ーー鑑賞者によって、まことさんという人間が違ったように見えていくんですね。


坪田:種類や濃度の違いがあれど発達障害者が発達障害者を追う、そこに当事者性があると思います。この映画のカメラを回し始めた年に、相模原障害者施設殺傷事件が起き、NHKの『バリバラ~障害者情報バラエティー~』という番組で、障害者が取材記者として、事件の被害に遭った方に、今の思いを聞きにいくという回がありました。障害者の当事者目線で事件を取材するという姿勢に「これはすごいな」と思って、そこに触発された部分もあるんです。


 僕も障害の診断を受けて、なにか社会から弾き飛ばされたような気持ちもありました。社会が発達していく中でも、人間の発達のスピードは一定で、そのズレが発達障害の定義を広めている部分もあると思います。社会の中で生産性を問われる中で、僕らにはできることとできないことがあります。僕にとってできることは映画を作ることで、その発達の凹凸の突出したところでサバイブしていきたいという気持ちもあります。その意思とまことさんの、障害を抱えながら1人で独居生活をしていくというサバイブ感が作品の中で反応を起こしているんじゃないかなと。1人の老人の孤独がカメラによって紛らわされていく、そして呼応していく、そういったものがコラボレーションなのかなと。それで共感したり、共振したりしていくというのがこの映画のバディー感、スタイルだと思っています。


■「まず障害を受容して、その上で、次に進んでいくという願い」
ーー劇場公開も始まりましたが、ここまでの反響を受けていかがですか?


坪田:この映画のフレームの中に自分も入りこんでいるので、上映後に自分が出ていって、観客の方々と対話をするところまでを上映活動として僕は捉えています。その中で障害を持つ当事者の方や、身の回りに障害を抱える方がいる人、映画ファン、いろんな方のいろんな意見が多様に飛び交うところに今いるんです。小さい映画なので、大ヒットというわけではないんだけど、見ていただいた人の反響をこれからどんどん広げていきたいと思っています。


ーー見終わったあとまことさんの今後、映画に切り取られなかったその先がどうしても気になってしまいます。


坪田:置き去りにされてしまうような感覚。そのカタルシスというか、映画が終わり現実に戻っていく。現状、まことさんは自立した生活を福祉的サポートを受けて穏やかに暮らしています。『だってしょうがないじゃない』というタイトルは、諦めのように聞こえるかもしれないけど、まず障害を受容して、得意不得意、出来る出来ないを知り、その上で、次に進んでいくという願いを込めています。


ーー本作の創作活動を通して、今どのような考えですか。


坪田:発達障害というものはすごく曖昧な定義で、個性とみなすか障害とみなすといった議論が今も行われています。どこに区分があるのか、そういったものはグラデーション、スペクトラム、連続体の部分なので、明確な線引きをするのが難しいんです。僕が一つ作品を作れば個性や障害特性と言われるかもしれない。でもその一方で、生活に支障をきたし生きづらさを抱えて孤立してしまったりする方も多数いるので、社会が発達していくことにつれて、何かズレや不具合、バグが生じる時代に突入しているのではないかと思います。


(取材・文=安田周平)